連載 イメージで覚える中学受験歴史

平安時代【2】貴族中心の政治 ―― イメージで覚える中学受験歴史

2020年9月02日 吉崎 正明

「難しくて苦手」という受験生が多いのが歴史。でも、時代をイメージで理解すれば歴史の理解はグンと進みます。この連載では、時代ごとの特徴的な出来事を中心に、歴史をわかりやすく解説します

 平安時代のはじめは、天皇中心の政治でした。しかし政治の中心は、天皇から貴族に移っていきます。

藤原氏の「摂関政治」

藤原鎌足から続く貴族・藤原氏は、多くの荘園を持ち、平安時代も強い権力を持っていました。そして藤原氏は、自分の娘を天皇と結婚させ、天皇の代わりに政治を指揮する「摂関政治」をおこないます。娘を天皇と結婚させると、藤原氏は天皇の義理の父や祖父となることができ、権力も強くなります。なかなか賢いやり方ですね。

摂関政治
藤原氏が摂政・関白に就き、天皇の代わりにおこなった政治のこと
■摂政:天皇が子供、または女性のときに代わりに政治をおこなう役職
■関白:成人している天皇の代わりに政治をおこなう役職

菅原道真を蹴落とす

皆さんには、ライバルと呼べる人はいますか? ライバルは、お互いにがんばり合う関係が好ましいものです。しかし藤原氏は、ライバルの貴族を次々と蹴落としてトップに上り詰めていきました。そしてそのライバルの代表格が、学問の神様として有名な「菅原道真(すがわらのみちざね)」です。

菅原道真は、藤原氏と同じく平安時代に活躍した貴族です。勉強熱心のエリートで、朝廷のなかでどんどん出世していき、894年に遣唐使の停止も提案しました。遣唐使の停止によって、唐(当時の中国)の文化の影響を受けることがなくなり、日本独自の文化「国風文化」も生まれます。その後、菅原道真はスピード出世を果たし、右大臣(朝廷で2番目にえらい職)に就任しました。

■ゴロ合わせ
894年:菅原道真が遣唐使の停止を提案……白紙(894)に戻す遣唐使

菅原道真の目覚ましい活躍を見て、焦る藤原氏。そこで当時の天皇に、「道真が天皇の座を狙っている」とウソの報告をします。将来有望だった菅原道真でしたが、天皇は激怒。九州の大宰府(だざいふ)に流され、その一生を終えました。強力なライバルがいなくなったことで、藤原氏はホッと胸をなで下ろしたに違いありません。

太宰府天満宮と大宰府の違い

合格祈願のスポットとして知られる「太宰府」天満宮と、当時の九州の役所を指す「大宰府」は字が違います。藤原氏のウソで大宰府に流され、その地で亡くなった菅原道真でしたが、その死後、都に雷が落ちたり、藤原氏やその関係者が突然死んでしまったりと不吉なできごとが次々と起こりました。人々はこれらの不吉なできごとに対し「菅原道真の呪いだ! たたりだ!」と考えるようになります。そこで、菅原道真の霊をしずめるために「太宰府天満宮」という神社を建てることにしました。そして朝廷内の藤原氏のウソで地方に流され、無念な思いで亡くなった菅原道真をまつる神社ですから、神社の名前には朝廷の役所のひとつ「大宰府」と同じ字は避けようと考えたのです。そこで神社や地名には、役所の大宰府とは異なる「太」の字を使うようになったのですね。

摂関政治の全盛期

摂関政治の全盛期は、藤原道長のころです。藤原道長は4人の娘を天皇と結婚させ、1016年には摂政となり活躍しました。政治の中心になるなど、自分の思い通りに何もかもうまくいったことから、藤原道長は気分よく歌を詠みます。

この世をば 我が世とぞ思う 望月の かけたることを なしと思えば

この歌は「この世のすべては、おれの思い通りだなあ。満月が欠けずに真ん丸なように、何も足りないものはない(大満足だ)」という意味。これを詠んだときには、おそらくドヤ顔を決めていたことでしょう。

ちなみに、藤原道長の娘の彰子(しょうし)には、紫式部という家庭教師がつきました。日本独自の文化・国風文化が栄えるなか、『源氏物語』を書いたのが紫式部です。そして藤原道長の兄(道隆)の娘・定子(ていし)には、清少納言がつきました。清少納言は、「春はあけぼの……」の書き出しで有名な『枕草子』を書いたことで有名ですね。女性作家が増えた時代でしたが、彼女らを中心に「かな文字」(漢字を崩した文字)が使われ始めたのもこの時期です。

摂関政治のおとろえ

藤原道長の息子・頼通(よりみち)は、関白として活躍します。しかし、頼通の娘には息子がなかなか生まれず、天皇家とのつながりが弱まってしまいます。こうして頼通のころから、藤原氏は徐々に権力が弱くなっていきました。

藤原頼通は、10円玉に描かれた平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)を建てた人物としても知られます。頼通の「みち」は「道」と書くとミスになってしまいます。よく確認しておきましょう。

貴族ナンバーワン! 政権を勝ち取った藤原氏

藤原氏は自分の娘を天皇と結婚させ、天皇の代わりに政治をおこなう一方、ライバルを蹴落とし貴族のナンバーワンの座もつかみ取りました。藤原氏がどのような方針で政治をおこない、どのように衰えていったのか、イメージを膨らましつつ覚えていきましょう。


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※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

都内の中学受験専門塾で社会・国語担当として活躍。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。