連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

「途上国で活躍する医師になる!」負けず嫌いの少女がインド留学を経て、ロンドンで夢を追いかけ中|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2021年10月13日 中曽根陽子

AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は、現在ロンドン大学で医師を目指して勉強中の島戸麻彩子さんと、そのお母さん。小学生の時に抱いた「途上国医療に貢献できる医師になりたい」という夢に向かい、自らの強い意思と行動力で切り開いてきました。高校2年の時にインターナショナルスクール、UWCインド校に留学した麻彩子さん。インド留学からロンドン大学に進むに至るまでの話を聞きました。

医師を目指すきっかけ

島戸麻彩子さんは、現在ロンドン大学医学部医学科の5年生。卒業後は低中所得国で活躍する医師になりたいと考えています。

低中所得国で活躍する医師というと、「国境なき医師団」のように災害時にピンポイントで医療活動を行うのをイメージするかもしれませんが、今の麻彩子さんが考えているのは、もっと長期的な関わり方――国や地域それぞれのニーズを把握しながら医療状況を改善できるような関わり方です。それが医療資源の分配なのか、健康に関する啓発活動なのか、あるいは医療人材育成なのか、本人もまだ模索中だそうですが、そうした活動のために医師免許を取ろうとしています。

麻彩子さんが夢を抱くきっかけが、小学5年生の時に学校の授業で見た、ハイチ地震のニュースでした。

十分な医療体制が整っていない途上国の現場を知り、心を痛めた麻彩子さんは、「現地で何か活動をしたい」と思ったそう。そして「日本も災害が多いけれど、ハイチのような途上国では、政府がうまく機能していない。医療体制が不十分で、経済支援も行き渡らず患者さんは医療にアクセスできない。自分は医師になって、発展途上国の医療体制を改善する手助けをしたい」と考えるようになったのです。

通っていた小学校で日常的に行われていた募金活動で途上国の現状に触れていたこと。さらに、大地震が起きたことで、集まった支援がうまく国民に配分されない仕組みに気づいたことで、「募金活動だけでなく、実際に現地で直接患者と触れ合い、保健システムを改善できるような仕事に就きたい」と思うようになったと言います。

ロンドン大学医学部の実習中に

どうしても留学したい! 中3のときに出会ったUWC

小学生の時の夢をその後も持ち続けた麻彩子さん。しばらくは日本の大学の医学部に進学しようと思っていました。一方で、どこかのタイミングで海外留学もしたいと考えていたのです。

麻彩子さんは小学校から私立の女子校に通っていましたが、当時は学校に交換留学制度がなく、「行くなら高3の夏からでないと難しい」という状況でした。そうなると医学部受験との両立が難しくなるというジレンマがありました。両親からも「医師になりたいのに高校時代に留学する理由がよくわからない。まず医大に進学して、それから留学した方がいいのでは」とアドバイスされていたのです。

麻彩子さんはそれでも留学を諦めきれませんでした。中3の時、どうにかして留学する道を探していたところUWCを見つけます。UWC(ユナイテッド・ワールド・カレッジ、本部:ロンドン)は、世界各国から選抜された高校生を受け入れ、教育を通じて国際感覚豊かな人材を養成することを目的とする民間教育機関です。日本でも経団連の支援を受けて、1972年から活動が続けられています。

「ここなら奨学金を得て留学できるかも」そう思った麻彩子さんは、お母さんと一緒に説明会に出かけました。説明を聞いて、教育方針に賛同したお母さんも、「ここならチャレンジしてもいいのでは」と思い、麻彩子さんの留学の夢を応援することになったのです。麻彩子さんが留学先として考えたのはUWCインド校でした。

UWCインド校で生物のクラスメイトと

留学のために越えなければならなかったハードル

しかし、まだふたつのハードルを超えなければなりませんでした。ひとつはお父さんを説得すること。

高校でお金をかけて途上国の学校にわざわざ留学するのは、一般的にはあまり考えられないことです。お父さんとは「なぜ高校で留学したいのか」「なぜ途上国なのか」「将来のキャリアへのメリットは何なのか」などを話し合い、UWC留学のチャレンジを承認してもらいました。

もうひとつが学校を説得することでした。通っている学校が一貫教育を重視していて、途中で留学することを奨励していなかったのです。しかし、UWCに留学するには、学校の推薦状を取るのが条件です。そこでお母さんは、「どうしても行きたいなら、自分で学校にプレゼンするように」と麻彩子さんに伝えました。

麻彩子さんは「なぜ今留学したいのか」「なぜUWCなのか」をプレゼンしました。麻彩子さんの熱意を聞いた担任の先生が全面的に支援してくれたお陰で、学校側から推薦状をもらい無事応募することができたのです。

■麻彩子さんが留学先にUWCインド校を選んだ理由

  1. 将来途上国で貢献したい思いがある。行くならなるべく早いうちに、そこに住む体験したほうがいいと思ったから
  2. 学費の半額以上の奨学金が出る地域を選ぼうと思っていたら、その年UWCインド校では全額支給の枠があったから
  3. 今までとは全く違う価値観の中に身を置いて、自分を試したいと思ったから

UWC日本協会の1次審査は、高1範囲の数学・国語・英語の筆記試験。2次審査は、日本語と英語の面接と日本語のグループディスカッションでした。麻彩子さんが応募した年は、130人弱の応募で、18人が合格。そのうち全額奨学金授与者は4人です。麻彩子さんはこの難関を突破して、UWCインド校に派遣されることが決まります。

奨学金がなければ学費・寮費2年分で800万円がかかります。このほかに航空運賃とお小遣いも必要なので、奨学金が取れるか取れないかは大きな違いでした。

「正直、合格するとは思っていなかったけれど、娘の熱意が周りを動かしたと思う」とお母さん。強い意志と行動力で、留学を現実したのです。

インド留学で得たもの・感じたこと

麻彩子さんはUWCインド校での2年間を振り返って「経験したことのない毎日で、やり切った感がありました」と話します。

同校の授業は国際バカロレア(IB)のカリキュラムに則って、オールイングリッシュで行われます。一般的に日本人の生徒の場合、英語の授業はスタンダードレベルを選択するケースが多いのですが、麻彩子さんはあえて英語を母国語とする生徒たちと同じハイレベルな授業に挑戦しました。

印象に残っていることとして、そのクラスでの経験を次のように話してくれました。

「最初は授業中のディスカッションで発言できず、リーディングのスピードにもついていけませんでした。必死で食らいついていましたね。そうやって過ごしているうちに、最終的に英語で古典を読むことも苦ではなくなりました。卒業する時には『一番成長した生徒だと思う』と受け持ちの先生に言われて、嬉しかったです。英語ができるようになったことよりも、逆境の中で周囲のサポートを受けながら、乗り越えていく経験を積めたことが自信につながりました」(麻彩子さん)

課外活動では、友人たちとインドの奥地に出かけ、全員が食中毒になる経験もしたそうです。インド留学で得たもの・感じたことを教えてもらいました。

  • 困難な状況を乗り越えていくマインドが強くなった
  • 全く違う価値観の人と話すことが楽しいと思えるようになった
  • 相手の話を聞くときに、自分の意見もちゃんと出すことの大切さを学んだ
  • 地域の課題解決の前に、人同士で繋がることが大切だと気づいた

どれも医師としても大切なことで、「その基礎を2年間で作れたことがよかった」と、話してくれました。

UWCインド校を首席で卒業

奨学金を得てロンドン大学に進学

麻彩子さんはUWCインド校卒業生120名のなかでトップの成績を修めて卒業した後、ロンドン大学を受験して合格。江副記念リクルート財団の奨学金を得て進学しました。日本の大学ではなく、ロンドン大学を選んだのは次の理由からでした。

  • 英語で医学が学べること
  • イギリスは日本と同じように、高校卒業後、医学部に入学して医師免許が取れること
  • 国際的に活躍する目標があるので、イギリスの医師の資格の方がよいと思ったこと
  • さまざまな人種が共存するロンドンで学ぶ経験が、多様な価値観の理解につながること(多用な価値観に理解のある医師になりたい)

麻彩子さんは「医療課題は、他分野を巻き込みながら取り組まないと解決できない」という考えを持っていました。医学と国際協力の両分野に興味がある麻彩子さんにとって、ロンドン大学はその両方を学べる環境だったのです。

麻彩子さんの想いに対して、お母さんは当初「まず日本の医師免許をとらないと、何も始まらない」という価値観を持っていました。それでも「本人が納得するまでやり切ることが大事だと思って、ロンドン大学を受験させた」と言います。本当にロンドン大学に進学することが決まると、お母さんは悩んだそうです。しかし、周囲から「古い価値観に囚われるのはおかしい」と説得され、思い直したのでした。

ロンドン大学でチャリティ活動

負けず嫌いで意思が強い。これと決めたらとことん調べる

バイタリティー溢れる麻彩子さん。小さい頃はどんな子どもだったのでしょう。

意思が強くて、これと決めたらとことん調べるのは、子どもの頃から変わらなかったようです。そのことを示すこんなエピソードがあります。

小学3年生の時に「犬を飼いたい」と思った麻彩子さん。お母さんは「両親が働いていて留守が多い家で犬は飼えない。結局はお母さんが犬の面倒を見ることになる」と認めませんでした。それでも麻彩子さんは諦めずに、図書館であらゆる犬種の性格や躾について調べ、「トイプードルなら飼える!」と3年間に渡って粘り強くプレゼンしたそうです。ついに両親を説得して飼うことになりました。目的のために今何をしなければならないかを考えて行動するのは、小さい頃からだったようです。学校の定期試験に向けた勉強も、「自分で逆算して計画を立ててやるので、『勉強しなさい』と言った記憶がない」とお母さんは話します。なんとも羨ましい限りです。

麻彩子さんは負けず嫌いな子で、幼稚園児のころ、友達が自転車の補助輪が取れたと聞けば、「自分も明日には補助輪なしで乗れるようになる!」と、必死で練習をしたそうです。実際に補助輪なしで乗れるようになったとか。麻彩子さんの性格が現れているエピソードです。

小さい時から負けず嫌いで、何事にも一生懸命取り組む

小さい頃から漢字が大好き

両親ともに法曹関係の仕事をしていて、生後3ヶ月から保育園育ちだった麻彩子さん。お母さんは「娘の土台は全て保育園でつくってもらいました」と話します。お母さんも仕事が忙しく、麻彩子さんとしっかりコミュニケーションが取れる時間は、寝る前の絵本の読み聞かせと、お風呂の時間くらいでした。通っていた保育園では体育・知育・食育に力を入れていて、働く母の味方となって、さまざまなサポートをしてくれたそうです。

お母さんは「幼児でも漢字は読める」と、漢字に“ふりがな”のついていない絵本の読み聞かせをしていました。文字に興味を持った麻彩子さんは、出てきた漢字を次々と自分で組み合わせて読むようになり、小1の頃にはある程度の漢字を読めていたそうです。すると周囲から褒められる。そのことが麻彩子さんの自信にもなっていました。

麻彩子さんにとって、机に向かうことは文字を書くことでした。勉強が苦ではなかったし、文字が読めると情報量も多くなるので、学ぶのが楽しみになる。そうした好循環があったようです。

子育ての方針は、身体づくりと一人で生きていける力をつけること

ご両親はどのように麻彩子さんに接していたのでしょう。

お母さんは「一人っ子なので、一人で生きていける子に育てないといけないと思っていた」と話します。

これからは、英語は使えなくてはダメだけれど、それより大事なことは、どんな環境の変化にも対応できるようになること。どんなに頭がよくても、病気がちではその能力を発揮できないから、小さい頃はとにかく体力をつけることが大事だと考えていました。

なので習い事も、スイミング(年中から小2)、バレエ(年中から小6)、体操(年少から年長)と運動系ばかりでした。しかし、親が「あれをしなさい、これをしなさい」と詰め込むようなことはしなかったそうです。

英語は小学校の会話の授業以外、特別なことは何もしていませんでしたが、麻彩子さんが中学生になる頃、友達が英語塾に通い始めたのをきっかけに、「自分も行きたい!」とお願いして、英語塾に通うようになります。麻彩子さんは英検4級を受験するのに、塾に通っていた友達はみんな英検3級を受けていたらしく、それに負けないがために「塾に通いたい!」ということだったようです。これも負けず嫌いな麻彩子さんらしいエピソ―ドです。

「自分の経験から中学生からの塾通いは全く考えていなかったので、娘から『塾に行きたい!』と言われてびっくりしました」(お母さん)

ちなみに、この英語塾は平岡塾という塾で、自律心を求められ、本気でやる意欲がなければ続かないという厳しい場所でした。そこでも麻彩子さんの負けず嫌いは発揮され、英語力をつけていったのです。

お父さんは、子どもと向き合う時でも理詰めで話をするタイプで、自分の考えを論理的に説明する習慣がついたという麻彩子さん。反対に、お母さんは感情に訴えるタイプだそう。理由は聞くけれど、最終的には自分のことを応援してくれる存在だと言います。

取材を終えて

麻彩子さんに今後のことを尋ねると、真剣な表情で抱負を語ってくれました。

「私は日本人としての素養も持ちつつ、国際的に活躍する医師になりたいと思っています。ロンドンで学んでいることは、自分の価値を高めると信じています。学んだことをどう生かし、さらに何を付け足していくか、これからも考えていきたいです」(麻彩子さん)

どんな活躍をされていくのか、楽しみです。

麻彩子さんの印象は「非常に聡明でしっかりした方」です。表向きはガツガツしていないけれど、その行動の根源には半端ないガッツがある……。一体どんなご家庭で育ったのだろう。そう思って取材をお願いしたところ、お母さんと一緒にお話を聞くことが叶いました。

お母さんは麻彩子さんと対照的な豪快でエネルギッシュなタイプです。話をしているとこちらが元気になるような方でした。

「この子は私を反面教師として育ちました」と話すお母さんの横で、「母は提出物などを忘れたりすることもあったので(笑)。母に頼っていれば安心という考えを持ったことはありませんでした。こういった母だったからこそ、甘えずにいろいろなことを、自分でやらなきゃと思えたんだと思います」と間髪入れずに突っ込む麻彩子さん。

小さい時には、働く母と子として葛藤を抱えた時期もあったようですが、お母さんの愛情をきちんと感じながら育ってきたのでしょう。親子対等な立場で、お互いをリスペクトし合っている姿は微笑ましかったです。

世界に飛び立って夢を追いかける娘さんのことを、お母さんは次のように話します。

「娘のおかげで知らない世界を見せてもらっています。インドには3回も行きました。私の価値観を広げてくれました。これから娘が何をしていくのかはわかりませんが、大事なのは、本人が何をやりたいかですね。やってみないとわかりません。今の娘を見ていると、大抵の国で生きていけるんじゃないかと感じます。世界との架け橋になってほしいです」(お母さん)

私の本『成功する子は、やりたいことを見つけている』でお伝えしている「焦らない・決めつけない・コントロールしない」子育てをしてきたお母さまなのだなと思いました。

取材の後日談として、私の本を読んでくださったお母さんから、「本の内容をいくつか実践していた。心当たりがある」と感想をいただきました。たとえば、子どもが熱中して何かをしているとき遮らないで見守っていたり、ワンワードの会話はさせないように気をつけていたり、子どもがして欲しいことを先回りしてしないようにしていたそうです。こういった関わり方が麻彩子さんの自立心や論理的思考力を伸ばしていったのだと、あらためて確信しました。

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中曽根陽子
この記事の著者
中曽根陽子 専門家・プロ

教育ジャーナリスト。小学館を出産のため退職後、「お母さんと子供達の笑顔のために」をコンセプトに数多くの本をプロデュース。子育て中の女性の視点を捉えた企画に定評がある。教育雑誌から経済誌、紙媒体からWeb連載まで幅広く執筆。中学受験に関しては「受験を親子の成長の機会に」という願いを込めて『1歩先行く中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』『後悔しない中学受験』(共に晶文社)『子どもがバケる学校を探せ』(ダイヤモンド社)などを執筆。教育現場への豊富な取材や海外の教育視察を元に、講演活動やワークショップもおこなっており、母親自身が新しい時代をデザインする力を育てる学びの場「Mother Quest」も主宰している。近著は『成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方』(青春出版社)

1歩先行く中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい 成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方