連載 【エッセイ】騎月孝弘の「日常のなかの中学受験」

小学5年生、秋。『場が持つ力』が『あこがれ』という原動力に。|騎月孝弘の「日常のなかの中学受験」#1

専門家・プロ
2023年10月25日 騎月孝弘

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中学受験生といえば、家でも塾でも勉強、勉強。合格を目指して、ほっと一息つく暇もない……かといえば、直前期を除けば、そうともいえません。
中学受験勉強は多くの場合、長丁場で、子どもたちにとっては日常そのものです。ささいなことで笑ったり、楽しみで胸をときめかせていたりする姿も、たくさん見られます。
ポプラ社から中学受験小説『小さな挑戦者たち~サイコウの中学受験~』を上梓された作家 兼 現役塾講師・騎月孝弘さんが、そんな子どもたちのキラキラした日常を届けるライトエッセイ連載がスタートです。

中学受験ナビをご覧の皆さま、はじめまして。

『小さな挑戦者たち~サイコウの中学受験~』という小説をポプラ社から上梓しました、騎月孝弘(きづき・たかひろ)といいます。作家としての取材を通して、あるいは塾講師としての仕事を通じて、親御さんとは少し違った立場から受験生たちの日常に触れる機会があります。本連載では、そうした日常のかけらをご紹介していきたいと思います。

さて、中学受験生小説『小さな挑戦者たち~サイコウの中学受験~』に登場する中学にリアリティをもたせたいと思い、執筆にあたって東京のさまざまな中学校を回りました。教育理念やカリキュラムの特色、偏差値レベル、受験科目や出題の特色などはだいたいネット情報で収集できていましたが……訪れた一番の目的――知りたかったのは、“場が持つ力”です。

東大・本郷キャンパスにて

その日はちょうど、中学巡りの途中で東大の本郷キャンパスにも足を運びました。

広大なキャンパスを散策するうちにお腹が空いてきたので、せっかくだからと学食に寄っていくことにしまして。ここの学食は安田講堂正面広場の地下にあって、宇宙船の艦内のような白い円形の内装が、地上とのギャップもあってカッコいいんです。

その学食で食事をしていると、ちょうどわたしの後方のテーブルから、女の子とお母さんの会話が聞こえてきました。「ヨーロッパみたいな校舎だったねー」「かっこいいよねー」と、女の子が興奮ぎみに話しています。実はその親子のことは、学食に入る前に地上の広場でも見かけていました。安田講堂をバックにポーズをとる女の子が、カメラマン役のお母さんにたくさん写真を撮ってもらっていたんです。

学食での親子の会話から、どうやら女の子は小学5年生で、来年中学受験をするようで……。どこの中学を希望しているかまではわかりませんでしたが、テレビのクイズ番組きっかけで東大に興味を持ち、それでお母さんに連れてきてもらったらしく。女の子は、本郷キャンパスの佇まいに感動したのか、楽しそうにお母さんに語り続けていました。

そんな彼女もひょっとしたら、普段は「勉強、勉強」の毎日を過ごしているのかもしれません。テストでも思うように点数が取れなかったり、ライバルのことを意識したり。あるいは、まだどんな中学を受けようか、受けられそうか、何も決まってはいないのかもしれません。でも、あの女の子を見ていて思いました。東大という『場が持つ力』=エネルギーをいっぱいからだの中に取り込むことができたのだから、きっとしばらくはその『あこがれ』が勉強の原動力になるんだろうな、と。

小5・Aくんが出会った“場が持つ力”

これまでにわたしが見てきた生徒にも、心配していた状態から学校見学を通じてモチベーションの上がった子がたくさんいます。たとえばその中のひとり……もともと何か将来の夢があるわけでもなく、友達や小学校の雰囲気から、なんとなく受験勉強をしていた5年生のAくん。塾の模試ではどこか集中力が欠けたような、もったいないミスを連発していました。そしてミスしてもあまり気にする様子のない彼には、まず勉強の動機付けが必要かと思い、いくつかの中学の魅力や特長を話してみたんです。でも、ふだんから口数の多くない彼は、素直にうなずくものの、いまいちピンときていないようでした……。

このような状態のままですと、塾の模試で複数の志望校を書くときにも、いろんな選択肢を考えられる反面、どうしても偏差値という数値や合格判定という記号で判断してしまいがちです。ここは無理そうだから、あちらにしよう。親としても、それだけが志望校の選択基準になっては、なんだか味気ないですよね。

しかしある日、そんなAくんに変化がありました。授業前、わたしが「こんにちはー」と教室の前で出迎えをしていると、いつもは挨拶を返すだけだった彼が、「○○中の図書室、すごく広くてきれいだった」と話しかけてくれたのです。一瞬、(ん?)と思ってから、こちらも(ああ、週末にあった○○中の文化祭に行ってきたんだな)と察し、「面白そうな本はあった?」「楽しみだね」などと応じ……。

うれしいことに、それ以来Aくんとは、志望校についての会話がとても増えました。こちらが話して聞かせようとしなくても、Aくんが自分から、文化祭で見て感じたことを語ってくれるようになったんです。子どもの興味というのは、どこにフックがあるかわからないですね。でも、こんなふうに思いがけないきっかけでよい変化が訪れることがあります。

それからのAくんは、自分の口からその中学のよさを語ることで、行きたい気持ちが高まったのでしょう。テストでしたミスに対しても、受け止め方に真剣みが増したせいか、しっかりと解き直しをするようになり、前よりだいぶケアレスミスが減りました。

そして中学生になった彼は――、「すごく広くてきれいだった」と話していた図書室で、毎日放課後、新聞部の調べものをして、校内新聞を書いていると聞きました。

ささやかな何かが頑張り始めるきっかけに

制服がかわいい、校舎がきれい、先輩が優しかった――子どもにとっては何がやる気のきっかけになるかわかりません。そしてそれがずっと続くとも限りません。それでも、何かをきっかけにして頑張り始める姿を見ると、とても微笑ましく、小さな一歩に心の中で拍手を送りたくなります。

※記事の内容は執筆時点のものです

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