連載 イメージで覚える中学受験歴史

弥生時代【1】「稲作の開始」 ―― イメージで覚える中学受験歴史

2020年1月23日 吉崎 正明

「難しくて苦手」という受験生が多いのが歴史。でも、時代をイメージで理解すれば歴史の理解はグンと進みます。この連載では、時代ごとの特徴的な出来事を中心に、歴史をわかりやすく解説します

稲作が始まる

弥生時代の大きなできごとは、稲作が九州から本州にまで広まり、さかんにおこなわれるようになったことです。稲作は、今から約2500年前に中国や朝鮮半島から伝わってきたと考えられています。

静岡県の登呂(とろ)遺跡からは、水田のあとが発見されています。弥生土器の底には、米のもみ殻がついていたものもあったようです。こうした発見から「米作りが弥生時代からおこなわれていた」ということがわかります。

ちなみに弥生土器は、現在の「東京都文京区弥生」で発見されたことから「弥生土器」と名づけられました。分厚くてもろく、縄目の文様が特徴的だった縄文土器とは反対の、薄くて固く、文様があまりないといった特徴を持っています。中学入試でも、2つの土器の違いや比較はよく出題されます。

「穂首刈り」が稲作の中心

弥生時代の稲作は、水田で稲を育て、石包丁で稲を刈り取っていました。石包丁には、刃物の包丁のような切れ味はありません。ギリギリとこすりつけることで起きる摩擦の力で、稲の根の部分ではなく首の部分を切っていたそうです(穂首刈り)。現代の稲作で主流の「根刈り」(根の部分を刈り取る)をおこなうようになったのは、鉄の鎌が使われるようになってからです。

高床式倉庫のヒミツ

刈り取った稲は、高床式倉庫に保存されました。高床式になっている理由は、風通しをよくすることに加え、地面からの湿気を防ぐためです。柱の途中には「ねずみ返し」がついていて、ねずみが倉庫に侵入することを防いでいました。

貧富の差から「ムラ」が生まれた

稲作は難しいため、上手につくれる人ばかりではなく、下手な人も出てきます。こうして貧富の差(たくわえの差)が生まれました。その結果、「上手な人に教えてもらおう」とお米づくりが上手な人のもとに人々が集まり、「ムラ」という集団ができます。そしてムラ同士で争いが起こり、勝ったムラがさらに大きくなると「クニ」というさらに大きな集団となっていきました。

戦いもあった弥生時代

佐賀県の吉野ケ里遺跡には、遺跡内に「物見やぐら」があり、「環濠(かんごう)集落」(敵の侵入を防ぐ濠)が遺跡のまわりにあることから、戦いに備えていたことがわかります。首のない人骨や、槍(やり)が刺さった頭蓋骨も発見されています。激しい戦いの末、命を落とす人がいたということもわかりますね。

金属器が伝わると……?

弥生時代は、大陸から青銅器や鉄器などの金属器が伝わってきました。青銅器には、銅剣や銅ほこ、銅鏡、そして“つりがね”のような形の銅鐸(どうたく)があります。銅鐸がどのように使われたかはっきりしていませんが、銅鐸の表面を見ると、高床式倉庫など当時の様子が描かれています。こうした青銅器は、おもに祭器として使われました。

青銅器よりも固い「鉄器」は、農具のほか、武器としても使われました。金属器が伝わったことで農業の効率が非常によくなり、生産力が上がったといわれています。鉄器が武器として使われたことで戦いがより激しくなった一方、国土の統一も早まりました。

稲作が伝わり、貧富の差や争いが生まれた弥生時代

弥生時代は稲作が伝わり、貧富の差が生まれたことで争いが起こりました。このように時代の流れをイメージしたり、時代ごとに特徴的なできごとを思い浮かべたりできるようになると、歴史の学習が楽しくなりますよ。


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※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

都内の中学受験専門塾で社会・国語担当として活躍。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。