連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

「どうしてもここで学びたい!」小1から新幹線通塾を続けた女の子が、発展途上国の支援に飛び出すまでの軌跡|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2021年3月31日 中曽根陽子

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AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は、現在スイスのボーディングスクールに留学中の、飯嶋帆乃花さんとお母さん。帆乃花さんは発展途上国の現状に関心を持ち、一人で電気もガスも通っていない外国の村を訪ねて、学校で子どもたちに授業をするなど、類まれない行動力を発揮しています。その原動力はどこから来ているのか、飯嶋親子に聞きました。

長男への統制的な子育てを反省。子どもがやりたいことをやらせたい

飯嶋帆乃花さんは現在、スイスに留学中の高校2年生。世界中の人、特に恵まれない国の人たちの笑顔を増やすための手段のひとつとして、まずは「医師の免許を取りたい!」という意欲あふれる女の子です。一体どんなご両親のもとで育ったのでしょう。まずは、お母さんに話を聞きました。

「16歳上の長男の子育ての反省から、帆乃花の子育ででは“失敗する経験”を大切にしようと思ったんです。長男の子育ては、数字にこだわっていました。中学受験を経て第一志望校に合格したものの、周りが優秀な子ばかりで自信をなくして、覇気がなくなってしまったんです。その様子をみて、公立中学への転校を決めました」(お母さん)

長男は転校先の中学で友達と先生に恵まれます。成績も上位を維持。それが本人の自信にもなって、次第に元気を取り戻したそうです。しかし、お母さんはそれでも「当時は、いい学校に入ることが大事と思い込んでいた」と言います。高校受験の時も成績にこだわってしまい、頭ではわかっていても、成績を見たらついガミガミ言ってしまう。

その様子を見たお父さんが「母親と離れたほうが良い」と、長男に全寮制の学校への進学を提案します。そして、高校から全寮制学校へ進学をしたのです。この経験にお母さんは、「自分の子育てを見直す機会になった」と話します(その後、息子さんとの関係もよくなり、今では立派に自立しているそうです)。帆乃花さんが生まれたのは、ちょうどその頃でした。

上の子の子育ての経験を生かしたい ―― そう考えていたお母さんの方向を決定付けたのが、花まる学習会代表・高濱正伸さんの『メシが食える魅力的な大人に育てる』という新聞記事でした。夫婦で高濱さんの講演会にも参加。「もめごとはこやし」「外遊びが大事」など、心に刺さるフレーズに魅了されたと言います。

幼少期の帆乃花さん

直感と勢いで、思ったら即行動。名古屋からの新幹線通塾が始まる

帆乃花さんは小学生になると、私立の学校に通うようになります。しかし、その学校はもめごとが起きる前に先生が止める環境で、両親は「みんながいい子になっている」と感じていました。

子どもが逞しく育たなくなってしまうのでは ―― そう思った両親は、花まる学習会の野外体験に参加させることを考えます。ところが塾に問い合わせると「遠方から通う時間があるなら。外遊びをしたほうがいい」と断られてしまいます。

しかし「直感と勢いで、思ったら即行動」が信条のお母さん。諦められずに、地元・名古屋から帆乃花さんを連れて上京、直談判して入塾することになりました。その流れで体験授業を受けてみたら、とても楽しそうな帆乃花さんの姿が。帆乃花さん自身も「ここに通いたい!」と思い、毎回、両親にお願いして週末に通うようになっていきました。

夫婦共に仕事をしていたので、連れて行けないときも出てきます。しかし、子どもは行きたがる。次第に一人で行かせても大丈夫だと思うようになり、時にはキッズ携帯をもたせて、一人で行かせるようになりました。

野外体験での写真。穫った魚にかぶりつく帆乃花さん

何を学ぶかよりも、誰から学ぶか、誰と関わるか

帆乃花さんは、当時の気持ちを「楽しくて、教室に通う日が待ち遠しかった。花まるには熱い先生が多くて、正面から向き合ってくれる。それが嬉しくて、『また行きたい!』という気持ちになっていました」と振り返ります。

「楽しい!」のはもちろんのこと、「先生がどう向きあってくれるのか」ということが、子どもが学びたくなる大きな理由なのですね。

帆乃花さんは、大学まで一貫校の私立小学校に通っていたので、中学受験をするわけではありませんでしたが、小学校高学年になると、同じ花まるグループが運営する、中学受験のための教室・コースにも通うようになりました。なぜなら、両親が「何を学ぶかより誰から学ぶか、誰と関わるか」を大事にしていたから。「この人と関わらせたい!」と思う先生がいた教室が、中学受験のためのコースだったのです。

野外体験で秘密基地づくり。夢中になって遊んだ体験は宝

学ぶことが楽しい。週末の塾通いが活力に

両親が「関わらせたい!」と思ったのは『西郡学習道場』という教室でした。「伸びない子はいない」の信念のもと、主体的な学習を通して、学習の喜びや醍醐味・教科のおもしろさを感じ、将来の礎になる学習の仕方(学習法)を習得する場です(西郡学習道場HPより)。勉強が得意ではない子もいる道場ですが、一人ひとりに向き合い、子どもたちは学びのおもしろさに目覚めていくようです。

授業が始まる前には必ず、「学ぶやり抜く意思を持つ」「学ぶ・できた・わかった・喜びを感じる」「自らの頭で考え考え抜く」「想像力を働かせる」「逃げない正面から取り組む」「すぐにできるものはない。だから続ける」「諦めない。なにか方法はある」など、29個の心得を全員で読みあげてから、学び始めます。

教室の代表・西郡文啓先生は高濱先生と共に、花まる学習会を立ち上げた方。お母さんは西郡先生について「損得なく、子どものことしか考えていない先生。直感でこの先生に関わらせたいと思った」と話します。

さらに、帆乃花さんが5年生になってからは、同じく花まるグループの『スーパー算数』という教室にも通いました。スーパー算数は、思考系の問題をとことん突き詰める教室で、そこには知育アプリ『Think!Think!(シンクシンク)』を開発した川島慶先生(現・ワンダーラボ代表取締役)もいました。教室では一つの問題に2〜3時間かけて取り組むこともあったそうです。

スーパー算数に入るためには、試験に合格しなければなりませんでしたが、「ここに入れば憧れの先生に会える!」という気持ちで、帆乃花さんは勉強を頑張りました。5年生からは、月曜日の夜19:00からのスーパー算数の教室に間に合うよう、新幹線で上京し、夜行バスで帰る、そして次の日また学校に行く。こうした生活が続きました。学ぶ意欲に駆り立てられ、通い続けたのです。

この当時、川島先生の紹介で親子が出逢ったのが、“イモニイ”こと井本陽久先生でした。井本先生は栄光学園の数学教師で『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも取り上げられた著名な先生です。親子ともに、「この先生からもっと学びたい!」と思いますが、平日は通えません。すると、お母さんと帆乃花さんはまた直談判。井本先生の教室(現・いもいも)を作ってもらって、中学生になっても週末の塾通いが続いたのです。

「帆乃花は、自分の意志を持っていたほうだと思いますが、高濱先生や花まる学習会の先生方と出会っていなかったら、こういうことはしていなかったと思います」とお母さん。帆乃花さんのやりたい気持ちを大事にして、必要だと思う環境を与え続けたのです。

花まる学習会で訪れた沖縄でのひとコマ

一人で海外にも出掛けていく行動力

週末の塾通いのほかに、帆乃花さんが熱心にしていたのが、発展途上国を訪ねることでした。初めて海外にいったのは小学4年生の時。テレビで、ベトナムの枯葉剤の被害者であるベトちゃんドクちゃんのことを見て、「どうしても現地に行きたい」と思ったそうです。

帆乃花さんは、自分で旅行会社を訪ねて、どうすれば行けるか相談した後、「ベトちゃんドクちゃんの病院や孤児院を見て回りたい」と両親を説得。さすがのお母さんも、話を聞いた時に、びっくりしたそうですが、子どもの真剣な思いを否定できないので、現地の知人に受け入れを頼んで一人で行かせました。ただ、現地の病院や孤児院を視察するための交渉も、帆乃花さんが自分で対応したと言います。すごい行動力です。親としては、子どもがそこまで望んでいることなら、その気持を大事にしてやらせるしかないと思ったそうです。当の本人は、「とにかく”行きたい!”という気持ちが強くて、怖い、心配、という気持ちは本当に無かった」そうです。

帆乃花さんは、その後もマレーシア、ラオス、カンボジアなど東南アジアの発展途上国を中心に何度も渡航。なかでもカンボジアは、中学3年間で10回以上訪ねた国です。そのきっかけも、中1のときに参加した花まる学習会のサマースクールでした。そこで出会ったガイドさん(渡邉大貴さん、現・ワンダーラボ Asian Regional Director)と仲良くなり、ツアーとは別に連れていってもらった電気・ガス・水道もない「チョンボック村」が大好きになり、その後度々カンボジアへ一人で出かけて現地の人との交流するようになります。

当時を振り返ってお母さんは、次のように話してくれました。

「もちろん心配はありましたが、サマースクールの記録動画で、帆乃花が嬉しそうな顔で活動をしている様子を見たんです。あらためて本人のやりたい気持ちを大事にして、応援しようと思いました。小さい頃から『失敗はどんどんすればいい』と教えて来ましたし、子どもは親の所有物ではありませんから、親が可能性を閉ざしてしまうのはもったいないですよね」(お母さん)

すっかりチョンボック村の人と仲良くなった帆乃花さん。現地の人から頼られる存在のようです。ダムが決壊して、村の水道が使えなくなったときは、村の人から頼まれて、水道工事をしにいったこともあるそう。お母さんは「帆乃花は、自分たちとはまったく違う世界の子です」と笑います。

現地の人に頼まれて水道工事を手伝ったことも

カンボジアの小学校で授業をする帆乃花さん

カンボジアで現地の子どもたちと一緒になって遊ぶ帆乃花さん

「もっと世界に出て学びたい!」高校から留学を決意

帆乃花さんは、小さい頃から人の役に立ったり、人の笑顔を見ることが好きだったそうです。保育園の頃から「お医者さんになりたい」という夢を持つようになり、今ではそこに「恵まれない国で」というキーワードが加わっています。

そのきっかけとなった出来事が、東日本大震災でした。小学校低学年の時、両親と被災地を訪れた際、「目の前で苦しんでいる人たちを助けたい」と思ったのです。「日本にもこんなに困っている人がいるなら、世界中にどれくらいの恵まれない人がいるだろう」と思った帆乃花さんは、両親の背中を見て「世界の恵まれない人のために尽くしたい」という気持ちが大きくなっていったと言います。

帆乃花さんは、小学生の頃から川島先生に「留学したほうがいいよ」と勧められていたそうです。でも、中学生までは「日本のことをもっと勉強しよう」と決め、付属中学に進学します。進学校として有名なその中学校では、勉強中心の日々。成績はトップクラスではありませんでしたが、陸上部に所属して練習に励むなど、楽しい中学校生活だったと振り返ります。

だけど、そこから「もっと広い世界に出ていきたい!」と、高校から留学を考えるようになったのです。アメリカやカナダといった定番の国の留学説明会にも参加しましたが、「あまりピンと来ないな……」と思っていたある日のこと。川島先生が送ってくれたある記事の中にあった、スイスの教育に目が留まり、説明会に参加します。その場で出だされた幾何の問題が”いもいも”で取り組んだ問題と同じで、さっと解けた帆乃花さんは、その場で校長先生からスカウトされたというエピソードも。

最終的にスイスにあるAiglonというボーディングスクールに進学を決めます。進学の決め手は次の点でした。

  • 60カ国以上の生徒が在籍していること
  • 1学年約70人の生徒数に対してその倍の先生がいて、手厚いサポートが受けられること
  • いろいろな文化背景・価値観を持った人と意見を交換できること
  • アクテティビティに力をいれていて、毎週末には山登りをする文武両道の学校であること

「心、体、精神のバランスのとれた発達を目指す」という教育理念に基づいたIB(国際バカロレア)スクールで、帆乃花さんは、多様な仲間に囲まれて充実した日々を過ごしています。

スイスの学校で週末行われる山登り

一度しかない自分の人生。悔いのないように生きてほしい

世界を舞台に羽ばたこうとしている帆乃花さんに、これまでを振り返ってもらいました。

私は周りからよく『諦めないね』と言われます。でも、そうしようと思ってやっているわけではありません。意識せずにそうできているとしたら、それは花まる学習会の先生や両親からの教えの影響があると思います。これまで親から自分がやっていることを否定された記憶が一度もなく、花まるの先生方も、私がどんなに遠回りしていても、なにも否定せず見守ってくださったので、諦めずにやり通す力がついたのかもしれません。

子どものやりたい気持ちを大事にする。正解に早くたどり着く方法を教えるのではなく、たとえ失敗しそうなことでも、子どものことを否定せずに見守る。大事なことだとわかっていても、これをやりきるのはハードルが高いことです。

お母さんにも、どんな思いで子育てをしてきたのか聞きました。

上の子には先回りして、失敗しないように答えを与えてきてしまったと思います。だから、帆乃花には、できるだけ「あなたはどう思う?」と聞き、自分で考えさせるようにしてきました。また、上手く行かない経験を沢山させたかったので、「失敗をしまくれ」と思っていましたね。

主人とは再婚でしたから、帆乃花が生まれた時に夫婦で「どういう大人にしたいのか、どういう子になってほしいのか」をよく話し合いました。小さい頃の躾でこだわってきたことは、次の3つです。

①(朝は親に必ず)挨拶ができるように
② 「はい」と、ハッキリ返事ができるように
③ 履物を脱いだら必ず揃えて、席を立ったら必ず椅子を入れるように

まずこの3つを徹底すること。そうすれば、それだけで人としての軌道に乗れると考えています。①と②は「我」を取ることです。「我」を抜くことは、素直になるために必要なことだと思っています。③は前の動作の締めくくりであると同時に、次の行動への準備だからです。

もうひとつ、わが家では父親を軽視せず、私が主人を立てるという基本的な考えがあります。そのうえで共通しているのは、子どもは親のおもちゃでもないし、子どもには子どもの人生があるということです。なので、自分で考えて行動し、責任ある行動する大人になっていればいいと思っています。欲を言えば、何かしら世間のお役に立てることをしてくれたらそれに越したことはないですね。そのように育てることが親の役目だということです。一度しかない自分の人生を悔いのないように、 感謝の心を忘ず、人様のお役に立ち、楽しく生きていってくれたらと思います。

取材を終えて

小学校低学年で名古屋から東京まで、毎週習い事に通う。レアなケースだと思います。教育熱心な家庭と思われるでしょう。確かに教育熱心なのですが、注目すべきは両親が「何を学ぶかより誰から学ぶか。誰と関わるか」を重視されていた点です。会わせたい人がいる環境がたまたま東京にあったということなのでしょう。しかも「この人と会わせる!」という目利き力がすごい。そして「いい!」と思ったら即行動して、その環境を与える。でも、最終的には子どもの意思をきちんと尊重している。

今ならオンライン学習という新しい環境が整ってきたので、もっと簡単に環境を与える事はできると思いますが、わざわざ出かける経験が、帆乃花さんの諦めずにやり通す力を培った一因でもあるのでしょう。

そんなお母さんも最初の子育ては、目に見える数字や偏差値にとらわれ、失敗を恐れて子どもが歩く人生を整えようとするものでした。それをしっかりと内省できたからこそ、帆乃花さんには、思い切った決断ができたのかもしれません。

「一度しかない人生だから、やりたいことや自分が正しいと思ったことは、周りにどんなに反対されようと、やるべき」「地球は行動の星だから、動かなければ何も得られない」「感謝に勝るスキルはない。それがなければ、どんなにいい教育を受けようと、最高のものはできない」などなど、取材中にお母さんさんの人生哲学ともいえる言葉が何度も出てきました。

帆乃花さんは、そんな言葉をまっすぐに受け止めて育ったから、自分のやりたいことを見つけていったし、世界に視野を広げていけたのだと思います。親が思うように子どもをコントロールするのではなく、子どもを一人の人間として尊重し、その思いを実現するためにサポートしていった結果なのでしょう。世界に羽ばたいて活躍するであろう、帆乃花さんのこれからが楽しみです。

※記事の内容は執筆時点のものです

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