
頑張る気が失せる|桜井信一コラム「下剋上受験」
今晩は「頑張る気が失せる」というテーマです。よろしくお願いします。
ルービックキューブって流行りましたよねぇ~。確か、私が小学生か中学生の頃だったと思います。みんなルービックキューブをやってました。しかし、私はデビューがちょっと遅れたんですね。私が始めたときには既にヒーローがいたわけです。
「いまから頑張っても意味ねーか……」と思ったわけです。だってもう完成させることができるやつが学校にいるわけです。今頃できたとしても、「へえーすごいけど今更だね」となるわけです。
これは悲しい。
努力に見合ってない。
だから頑張る気が失せるんです。
いつもこうなのです。
この思考で私は人生をダメにした。
たまごっちも流行りましたよねぇ。えさを与えたり糞を掃除したりして大きくなるまで育てる。たまごっちも出遅れたのです。私が始めたころは既にみんなは「おやじっち」まで育て上げているわけです。
「いまから頑張っても意味ねーか……」と思って放置していると、なんとコイツ機嫌が悪くなりやがるわけです。(-_-メ)
「あー、もうやってらんねー」となるわけです。
いつもこうなのです。
この思考で私は人生をダメにした。
運動会のリレーを見るたびにこの思考を思い出します。前の走者が遅かったために、半周ほど離されてバトンを受け取るアンカーの子がいますよね。練習などでは激戦だったのに、本番では前の走者が転んだりバトンミスしたりして大幅に遅れて自分に回ってくることがあります。
これ、想定外だったと思うんですよね。張り切って運動会の日を迎え、追い抜く気満々だったと思うのです。それがなんと半周以上の差がついてどう考えてももう前の走者を抜かすことはできない。
このとき、少しでも差を縮めようと頑張って走る子がいます。どうせ着順は変わらないのに必死に走る子がいるのです。逆に、頑張る気が失せる子もいるわけです。
「いまから頑張っても意味ねーか……」
「あー、もうやってらんねー」
こんなことを思っているんだろうなぁとよく思うのです。
この子、オレみたいにならないだろうか……。なんて心配しちゃうのです。
これ、やんちゃな子の場合、結構確率が高くなるんです。頑張ることをダサいと思っているのかもしれません。
育て方に差がでるなあー、気をつけないと。いつもそう思うのです。
私の母は「百ゼロ」だったんです。男の子は1番じゃなければビリでいいみたいな考えでした。私も納得していたんです。でも、これがいけなかった。
私が大人になって、母に冗談を言うわけです。「育て方が下手だよねー、子どもはホント迷惑」というと、なんと言い返すんです。「ばーか。それは負け惜しみ」と言うのです。
(ん? そう言われるとそんな気も……)と一瞬思ってしまい、いやちょっと待て待て「違うだろーが!」と我に返り、親に洗脳されている自分に気づくわけです。
そんな母に、「オレの書いた本が売れてね」というと、わけのわからない中卒ボキャブラリーで返してくるのです。
「天国と地獄の往復切符を買ったようなもんじゃ」と言うのです。
は? は? は?
もう全然何言っているかわかんない。
子どもの頃はそれを「子曰くぅ~」みたいに、母が孔子のような役割だったわけですから、もう無茶苦茶になるわけです。
「あー、もうやってらんねー」となるわけです。
しかし、憎めないから不思議。愛情はあるわけです。簡単にいうと心のこもった下手な絵を描く画家みたいな感じ。当然、その絵は誰も買わない……。
「おい、本が売れて印税が入ったら1回くらい親孝行しろ」と言うわけです。
どんな? と一応聞いてみると、「死んだらピラミッドに眠らせてくれ」というわけです。もう勝手に大海原に戻ってぇと思うわけです。
ホント、親の教育は大事。それも時代に合った教育が大事だと思うのです。自分のときはこうだったからといって今の時代に通用するとは限らない。今の時代から先を生きる子どもにとって、何がカッコいいかを教育しなければと思うのです。
その普遍的な教育が「頑張ることはカッコいい」ということだと思うのです。決して、「頑張ることは素晴らしいこと」ではないと思うのです。
我が家は受験勉強が大幅に出遅れました。そのとき、ルービックキューブやたまごっちを思い出した。
「いまから頑張っても意味ねーか……」
「あー、もうやってらんねー」
我が子この思考にさせるわけにはいかない。何としてでも。末席でもいいから食い込むことがカッコいいことなんだと言い続けました。
掲示板などに踊らされましてね。“末席で入学してもどうせ苦労するだけ”みたいな投稿を何度も挫折の言い訳に使ってしまいそうになりました。あれに騙されてはいけませんね。
皆さんのお子さんを心配している身分ではなく、我が子が心配。
頑張る気が失せるほど差がついたとき、それでも追いかけることができるかどうか。どう考えても追いつかない場面で必死になれるかどうか。なぜ追う必要があるのか。どんなふうにカッコいいのか。
子どもの右側から左側から、うちわを持って踊りつづけるのが親の役目だと思うのです。
2014.10.14 am 0:00
桜井信一
※記事の内容は執筆時点のものです
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