【歴史】中学受験で押さえておきたい! 6人の蘭学者をまとめて紹介
蘭学者とは、江戸時代にオランダ語を通して西洋の学問を研究した人たちのこと。蘭学者という言葉を聞いて、何人の人物が思い浮かびますか?
中学受験の社会(歴史)を攻略するためには、よく出題される「6人の蘭学者」をしっかりと押さえておくことが重要です。具体的には、次の6人です。
こうしてまとめてみると、それぞれの人物の違いをシンプルに理解できますね。
では、この6人がどのように活躍したのか、一緒に確認していきましょう。
Contents
杉田玄白と前野良沢
まずは、多くの子が蘭学者という言葉から連想する「杉田玄白」と「前野良沢」について。このふたりの功績により、日本の医学は格段に発展したと言われています。
何をやったのか?
杉田玄白と前野良沢は、オランダ語で書かれた医学書『ターヘル=アナトミア』を日本語に翻訳して『解体新書』を出版しました。『解体新書』は、日本ではじめての本格的な翻訳本です。
どんな影響があった?
ふたりの活用により、日本の医学は大きく発展しました。当時の医学を根底からひっくり返すほどの影響があったとされ、オランダ語の理解が進んだことで蘭学にも注目が集まりました。
ポイント
杉田玄白と前野良沢については、次のふたつのポイントも押さえておきましょう。
- 努力の量がとんでもなかった
- 日本の医学界に革新を起こした
努力の量がとんでもなかった
当時の日本にはオランダ語の辞書すらありませんでしたが、この状況で試行錯誤を繰り返しながら、およそ4年もの歳月をかけて『解体新書』を完成させました。ものすごい意志と努力ですね。
日本の医学界に革新を起こした
当時の日本の医者は、体内の正確な知識まではもっていなかったこともあり、患者の症状を外から見て診断して薬などを処方していました。そのため“体のつくり”に目を向けた『解体新書』の発刊は、日本の医学界に革新をもたらす結果となりました。
シーボルト
次は、ドイツ人のシーボルトについて。日本の蘭学者のなかにヨーロッパ人がいるのは不思議な感じですが、彼もまた、日本で活躍した有名な蘭学者のひとりとされています。
何をやったのか?
シーボルトは、医学を教える塾として「鳴滝(なるたき)塾」を長崎につくり、多くの日本人に西洋医学を伝える活動をおこないました。さらには日本の文化や動植物をヨーロッパに持ち帰ったことで、日本の存在も広めました。
どんな影響があった?
シーボルトは、日本に近代医学が広まるきっかけをつくった人物です。鳴滝塾の門下生として多くの蘭学者を輩出し、日本の科学技術の発展に大きな影響を与えました。門下生のなかには、蘭学者として有名な「高野長英」もいます。
ポイント
シーボルトについては、次の3つのポイントを押さえましょう。
- 鎖国中なのに塾をつくってしまった
- 教えるだけの指導ではなかった
- 謎の国「日本」をヨーロッパに広めた
鎖国中なのに塾をつくってしまった
鎖国中の日本で、しかも外国人が塾を開くなんてことは許されていませんでした。ところが「シーボルトから医学を学びたい」という日本人が殺到したことで、塾の開校が特別に認められたそうです。
教えるだけの指導ではなかった
鳴滝塾の門下生には、医学をただ教えるだけではなく、実際の患者の治療を通じた実習(臨床実習)や、論文まで書かせていたとか。これは、当時としては驚きの指導法でした。
謎の国「日本」をヨーロッパに広めた
シーボルトには「植物の収集家」という一面もあり、世界中の植物を集めていました。そして日本の植物もヨーロッパに持ち帰り、日本を紹介する本まで出版しています。その名も『NIPPON』!
日本の動植物だけでなく、地理や文化など日本のあらゆる分野について記載されていたので、『NIPPON』の発刊により、当時のヨーロッパでは“謎の国”とされていた日本の存在が徐々に明らかになっていきました。
高野長英と渡辺崋山
次は、高野長英と渡辺崋山について。ふたりとも優れた蘭学者でしたが、江戸幕府の鎖国政策を批判したことで捕まってしまいました。
何をやったのか?
アメリカの商船・モリソン号が日本に来航した際、「異国船打払令」により、モリソン号は日本から砲撃を受けます。この事件を受け、高野長英と渡辺崋山は幕府の対応を批判する活動をおこないました。
どんな影響があった?
幕府の批判をした蘭学者は、次々と捕まっていきます。この有名な事件が「蛮社の獄」です。蛮社の獄をひとつのきっかけとして、「異国船打払令」の撤廃が幕府内で検討されるようになっていきました。
ポイント
高野長英と渡辺崋山については、「異国船打払令」に関わる内容をしっかりと押さえておきましょう。
異国船打払令は、まもなく廃止された
「蛮社の獄」をきっかけに幕府内では意見が分かれましたが、事件からわずか3年後、異国船打払令も廃止されることになります。
武器を持っていない商船(モリソン号)を攻撃してしまったという反省もありますが、蛮社の獄の直後、 清(中国)が戦争によってイギリスに敗北して侵略されてしまったことも大きく影響しています。
大国で強い国だと思っていた清が、いとも簡単にやられてしまったので、幕府はヨーロッパやアメリカの軍事力にビビってしまったのです。こうした背景もあり、異国船打払令は廃止されました。
緒方洪庵
最後は、緒方洪庵について。2023年現在の日本では「新型コロナウイルス」に対するワクチンの話題が絶えませんが、江戸時代、緒方洪庵はそのとき猛威をふるっていた感染症「天然痘」と戦っていました。
何をやったのか?
緒方洪庵は、イギリスで開発された「天然痘ワクチン」を日本で普及させる活動をします。除痘(じょとう)館という、いまで言うところの“ワクチン接種センター”をつくり、天然痘の対策に貢献しました。
どんな影響があった?
天然痘は大昔から人々を苦しめ、これにより命を落とした人は少なくありません。しかし緒方洪庵の粘りづよい努力が実を結び、日本でもワクチンが普及していきました。
ポイント
緒方洪庵については、「天然痘との戦い」においての活躍をしっかりと押さえておきましょう。
かなり苦労しながら普及活動をおこなった
緒方洪庵はワクチン普及のため、大阪に除痘館を建設しました。しかし「ワクチンを射つと牛になる」といった風評が広がるなど、その建設にあたっては苦労の連続だったようです。しかし最終的には幕府から公認をもらうことができ、ワクチン普及に向けて尽力していきました。
3つの関連知識 ―― 受験力をさらに高めよう!
中学受験に登場する6人の蘭学者について、詳しく説明してきました。ここでは、受験攻略に向けた力をさらに高めるための関連知識を押さえていきましょう。
- そもそも蘭学って?
- 江戸時代の鎖国体制
- 江戸時代の学問
知識[1]そもそも蘭学って?
蘭学の「蘭」は、オランダのこと。蘭学という言葉をそのまま読むと“オランダの学問”と勘違いしてしまいそうですが、正しくは“オランダ語を通じて日本に入ってきた学問”のことです。
知識[2]江戸時代の鎖国体制
江戸時代は「鎖国の時代」とも呼ばれます。鎖国とは、国を閉鎖すること、外国との交易をしないこと、を意味する言葉ですが、実際には外国と交易をしていました。
知識[3]江戸時代の学問
江戸時代の学問といえば、やはり蘭学がメインです。しかし先ほど紹介した6人の蘭学者を押さえて安心してはいけません。中学受験対策としては、古代からの日本の思想を研究した「国学者」についても押さえておきましょう!
まとめ
オランダ語を通じて日本に伝わり、江戸時代の鎖国のなかで発展した蘭学。ヨーロッパの“最先端の科学”が日本にも伝わったこと、そして江戸時代に活躍した蘭学者によって、日本の科学技術は大きく発展しました。
江戸時代に蘭学を学んだ人物は多くいましたが、中学受験対策としては次の6人の蘭学者を押さえておくことが大切です。蘭学に関わる内容は入試でもガンガン出題されているので、この6人の功績をしっかり押さえつつ、受験力を高めていきましょう!
※記事の内容は執筆時点のものです
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