連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

トレセンにも選ばれたサッカー大好き少年が東大進学後、世界最難関のミネルバ大学にも合格|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2022年8月08日 中曽根陽子

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AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は、東京大学2年生(取材時)で、8月からミネルバ大学に進学予定の煙山拓さんです。「世界中がキャンパスのミネルバ大学で、それぞれの国の社会課題解決を経験し、誰かの役に立てるようになりたい」と希望を語ります。幼少期から始めたサッカーは、東京都トレセン(※)にも選ばれるほどの実力を持ちながら、選手の道ではなく大学進学を選び、東大と海外大の両方を視野に入れて受験勉強に集中して、みごとに難関を突破しました。そんな意欲的な青年がどのように育ったのか聞きました。

※トレセンとは、日本代表を育てるためにレベル別に選手を選考し個の育成をする、日本サッカー協会が主催している機関のことです

6歳から始めたサッカーで海外遠征も経験。中学受験にも挑戦

煙山拓さんは、東京大学文科2類に在学中の19歳(取材時)。この8月から東大を休学し、世界最難関大学のひとつとも言われるミネルバ大学に進学予定です。

まず、そんな拓さんの子ども時代から話を聞きました。

家族構成は、両親と兄と弟の5人。お父さんの仕事で小学4年生まで中国の上海で過ごし、帰国後は都内の公立小学校に通いました。兄の影響で小学1年生から上海のサッカーチームに入ります。サッカーは、帰国後も継続。小学6年生で東京都トレセンに選出されて、代表としてドイツ遠征にも参加するほどでした。

小学6年生で東京都トレセンに選出される

兄の影響で中学受験塾にも通い、受験勉強もしていました。サッカーと中学受験の両立は大変な面もありましたが、特別にプリントを出してもらったりしながら、頑張ったと言います。

中学受験の結果は、第一志望の駒場東邦(東京都)は不合格。帰国子女枠で受験した聖光学院(神奈川県)に合格し進学します。

その当時の心境を、「第一志望に落ちたのがすごくショックで、最初はすごくガッカリしていました」と振り返ります。しかし、その心境は進学後、変わります。

「聖光学院は入ってみたら、最高にいい学校でした。ノビノビやらせてもらえて、勉強のフォローアップも丁寧です。モラルに反することをしたら怒られますけれど、それ以外は柔軟で、いろいろなタイプの生徒がいて、お互いにリスペクトし合っています」(拓さん)

こんなふうに母校を語れるっていいですね。

負けず嫌いな性格。でもそれだけではない。サッカーも学校も勉強も「楽しかった」から頑張っていた

中学入学後も、クラブチームのFC東京に所属し、週5日は学校のある横浜から、クラブがある国分寺まで片道、約1時間半をかけて通っていました。

「サッカーも勉強も、学校生活も頑張る!」

勉強面のモチベーションはどこから生まれたのか。

「小さい頃は、兄に負けたくないとか、勝ちたいという思いが強かったです。大きくなっても、テストでは人に負けたくないという気持ちがありました。それがエネルギーになっていたところはあると思います。でも、頑張るというより、サッカーも学校に行くのも、勉強も、『楽しいから』やっていました。聖光学院の教育は、縛り付けられてやらされるという感じではなくて、友達同士でわからないところは教え合おうという雰囲気があって、楽しかったです」(拓さん)

そんな拓さんの苦手な科目は、古典や生物で、好きな科目は数学や社会だったそうです。英語は「好き嫌いというより、海外に行ったときに使えたら楽しいし、将来必ず必要になるのでやる」という感じだったとか。

では、サッカーはどうだったのでしょう。選手を目指してやっていたのでしょうか。

「中学生の頃は、特に将来のことは考えていませんでした。サッカーは選手になりたいというより、勝ちたいから、周りの人に負けたくないから、好きだからやっていた」と言う拓さん。

しかしプロの世界は、もともと身体的に恵まれた人がさらに努力してなる世界。プロを目指す人は、遊びもせずに、ひたすら練習しているし、怪我をすれば選手生命を絶たれることが日常です。高1くらいから、プロのレベルの厳しさは嫌という程わかっていたらしく、「自分は大学に行こう」と思っていたそうです。それでも高3まで辞めずに続けたのは、やはりサッカーが好きだったからなのでしょう。

しかし高3の9月。だいじな全国大会の予選を前に、大怪我をして手術することになってしまいます。プレイヤーとして引退した拓さん。当時のことを次のように振り返ります。

「コロナの影響でなかなか試合がなくて、やっと出られる最後のチャンスを逃したことはショックでした。でも起きたことはしょうがないし、その状況で何ができるかを考えて受け入れました。出られなかった試合の応援に行ったら、チームメイトが自分のウエアを掲げてくれていて、それを見てチームメイトがサッカーで頑張っているなら、自分は勉強を頑張ろうと思えました」(拓さん)

この切り替える力も、さすがですね。

サッカーと勉強、友人たちとの思い出が詰まった中高時代

海外大と東大、両方を視野に入れた受験準備に集中。両方に合格

海外大学を意識し始めたきっかけは、高2になる前の春休みでした。

学校の研修でシリコンバレーに行き、スタンフォード大学に通っている先輩が「大学で何のために学んでいるか」を、楽しそうに話すのを聞いたのです。また、幼少期を上海で過ごしたこと、中学時代にイタリア、ドイツ、デンマークに海外遠征をした経験もあり、海外が身近な存在だったことも大きかったと言います。もちろん海外大の受験準備は大変ですが、大変だからというのは拓さんにとって諦める理由にはなりませんでした。

海外大進学について、学校は全面的に指導をするわけではないけれど、毎年一人は海外大に進学する生徒がいるし、ルートはわかるはず。 ―― そう思った拓さんは、自らいろいろ調べて、最終的にプリンストンやイエール、カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)を受験し、UCバークレーに合格したのです。

一方の東大は、高校時代に大学の授業に参加して、とてもおもしろかったので「そっちもいいな」と思ったそうです。東大受験に切り替えて勉強をして、こちらも合格。

4月、東大に進学すると、入学後は再びサッカー部に入部しました。しかし、こちらは1年で退部することになります。退部の理由は2つ。怪我が治って、以前のようにプレイできるようになれるかもしれないという気持ちで入部したけれど、そうはできない現実にぶつかったこと。また、週6日練習があって、ほかに時間を使えないことが理由でした。

しかし、東大サッカー部で得たものは大きく、自分とは違ってサッカーのエリートコースではなかった人でも、頑張って練習すれば上手くなる。そんな様子を見て、「環境は大事だけれど、そこで何をするかの方が大事だと気づき、それまでのステータス重視の考え方をしなくなった」と振り返ります。

UCバークレーと東大に合格

ただ海外大に行けばいいわけじゃない。あらためて大学で何をしたいかを考えた結果、進路を変更

UCバークレーは最終的にどうなったのかというと、進学を辞退しました。

なぜならUCバークレーは、専門的な分野を講義形式で学ぶことが多く、いい点数を取らないと行きたい学部に入れないので、まわりと争う感覚が強いということを知ったからでした。また大学では、テストに向かって頑張る勉強ではなく、「自分は何をしたいか考えるための勉強をしたい」と思ったからだそう。学費が高いことも懸念のひとつでした。

では、東大での学びはどうだったのか。

サッカー部の練習があり、取りたい授業を取れなかったこともあるそうなので、「自分が全てを知っているわけではないが……」という前提で話をしてくれました。

「1、2年生が取れる授業は限定されていて、インタラクティブな授業が少ない」「コロナの影響もあって、動画を一方的に見るだけの授業も多かった」「学位を取ること以外に、大学に行く意味があるか……」などと感じたそうです。

これは、コロナ禍できっと多くの大学生が感じたことかもしれません。

でもこれは、アメリカの大学も同様で、コロナ禍でオンラインの授業を垂れ流しているだけという実態もあったようです。しかも、「海外大で学ぶのにも、闇はあるんです」と拓さんは言います。

「一流の海外大学は、卒業生の子どもが有利というレガシーがあるし、アジア系の人種は受かりにくいという実態もあります。学費は高騰していて、結果的に多様性もそれほどない印象です。だから、海外大に行けば多様な価値観に触れられて、意欲的にインタラクティブな学びができると盲信するのも違うと思います」(拓さん)

合格率2%未満のミネルバ大学に挑戦。見事合格

自分は少人数のゼミ形式の学びがしたい ―― そう思った拓さんは、東大進学後にあらためて海外大学のことを調べ直します。そしてミネルバ大学を受験。合格率は2%未満というなか、見事合格したのです。

ミネルバ大学は、まさに拓さんが言うアメリカのエリート大学の現状に対する批判から生まれた大学で、今では世界のエリートが入学を熱望し、ある意味、ハーバード大学やスタンフォード大学などよりも難関と言われている大学です。

1学年は200人くらいの少人数で、留学生が80%ほどを占めます。キャンパスを持たず、4年間で7カ国に行き、プロジェクトを通して学びます。授業は全てオンラインです。知識ではなく、思考法を学び、テストもありません。少人数でのディスカションが中心の授業で、教授は10分しか話しては行けないというルールがあります。さらに授業とフィールドワークのサイクルで、学んだことを実社会でどう活かすかが学べます。受験システムもフェアで、人種、国籍、環境の前提を外して応募でき、オンラインで試験を受けられる。学費もほかの大学に比べて安い。こういったことから近年注目を集めているのです。

「ミネルバ大学の姿勢と、社会で活躍する人材を育てる大学というコンセプトが魅力でした」(拓さん)

ミネルバ大学の受験は学校の成績以外に、発想力や論理力を問われる大学独自の学力テストを受ける必要があります。また課外活動歴も重要です。そこでは、いかに主体的に行動したか、チャレンジしたかが評価されます。拓さんは、サッカーと、高校時代に経済学を勉強したいと考えて、自ら東大のゼミに参加したことや、学校外のプロジェクトに参加した経験を語り、見事ミネルバ大学合格したのです。

チャンスは自ら掴みに行かなきゃ何も始まらない。大事なことはサッカーから学んだ

前向きでアクティブな拓さん。その土台は、やはりサッカーにあるようです。チャンスは自分から掴まないといけない ―― そのことをサッカーから学んだと言います。

さらに、「高校時代のシリコンバレー研修の体験も大きかった」と言います。行きたい会社に自分でアポを取るプログラムがあり、そこにつながるルートを自ら探した経験が大きかったのだそう。

「サッカーとシリコンバレー研修。このふたつから、主体的に動くことを学びました」と拓さん。

サッカーで学んだことは、ほかにもたくさんあると、次のように話してくれました。

「サッカーは努力すれば、そのぶん成長することが多いスポーツなので、努力の大切さを学びました。でも、ただ練習をするのではダメなんです。苦手や弱点を埋めるには、努力の仕方を考えることが大切です。それと、一人ではできない競技だから、周囲とコミュニケーションを取らなくてはいけません。コミュニケーション力も身に付きます。ほかにも気持ちの切り替え方や、挨拶など生きていくうえで当たり前のことを全てサッカーで学びました」(拓さん)

世界の課題を解決し、誰かの役に立てる自分になりたい

ご両親からは、「好きなことをやれ。人の役にたてということは、よく言われていた」という拓さん。最後に将来について聞きました。

「人生は毎日を楽しむことが大事だけれど、周りの人も楽しませることが、自分の幸せにつながると思っています。自分はこれまで、好きなことはやった方が楽しいからやってきました。また、これまで先輩、教授、友達など周りの人たちに恵まれました。幼少期からいろいろな国を見てきて、世界中でいい人たちに出会ってきました。そういう環境にいれたことは大きかった。皆がそうなったらもっと世の中は良くなっていくのに、何がネックになっているのだろう……と考えます。

ですから、どこか特定の国にこだわらず、それぞれの地域が抱える社会課題を解決して、誰かの役に立ちたいと思っています。しかし、そうするためには力も必要です。ミネルバで多様な社会課題に向き合いたい。自分に何が足りないのかを知り、力をつけて、どういう課題を、どういうアプローチで解決するのか、自分が何をしたいかをもっと知りたいと思っています」(拓さん)

アメリカ横断の旅での一枚。スタンフォード大学から

今年8月のミネルバ大学入学を前に、拓さんはアメリカ横断の旅をしました。この旅は 「日本の若者に新しい世界、キャリア、選択肢を提示することで、さらなる挑戦を促し、この国をもっと明るくすること」を目的に、クラウドファンディングで資金を集めて実行しました。(その時のクラウドファンディングのページはこちら

「シリコンバレー研修で人生が変わった」と言う拓さんですが、誰もがそんな体験をできるわけではありません。そこで、今まで自分が環境に恵まれていた分、そうした機会に恵まれてこなかった人たちに自らの挑戦で、少しでも何か還元したいという思いから、自分が渡米して西から東まで旅をしながら、アメリカ各地の教育機関や企業などをYouTubeで紹介する活動を行うことを決意し、実行したのです。

「日本の中高生、大学生、社会人が、何かに挑戦したり将来について考えたりするためのきっかけをつくりたい」という拓さんのYouTubeはこちら(「けむのアメリカ横断記」)です。

ミネルバ大学に進学し、世界をキャンパスにさまざまな体験をしていくことでしょう。拓さんからそのお話を伺えることが楽しみです。

最後に

取材を通して一番に感じたのは、拓さんの礼儀正しさと、物事の本質を捉えようとする眼差しでした。サッカーのエリートコースを歩みながら、勉強も頑張っていた。経験を力にしていく様子はきっと多くの親御さんにとって、羨ましい限りでしょう。でもそれは、やらされていたものではなく、自分の中から湧き出る「やりたい!」という気持ちがあったからこそではないでしょうか。彼の言う、「サッカーも勉強も、純粋に好きだから、楽しいからやっていた」という言葉がそれを象徴していると感じます。彼はある意味、恵まれた環境ですくすく育ったのだと思います。しかし、ご両親は無理強いせず、子どものやりたいことを応援しサポートすることに徹していたのではないでしょうか。

取材中、彼はこうも言っていました。

「授業はいつも一番前に座って聞いていました。自分から意欲を持って受けていくと、興味がない科目でも楽しくなるんです」(拓さん)

サッカーで努力することの大切さを学んだという拓さんの物事に向き合う姿勢が表れているように感じます。通る人が少ない道を行こうとすると困難もあります。しかし、そこには誰も見たことがない景色がある。こういう若者が、新しい世界を作っていってくれるのだと、誇らしく嬉しい気持ちになった取材でした。

※記事の内容は執筆時点のものです

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