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【稲作の歴史】5つの大きなイベントで流れを押さえよう

2021年3月15日 ゆずぱ

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学校の歴史の教科書は、基本的に「時代ごと」に章立てをされています。ところが歴史を学習するうえでは「テーマごと」に押さえていくほうが流れを理解しやすいものです。実際、仏教の歴史、建築の歴史、貿易の歴史、工業の歴史など、テーマごとに流れを押さえると歴史をスッキリ理解できます。それでは「稲作の歴史」について、中学入試の問題を解くために必要な知識も踏まえつつ、その流れを見ていきましょう。

稲作の歴史をザックリ捉える

まず“勉強の鉄則”として覚えておきたい大切なことをお伝えします。それは、ザックリとした全体像を先に押さえることです。一つひとつの項目を単発で捉えるより、はじめに全体像を押さえておくほうがスッキリと理解できます。

稲作の歴史のザックリとした全体像は、5つのイベントを軸に捉えるのがおすすめです。どれも歴史の入試問題で問われやすい重要なポイントです。

稲作は縄文時代に日本に伝わったとされ、弥生時代に広まりました。はじめこそ「食料調達」というシンプルな目的で広まった稲作ですが、奈良時代になると “権力の象徴”へと変わっていきます。鎌倉時代から室町時代には、この“権力の象徴”を効率的かつ大量に生産しようと農業技術がガンガン発展しました。

稲作の大転換期といえるのが、明治時代以降のふたつの改革です。まずは、明治維新。これまで税は「お米」で納めていましたが、明治維新を機に「お金」で納めることになりました。そして、戦後改革。小作農は“奴隷”のように働かされ、搾取されてきた歴史がありますが、その小作農がGHQによって開放されたのです。

5つのイベント

稲作の歴史に関する5つのイベントについて、ひとつずつ深掘りしながら解説していきます。それぞれ冒頭にイラストで要点をまとめていますので、まずは目を通し、全体像を把握してから細部の知識をつけていきましょう。

【1】稲作の広まり ―― 食料を自分たちで生産

※図の西暦はおおよその目安です

旧石器時代から古墳時代まで、日本の時代区分はその「文明レベル」で区分されるのが一般的です。そして弥生時代の文明レベルを図るうえで大きな特徴として挙げられるのが「お米をつくり始めたこと」です。

稲作は縄文時代には日本に伝わっていたと考えられていますが、実際に広まったのは弥生時代といわれています。縄文時代までは、食料は自然界から調達することが主流でした。それが稲作をきっかけに、自らの手でつくるものに変化したのです。稲作の広まりは「食料調達の面で大きな変革をもたらした」というイメージを持っておくと良いですね。

【2】荘園の時代 ―― お米が「権力の象徴」に

稲作が世の中に広まると、身分の差が生まれました。ではどうして、お米をつくることが身分の差につながったのでしょうか?

当時は、お米をたくさん持っている人が高い地位に君臨していました。現在でいうところの“大金持ち”のイメージですね。そして奈良時代になると、貧富の差を加速させる法律が制定されます。次の3つの有名な法律です。

  • 班田収授法 …… 農地の個人所有を一代まで認める
  • 三世一身法 …… 農地の個人所有を三代まで認める
  • 墾田永年私財法 …… 農地の個人所有を永遠に認める

これらの法律の制定もあり、たくさんの土地を持ち、たくさんのお米をつくることが権力の象徴になったのです。こうした時代は「荘園時代」とも呼ばれます。

【3】農業技術の発達 ―― 鎌倉時代から室町時代

お米は、当時の人々が生きていくために欠かせないもの。そのためお米をたくさん持っていることは権力の象徴としての役割を果たしていました。そして当然の流れとして、お米を効率的かつ大量につくる技術が発達していったのです。

では中学受験対策として、鎌倉時代と室町時代に発展した農業技術を見ていきましょう。

肥料の使用

肥料とは、農作物の育ちを良くするために使われるものです。鎌倉時代には草木の灰が、室町時代には人や家畜の糞(フン)が肥料として使われるようになりました。ちなみに人の糞を肥料に利用することは世界的にも珍しく、当時の生産効率は中国や朝鮮に比べて日本が圧倒的に高かったともいわれています。

灌漑技術

灌漑(かんがい)技術とは、田んぼに水を持ってくる技術のことです。鎌倉時代までは単純な「ため池」をつくったり、水路で水を引いたりしていました。一方で室町時代になると「水車」がメインに使われ始めます。水車の利用は、稲作の歴史において重要なポイントです。

二毛作

農業技術としては「二毛作」も忘れてはいけません。二毛作とは、米をつくった土地でほかの作物をつくること。一般的には、1年間のなかで2種類の農作物を育てる技術を指す際に使われます。日本では、米と麦の二毛作が鎌倉時代から室町時代にかけて広まりました。鎌倉時代には主に西日本側で広がり、室町時代になると全国に広がっていった、とイメージしておきましょう。

【4】明治維新 ―― 米からお金へ

江戸時代までは、領主へ納める主な税は「お米」でした。ところが明治時代に大変革が起こります。それが地租改正です。

そもそも、税としてのお米にはいくつか問題点がありました。

税としてのお米の問題点
・天候の影響で不作になると集めにくい
・お米が大量に生産できるようになると価値が下がる

一言でいうと、税としてのお米は不安定だったのです。そこで地租改正が実施されました。この改革で、税は「地価の3%を現金で納めること」に変わったのです。

【5】農地改革 ―― 小作農の開放

戦後、GHQによって農地改革がおこなわれました。

■農地改革
土地をたくさん持っている人の土地を取り上げ、土地を持っていない農民に再分配する改革

GHQが農地改革をおこなった理由として考えられるのが、小作農の存在です。小作農とは、土地をたくさん持っている大地主から土地を借りて農業をおこなっていた人たちのこと。小作農は、収穫した米のほとんどを大地主に持っていかれていました。こうした不平等な状況を正すため、GHQが農地改革を断行したといわれています。

稲作はさまざまな歴史と結びついている

全体の流れを見ていくなかで気付いたかもしれませんが、「稲作」というひとつのテーマであっても、切り取り方次第でさまざまな歴史と結びついていることがわかります。

「食料」の歴史

稲作は農業のひとつです。食料の歴史という点で考えても、稲作は日本にとって大きなターニングポイントといえます。

「権力の象徴」の歴史

稲作は「権力の象徴」という意味も持っています。たとえば江戸時代までは税はお米で納められ、石高(こくだか)と呼ばれる「お米の生産能力」で権力が決まっていました。

「生産性向上」の歴史

稲作は「生産性向上」という歴史とも深く結びついています。現代の稲作は機械を使って効率的にお米を生産できていますが、そこにたどり着くまでには生産性をアップさせるための長い歴史がありました。

まとめ

日本の稲作の歴史について、まずはザックリとした説明、そして各時代でおきたイベントを深掘りしてお伝えしてきました。稲作のポイントは次のとおりです。

■稲作のポイント
弥生時代 …… 稲作の広がり
奈良時代〜平安時代 …… 荘園の時代
鎌倉時代〜室町時代 …… 農業技術の発達
明治維新 …… 税がお米からお金へ
戦後改革 …… 小作農の解放

稲作の歴史に関わるポイントは、ひとつのストーリーとしてもつながっています。単元ごとではなく、ザックリとした全体像をもとに流れをつかむことで歴史の理解を深めていきましょう。

※記事の内容は執筆時点のものです

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