連載 【小説】ボリュゾっていうな!

『ボリュゾっていうな!~ギャルママが挑む″知識ゼロ“からの中学受験ノベル~』第8回

専門家・プロ
2023年8月04日 杉浦由美子

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進級を控えた冬、小3ママたちの話題はもっぱら中学受験の塾選びのことばかり。シングルマザーの茜(アカネ)は「うちには関係ない」と思っていたけれど、ひとり息子の照(ヒカル)が「中学受験をするんだ」と言い出して?! ギャルママ31歳が挑戦する “知識ゼロ” からの中学受験ノベル。どのぐらいお金はかかるの? 仕事が忙しいんだけど平気? ミリしら=1ミリも知らない状態で、いろんな塾の説明会に参加してみたけれど、エリート塾はやっぱり素敵で……。勉強が超苦手なギャルママの視点を通して知る中学受験の実像。

前回までのあらすじ

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不登校気味だが、超難関中高一貫校「渋幕」に行きたいと言い出した照(ヒカル)のために、中学受験の塾について調べ始めた(アカネ)。生徒の4分の1が毎年「渋幕」に合格するエリート塾・エックスの説明会に参加し、説明のわかりやすさ、講師の対応のよさに惹かれて、照に入塾テストを受けさせる。結果は合格! もしかして照は勉強ができるんじゃないかと期待する茜だったが、別れた夫・ケンゾウに「エックスの入塾テストなんて基本的に誰でも受かる」と言われ、実際に8割合格すると知って、ショックを受ける。照も茜の仕事の忙しさを気遣い、親の負担が大きいエックスじゃなくてもいいと言い出した。では、どこの塾にしよう。中学受験にはケンゾウの協力も必要だから、彼も納得させる塾にしなくてはならない。

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『ボリュゾっていうな!』第8回

「塾ってさ、いい場所にあるよな。家賃が高そうだ。採算とれるのかな」

 ケンゾウは駅の北口にある高層のオフィスビルを見上げた。ここに大手塾、慶應アカデミーが入っている。エックスからは大通りを挟んで斜め向かいといった位置だ。

「東京に比べたらこのあたりは安いし、客単価は変わらないんだろうし」

 茜は言葉を返す。エックス以外の大手塾も駅前のビルに入っている。

 もう一度、ケンゾウと中学受験について話した。ケンゾウは基本的に、照本人が希望していることはかなえてあげたい人だ。だから、身の丈にあった中学受験ならやらせてもいいと思い始めている。ただ、親が手厚く勉強のフォローをしなくてはならないことがネックになって、エックスには断固反対のようだった。

 だったら、通わせたほうが親も楽になる塾なら、納得するはずだ。茜が仕事をしている時間に照を見てくれるような、学童の代わりにもなる塾に通わせよう。面倒見がよくて、塾にお任せが可能なところを探そうと提案し、さらにケンゾウも塾選びに参加させることになった。今ごろ気づいたが、塾を茜が勝手に決めることも気に食わないのだ。

 納得してくれて、塾代を半分負担してくれたら助かる。茜は決めた。ケンゾウは元夫ではなく、照の「タニマチ」だと割りきる。そう、「タニマチ」。相撲とりや歌舞伎役者の才能を買って、金銭的な支援してくれるご贔屓筋だ。気に食わないことがあっても、なんとか付き合っていくしかない。

 照はひさしぶりに両親とお出かけができると機嫌がよかった。

 片手をママに、もう片方の手をパパにという形で歩こうとしたが、それには茜が抵抗を示した。すると、すぐに手を引っ込めて、パパと手をつないで歩いていた。

 中学受験の大手塾で海浜幕張にあるのは、エックス、慶應アカデミー、能開研。どこも駅前に入っている。今日は慶應アカデミーに来た。大手塾では最も面倒見がよいとママ友から聞いたからだ。

 ダウンのコートを脱ぐと、ケンゾウは珍しくテイラードのジャケットを着ていた。

 茜とケンゾウは面談室のようなところに通され、照は別室でテストを受けることになった。

 30分ほどのテストが終わると、すぐに「合格です。3クラスありますが真ん中のクラスです」と言われた。

 あんまり簡単に入れるのも拍子抜けする。校舎長は熱心だったが、「打瀬中学も公立ですからそうレベルは高くない」と表現したことに、ケンゾウはカチンときたようだ。公立を下に見るような発言が嫌だと。

 茜は廊下の張り紙が気になった。

「当塾では講師が生徒を怒鳴りつけたりはしません」

 そういうことがあるから張り紙するのだろう。茜が通っていた高校の廊下にも「走らないで」「メイクや染髪は禁止です」と張ってあった。行儀がいい子が集まる高校なら絶対にそんな張り紙はない。

 帰り道に「あそこは違うね」という話になった。

 宿題の丸つけまで全部塾でやってくれるし、自習室があって、わからない問題があればいつでも講師に質問ができる。勉強をすべて塾で完結させてくれる。働くシングルマザーにとっては理想的なサービスの塾だが、茜とケンゾウがふたり揃って「違う」と感じたら、なしである。

 

 照は「サーティーワン! ホッピングシャワー!」と騒いでいる。

 近くにフードコートがあって、サーティーワンもあるのだ。青信号が点滅する中、照は走って横断歩道を渡ってしまった。

「ないのかな。アットホームで照を安心して預けられる塾って」

 ケンゾウが呟く。茜は、ふと近所にある海浜ゼミナールを思い出して、それを伝えた。

「知ってる。子どもがたくさん出入りして、賑わってていい感じのところだよな。そこ、見に行こう」

「駄目。太朗がね、あそこの公立中学進学コースに通っているんだって」

「違うコースなら曜日も違うからいいんじゃないか」

「でも、自習スペースで会うかもしれないじゃない」

 信号が青になった。ふたりでゆっくりと歩き出す。

 天気がよく、陽も射しているのに、乾燥しているせいか、頬に冷たい空気が当たる。

 「どうしたもんかな」とつぶやくケンゾウと歩いて、照が待っているフードコートの前までたどりつく。

 バスターミナルが広がっていて、バスがゆっくりと、かつ絶え間なく出入りしている。

 その向こうにスターバックスがあって、さらに横に駅の階段があり、人たちが降りてくる。

 一月の下旬、みなダウンコートを着て、寒い中、動き回っている。

 中学受験をしたいという照の望みをかなえるためには、茜もケンゾウも納得できる塾が必要なのだ。茜はすうと大きく息を吸ってから、元夫に言った。

「わかった。どうにかするよ」

「サーティーワン! ホッピングシャワー! ママはチョコミントでしょ」

 照が口を挟むが、聞き流す。

「なにがわかっただよ」

 ケンゾウがイラッとした口調で言う。

「とりあえず、アイスを食べよう」

 茜は息子のまだ小さい背を押して、それから振り返って言う。

「パパはもう帰っていいよ」

 照が駆け出した。茜もそれを追って、フードコートがあるビルに入っていった。

 

「さあ、照、言おう」

 照は目をぎゅっと強くつぶって、うつむいたままだ。

 茜は息子の手を握り締めて、もう一度促した。

「ちゃんと自分で言うの」

 照は下を向いたまま、身体を前にかがめて、大きな声で叫んだ。

「僕を叩いたりしてこないで!」

 言い終わるとくるっと身体の向きを変え、太朗の家の玄関から一直線に出て行った。偉い、よく言えたと、誇らしさが胸に満ちる。

「このように、うちの息子は太朗くんから叩かれたり、首を絞められたりしていることに苦しんでいます。これからは絶対にしないでください」

 茜もはっきりと言葉にする。太朗のママは、土下座せんばかりに平謝りしてきた。横にいる太朗も神妙な顔をしている。

「本当にごめんなさい。なんども言ってるんですけど。もう二度と照くんに近づかせません」

 このママともかつては仲よくしていて、コストコでまとめて買ったパンを分け合ったこともある。薬剤師かなにかで、夫は医者。お金はあるはずなのに、相変わらず、白髪も染めず、ヨレヨレのセーターを着ている。

「本当は夫もここにいるべきなんだけれども、患者さんが急変して、病院に行ってしまって。いつもこんな感じで、肝心のときにいないんだから」

 そういうこの母親も、病院勤務で夜勤も多いと、以前こぼしていたことを覚えている。保育園児の妹もいるのに、ワンオペ育児だから、自分や子どもの身なりにも気を使えないのだろう。親は、自分の子どもがいじめられるよりも、いじめをする方が、たぶん辛い。それは痛いほど理解していたから、茜も今まで我慢をしてきたのだ。

 太朗が公立中学に行くという情報も確認した。

 照が中学受験で中高一貫校に入れば、中学以降は太朗と学校で接することはない。太朗は中学受験をしないのだから、わざわざ塾の自習スペースに来てまで勉強をすることもない。

 太朗の家の玄関を出て、エレベーターホールに行くと、照がいない。先に降りたのだろうか。エントランスから外に出た途端、後ろから押された。小さな手の平が背中に当たっている。

「僕、言ったよ」

 涙ぐんだ目の照がいた。

「言ったね! 偉い!」

 茜は照の両手を持って万歳をさせた。

 これで塾にも通える。あの小さな塾なら、先生たちの目が行き届いているから、照が一方的にいじめられるようなことがないか、気にかけてもらうこともできるだろう。

 

「個人塾で大丈夫なのか。大手の方が情報を持っているだろう」  

 ケンゾウは海浜ゼミナールの入塾テストの帰りに訊いてきた。照がテストを受けている間、茜とケンゾウは入塾の説明を受けていた。

「近隣の学校しか受けさせないつもりでしょ。それならそんなに幅広い情報はいらないと思うよ」

 塾長の受け売りを、茜はさも自分の考えのように話した。

「だけどさ、あんなにオンボロなのはどうなんだ。店をやっている立場としてさ、どうかと思うよ」

「同じマンションのママもね、子どもを通わせていたけど面倒見がいいって」

 この塾なら、照はひとりで行き帰りができる。なんといっても、マンションのエントランスから徒歩5分だ。高校受験の授業もあるから、夜遅くまで自習スペースにいることができて、そこで学校の宿題もやれるらしい。

「まあ、合格実績は立派なんじゃないか。渋幕にも合格者がいるし」   

 大手3塾の入塾テストで、能開研では上のクラス、慶應アカデミーでは真ん中、エックスでは下から2番目のクラスと言われた。各塾に入ってくる生徒の学力がよくわかる。実際の進学実績ともだいたい一致しているように思う。「中学受験はやってみないとわからない」というが、入塾の段階である程度は決まってしまっているのかもしれない。

 照はまだ渋幕に入ると夢見ているが、茜はもっと現実的に考えている。近いボリュゾ校だと大正学院があるが、そこも十分に難しいはずだ。

 海浜ゼミナールは2クラスで、1クラスは6人だそうだ。照は下のクラスのスタートだけれども、頑張れば上のクラスに上がれるとも言われた。

「そういや、新しい店、見に行ったんだろう。どうだった?」

 オーナーと空いているという美容室の物件を見に行った。思ったより設備が新しくて、最低限の費用でリフォームできそうだ。さすがは商売上手なオーナーが見つけてきた物件だ。

「企業秘密です。でも、頑張るよ。照のためにも」

 そして、自分のためにも。照のために努力することは自分のためにもなるのだ。

 そういって、茜は照の手をとって、握った。

「パパ、またね」

 茜の声に応じるように、照は父親の手を放した。

「ママ、早く! 美優ちゃんとオンラインゲームをするんだ」

「おい、ゲームをやらせているのか」

「受験勉強をするにも息抜きは必要でしょ。一日30分だけはゲームをしていいって約束なの」

 近道をしようと公園の枯れた芝生がまだらに覆っていている上を歩いて行くと、急に照が走り出し、茜もそれについていく。2月の寒空の下、風がふき、冬でも広い葉をつけた木が揺れる。その向こうに見える陽は驚くほど明るかった。

(第1話完/第2話は9月からスタートの予定です)

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中学受験の用語解説「個人塾」

地域密着の個人塾は数がどんどん減っています。大手塾が校舎を増やしているため、地元密着の塾は淘汰されてきました。反対にいうと、その世情の中で生き残っている個人塾や中小塾はとても優秀なわけです。口コミで生徒を集められるのは、卒業生の満足度が高いからです。塾長や講師たちと生徒の距離が近く、精神的な安定感を与えてくれることも。塾を選ぶときには、大手塾だけでなく、小さな塾も見学に行ってみることをおすすめします。

(イラスト:ぺぷり)

※記事の内容は執筆時点のものです

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