学習 社会

一世一元の制が始まったのはいつ? 明治新政府の政策をまとめよう

2019年5月28日 兵藤 かおり

2019年、新しい天皇が即位し、元号が「平成」から「令和」に変わりました。現在のように、天皇一代にひとつの元号が定められるようになったのは明治時代からです。この制度を「一世一元の制(いっせいちげんのせい)」といいます。

今回は「一世一元の制」をはじめとする明治新政府のおもな政策を取り上げます。明治時代のキーワードには、これまで習っていない漢字や、漢字四文字の名称が多く出てくるので混乱しがちです。漢字と読み方、内容が一致するようにお子さんと一緒にノートにまとめてみてください。

明治新政府の「御一新」

1868年、明治新政府の方針を示す五か条の御誓文(ごせいもん)が発せられました。江戸から東京へ名称が変えられ、年号が慶応から明治に改元するなど、新時代への期待が高まり「御一新(ごいっしん)」という言葉が社会に広まりました。

五か条の御誓文と明治新政府の方針

1868年(明治元年)3月、明治天皇が神へ誓う形で五か条からなる新政府の方針が示されました。これを五か条の御誓文といいます。内容は次のようなものでした。

一、政治のことは会議をひらき、みなの意見できめよう
一、身分の上下関係なく一つになって政治を治めよう
一、政府や武士、一般の国民もそれぞれの責任を果たそう
一、悪い風習を捨て道理にかなった方法でやっていこう
一、知識を世界に求め、天皇中心の国として発展させよう

なお、五か条の御誓文が発布された翌日、一揆の禁止やキリスト教の禁止など国民が守るべきことが示されました。高札場(こうさつば)という立て札を掲示する場所に、五つの立て札(榜)を使って知らせたことから五榜の掲示(ごぼうのけいじ)と呼ばれています。

五か条の御誓文」と「五榜の掲示」は「五」つながりで間違いやすいです。お子さんには漢字の意味に注意をうながし、内容を理解しやすくしておきましょう。

元号を明治に改元し「一世一元の制」に

1868年9月、「明治改元の詔(みことのり)」が発せられ、元号が「慶応」から「明治」に改元。この年は慶応4年ですが、1月にさかのぼり明治元年とすることになりました。

このときに定められたのが「一世一元の制」です。それまでは、天皇や将軍の代替わり、おめでたいことや災いなどにより改元されてきたのですが、このときから現在と同じように、天皇一代につき年号をひとつだけ用いることになりました。

それに先立つ7月には、「江戸」が「東京」に改称。10月には明治天皇が東京へ行幸(天皇が外出すること)し、徳川幕府の居城だった江戸城が皇居となりました。翌年には政府も東京へと移り、いわゆる「東京遷都」が断行されました。

2020年に東京オリンピック・パラリンピックがおこなわれるため、明治元年に江戸から東京に名前が変わったこと、皇居の前身は江戸城だったことに注目してください。

日本をひとつの国にまとめる

一世一元の制とあわせ、明治新政府のおもな政策を整理しましょう。幕府を中心に各地を大名が治めていた江戸時代の幕藩体制(ばくはんたいせい)から、国をひとつにまとめる中央集権はどのようにおこなわれたのでしょうか。

版籍奉還とは?

江戸時代は将軍が頂点となり、幕府の命令に従いながら大名がそれぞれ領地(藩)を治めていました。明治新政府は、天皇を頂点とし、政府に権力を集中させる中央集権国家にするため、第1段階として大名が所有していた領地と人民を天皇に返上させることにしました。これが1869年(明治2年)におこなわれた版籍奉還(はんせきほうかん)です。いきなり藩をなくすより、天皇に返上するほうが大名の抵抗が少ないだろうと考えたのです。

廃藩置県とは?

中央集権の第2段階として、1871年(明治4年)におこなわれたのが廃藩置県(はいはんちけん)です。版籍奉還では藩主が知藩事に任命され、藩という形が残りましたが、この藩を廃止し、府・県を置きました。そして中央政府から府知事や県令を派遣し、全国を政府の管理下に置くようにしたのです。

「版籍奉還」と「廃藩置県」は混同しやすい政策です。漢字の意味とともに、第1段階(版籍奉還)、第2段階(廃藩置県)と流れをおさえると理解しやすいでしょう。

富国強兵とは?

富国強兵(ふこくきょうへい)とは、欧米に追いつくため、近代産業をさかんにして国を富ませ、軍備を強化するという政府の方針です。おもな政策をみていきましょう。

地租改正をおこなう

政府は1873年(明治6年)、財政を安定させるために土地と租税(そぜい)を改革する地租改正(ちそかいせい)をおこないました。税収はおもに農民がおさめる米に頼っていたため、財源が不安定だったのです。

そこで政府は全国の土地を調査し、所有者・地価(土地の価格)などを記した地券を発行。土地の所有者が米を現金にしておさめるようにしました。税率は地価の3%でしたが、農民の負担が大きかったため、のちに2.5%に引き下げられました。

徴兵令が出される

1873(明治6年)、近代的な軍隊をつくるため、満20才以上の男子に3年間の兵役につく義務を課した徴兵令(ちょうへいれい)が出されました。なお、国民皆兵(こくみんかいへい)が原則でしたが、戸主・相続人・官立学校生徒・官吏・代人料(270円)を払う者などには兵役の免除がありました。

殖産興業を進める

富国強兵のひとつの政策として進められたのが殖産興業(しょくさんこうぎょう)です。意味は、生(ふ)やし、産(おこ)すこと。欧米から専門的な技術を持った「お雇い外国人」を採用したり、欧米へ留学生を派遣したりするなど、近代産業の技術を積極的に取り入れました。官営鉄道など国内の交通網を整備し、富岡製糸場(群馬県)などの官営工場をつくり工業の発展をめざしました。

「一世一元の制」まわりの知識も押さえよう

元号が変わる「改元」は、日本史に刻まれる重大な事柄です。そのため、中学受験の社会では元号に関連する問題が様々な角度から出題されると予想されます。今回は、天皇一代にひとつの元号を定める「一世一元の制」が明治時代につくられたことから、「明治初期の政策」というテーマと絡めて整理してみました。重要語句は、お子さんと一緒に漢字の読みと意味をおさえながら、ノートにまとめてみてください。

※記事の内容は執筆時点のものです

合わせて読みたい