学習 連載 イメージで覚える中学受験歴史

明治時代【2】国内政治 ―― イメージで覚える中学受験歴史

専門家・プロ
2021年11月12日 吉崎 正明

1

国内で廃藩置県がおこなわれていた頃、岩倉具視(いわくらともみ)を団長とする「岩倉使節団」がアメリカやヨーロッパに派遣されました。派遣の目的は、幕末に結んだ不平等条約の改正、そして欧米の先進的な政治や産業を学ぶことです。

しかしこのとき、不平等条約は改正できませんでした。一方で使節団は、欧米の視察を通じて政治や産業が進んでいることを目の当たりにし、日本が外国から遅れている状況を「まずい……」と考えます。そして、国内の政治に力を入れることを決意したのです。

「前半パート」は国内政治が中心

前回の明治時代【1】では、明治政府がルールをつくる「スタート」の時期について解説しました。今回は明治時代の3つの区分のうちのふたつ目、政府がルールを整えたあとの「国内政治」について解説していきます。

明治時代は「3つのかたまり」でイメージしよう
①スタート=明治維新 …… 明治新政府が政治をするためのルールづくり
②前半=国内政治 …… 国会ができるまで(←今回のお話)
③後半=国外政治 …… 日清戦争・日露戦争と条約改正

士族はイライラしていた

明治時代に入ると、江戸時代まで存在した古い身分制度は廃止され、天皇一族は「皇族」、公家や大名は「華族」、武士は「士族」、百姓や町民は「平民」と呼ばれるようになります。これは四民平等といわれ、天皇以外の華族と士族、そして平民が平等とされました。そして1876年、「廃刀令(はいとうれい)」が出され、士族は刀を持てなくなります。1873年には徴兵令も出ていたので、武士としての特権であった「戦う」という役割も失っていました。

そうはいっても、士族も生活していく必要があります。そこで彼らは商売を始めました。ちょっとここで、想像してみてください。少し前までは、武力でものを言わせてきたような人たちです。商売をしていても、平民などにえらそうな態度で接するイメージが浮かんできませんか? そう、実際もまさにそんな感じだったため商売はうまくいかず、士族のなかにはイライラが溜まっていったのです。

こうした様子をみかねた明治政府は、士族のストレスをぶつける場として、彼らに全国各地の開拓を任せます。たとえば北海道の開拓のため、1869年には「開拓使(かいたくし)」と呼ばれる役所が置かれました。そして、その土地の開拓と警備をする「屯田兵(とんでんへい)」としての役割を士族に任せたのです。ちなみに静岡県の牧ノ原(まきのはら)はお茶の栽培がさかんな地域として有名ですが、この場所も士族が開拓したことで知られます。

征韓論

屯田兵や、お茶の栽培といった仕事は一応ありましたが、慣れない仕事のために士族のイライラは爆発寸前でした。そこで士族のイライラを発散させるため、西郷隆盛と板垣退助は「征韓論(せいかんろん)」を唱えます。征韓論とは「武力を使って朝鮮を開国させよう!」という考えのこと。そう、まだまだ“武士”としての血気盛んな心を持っていた士族たちがしたかったのは、まさにこのような仕事だったのです。

西郷隆盛と板垣退助

薩摩藩の西郷隆盛は、幕末に活躍した人物として有名ですね。これまでの話のなかでも何度か登場してきました。一方で、今回“初登場”の板垣退助は土佐藩出身です。岩倉使節団が欧米を視察しているころ、このふたりは国内でお留守番をしていました。一生懸命、日本を守っていたんですね。

この頃、士族のリーダーのような存在だった西郷隆盛や板垣退助は、自分たちの征韓論をナイスなアイデアだと考え、欧米から帰ってきた岩倉使節団に伝えます。しかし欧米の政治や産業を見て「国内の政治に力を入れよう!」と決意していた岩倉具視や大久保利通(としみち)によって、征韓論は却下されてしまいました。「国内を充実させることが最優先だから、戦争なんかしているヒマはない」と言われてしまったのです。そして自分たちの考えが受け入れられなかったことで、西郷隆盛と板垣退助は政界から去っていきました。

自由民権運動

政界を去った板垣退助は、戦いではなく、これからは「話し合い」が大切だと考えるようになります。当時の明治政府は、薩摩・長州・土佐・肥前(びぜん)といった特定の藩の出身者が重要な役職を独占している藩閥(はんばつ)政治でした。これらは、倒幕で活躍した藩です。一方で板垣退助は、「みんなで話し合ったほうがいい政治ができる」と主張し、藩閥政治に対抗するかたちで自由民権運動を始めたのです。

続きは会員の方のみご覧いただけます

1
吉崎 正明

吉崎 正明

  • 専門家・プロ
  • この記事の著者

現役塾講師。都内中学受験塾で社会・国語を担当。12年間在籍した大手進学塾では中学受験難関選抜ゼミ担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」で優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。指導方針は「正しい学習姿勢で、楽しく成績を伸ばす」。また、社会では「センス不要。イメージを作って考える」授業を実践しており、中学受験ナビでも「イメージで覚える中学受験歴史」を執筆。茨城県行方市出身。