連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

学校の勉強が大嫌いな小学生が、大ヒット化学結合ゲームを考案|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2020年5月28日 中曽根陽子

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AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は米山維斗(ゆいと)くんと、お母さんのななさん。維斗くんは、化学結合ゲーム「ケミストリークエスト」の考案者で、小学6年生でケミストリー・クエスト株式会社を設立し、社長に就任。現在は東京大学の2年生です。

前回の主人公、加藤路瑛(じえい)くんが12歳で起業するきっかけになった人でもあります。維斗くんが小学3年生のときに考えたケミストリークエストは、商品化されるや大ヒット。シリーズ累計13万部突破のゲームで、今も売れ続けています。数々のメディアで天才少年として取り上げられた維斗くんですが、「学校の勉強は大嫌いだった」と言います。いったいどんな子ども時代を過ごしていたのか、そしてお母さんはどんな子育てをしていたのかを聞きました。

幼稚園のときに宇宙に興味を持ったのがはじまり

維斗くんが化学に興味をもったのは、4歳の頃。当時通っていたインターナショナル幼稚園で太陽系について学んだことがきっかけで宇宙に興味を持ちました。そこから地球の成り立ち、化石はどうやってできたか、化石に埋まる古生物とは、など興味の対象がどんどん移り、探究を続け、鉱物を組成する元素へとつながっていったのです。

インターナショナル幼稚園で太陽系について学んだことから探究が始まった

カードゲームの原型を思いついたのは、小学3年生のとき。当時小学校への持ち込みが禁止されていたカードゲームの代わりに、折り紙でカードゲームを作るのが友だちの間で流行っていたそうです。そこで自分もなにか作りたいと思ったのがきっかけでした。

友だちの多くがバトルゲームを作るなか、維斗くんは「相手を仲間に入れるゲーム」を作りたいと思い、結合するとなにかが生まれるものをと考えて作ったのが、ケミストリークエスト(以下ケミクエ)でした。

「約100種類の元素が結合して、世の中の物質が作られることを友だちにも伝えたかった」という維斗くん。パソコンを使い、分子模型の画像を貼り付けて一人でカードを作り上げました。こうして出来たカードゲームは、分子構造などまだ知らない同級生にも好評で、もっと多くの人に知ってほしいと思うようになります。

そこで、小5の秋に「東京国際科学フェスティバル」(TISF)に応募してケミクエの原型を披露すると、小さい子どもから研究者までが大絶賛。商品化を勧められ、真剣に考えるようになりました。教材関係の会社を経営している、お父さんの知人に相談をしたところ、「維斗くんが会社を作ればいい」とアドバイスされて、起業を決意。翌年7月には、お父さんが代表権を持つ親子起業という形で会社を設立し、秋には販売が始まりました。

発売前からたくさんの予約が入っていたというケミクエ。本人の予想を超えて販売数を伸ばしていきました。メディアには「小学生社長誕生」と取り上げられて多忙を極めます。当時の様子を維斗くんは「ゲームを広める方法としての商品化だったので、広まっていくのが単純におもしろかった」と振り返ります。しかし、実はこの時中学受験を目の前に控える受験生だったのです。

受験生にとっての天王山といわれる夏休みはケミクエに忙殺され、一時算数の成績が落ちたこともあったといいます。さすがに焦ったななさんは、11月からは受験勉強に専念しようと話しました。しかし本人は、ケミクエだけでなく、習い事も遊びもあれこれやりたいタイプ。結局最後まで受験勉強だけに集中することもなく、入試本番前日の1月31日でさえ、受験が終わったら友達と行く約束をしていた鉄道模型の展示会の話ばかりして怒られたそうです。それでも見事第一志望の筑波大附属駒場中学に合格したのですから、やはり天才なのでしょうか。

「東京国際科学フェスティバル」でケミストリークエストを披露する維斗君とお母さん

起業をしたときは、中学受験目前

男の子はいずれ親から離れてしまうので、思春期にしっかりと見てもらえる学校に入れたくて中学受験を考えたというななさん。力試しで受けた小学4年の全国統一テストで維斗くんはなんと1位を取り、中学受験を決めたそうですが、実は維斗くんは大の勉強嫌い。学校の宿題はやらずに済むならやりたくない。先生に怒られないギリギリ最低限の範囲でやっていたそうです。

維斗くんは小さな頃から自分の興味のあることには集中力を発揮するタイプでした。ななさんは、そんな維斗くんの資質を理解していたので、本人には学校での振る舞い方について諭しつつ、小学校入学後は先生とも対応を話し合い、維斗くんのことを理解してもらうように務めたといいます。

では、学校以外でどのようなことをしていたのでしょうか。学習を先取りするような早期教育はしませんでしたが、小さい頃から本人が興味を持ったら「これは大人向けだから」などの理由での区別はせず、子どもの好奇心に応えるために、どんなに専門的な図鑑でも雑誌でも買い与えていたそうです。

インターナショナル幼稚園で身についた会話力を落とさないための英会話スクールと、バイオリンは続けていました。また、維斗くんが本を読まないので、2年生のときに読む力をつける教室に1年間だけ通わせ、3年生のときに友人に勧められ、算数問題を絵にして解く教室にも通いました。

「たまたまでしたが、それまで頭のなかだけで考えるタイプだったのが、順序よくものを考えていく訓練にはなったのかもしれません。それらが基礎になって、最初のテストは点数がとれたのではないしょうか」(ななさん)

「勉強をさせたい」というより、本人が興味を持つことをさらに探究する手助けをしてきた結果、維斗くんは自然と知識を蓄え考える力を身につけていったのでしょう。

4歳のときの宇宙への興味が古生物→化石→元素と、その後の探究力につながる

中学受験塾に入ってからは、受験勉強は基本的に塾任せで、宿題の管理も6割は本人任せだったとか。成績順に席替えがあるシステムの塾で、それがいい刺激になって頑張っていた維斗くんですが、算数はできるけれど暗記系科目は苦手というタイプで、社会や理科は、受験までに3周しろといわれた問題集も1周しかしなかったといいます。それでも、「知ないことを知ることがおもしろい」という根本的なモチベーションで受験勉強も続けていけたようです。

最終的に、灘・渋幕・開成・聖光・筑駒と受験をしましたが、開成は得意な算数で失敗して不合格。本人は最初から開成に入るつもりはなかったし、筑駒に手応えはあったので気にしてなかったそうですが、ななさんはまさかの結果に落ち込み、筑駒の合格発表に向かう足が前に進まなかったそうです。

読者の方にとっては贅沢な悩みだと思うかもしれませんが、どんなにできる子でも、ドンデン返しがあるのが受験。特に中学受験は親の関わる度合いも大きいので、ななさんも同じように苦い思いを経験されたのです。

ひたすら遊んだ中高時代。友達からたくさんの影響を受けて興味の幅が広がる

「中高時代は、受験勉強から解き放たれて、ロクに勉強もせずに遊んでいた」という維斗くん。化学部があるのを条件に進学先を選んだはずが、入部したのは鉄道研究会。ケミクエも売れているし、もっと広げたい気持ちはあったけれど、中高時代はそれ以上に放課後に友人とゲームをしたり、世界史の話、都市の話、哲学的な話などをたくさんしたのがおもしろかったと振り返ります。

それぞれに専門分野を持っている多趣味な友人が多く、雄斗くんの現在の趣味の多くも、友人からの影響だとか。大学進学後の今も中高時代の友人とよく話すそうで、人間関係の面から見ても自分に合った環境だったといいます。

高校1年のとき、文化祭で実験を披露する維斗くん

中高時代も興味外の勉強は嫌いという維斗くんの姿勢は変わらず、学校の成績は低迷します。困った維斗くんが「塾に行きたい」と母に言ったとき、なんとななさんは反対したそうです。

「中高は自分で勉強するものだと思っていたし、学校の勉強もしないのに塾に行けばいいと思っているのは間違いで、自分でなんとかしてから必要なら塾に行けばいいと思っていた」これが、その当時のななさんの気持ちだったようです。

雄斗くんとしては、「宿題をやるくらいなら、ほかのことをやりたい」という気持ちが強くて成績を上げようというモチベーションは沸かない、とはいえ勉強方法がわからなくなってからでは遅いから、塾でやり方を教えてほしかったのに「行かせてもらえなかった」と思っていたようです。

筑駒は学内で大学受験対策をあまり行わない学校として知られます。受験対策のために塾に通う人が多いなか、母・ななさんの芯の強い考えは逆に見事でした。雄斗くんは結果的に大学受験で浪人することになるのですが、浪人中は「いやいやではなく、無理矢理でもそのなかにおもしさを見つけて勉強するようにしていました」とのこと。もともと探究心があるので、自分のなかで目標がはっきりしていれば、いやなことでも工夫をして乗り越えていけたのでしょう。

勉強はやらされるものではない。「おもしろい」の先に世界は広がる

維斗くんは、現在東京大学の2年生。社会基盤学科を目指していて、土木工学や交通計画を研究したいと思っているそうです。実は小さいときから鉄道好きで、一旦離れていたものの、中高で友人たちと話すうちに、鉄道だけでなく、都市の構造、最適な交通網、都市計画、交通工学など学問的分野にまで興味が到達したといいます。「小さいときから夢は研究者だったのですが、化学の道に進むかどうかはわからないと言っていました。予言的中ですね(笑)」と維斗くん。

ケミストリークエストの今後についてはどう思っているのでしょう。

「ビジネスとして大きくしていきたいというより、カードゲームを普及させたいという思いが強いです」(雄斗くん)

雄斗くんは、勉強はやらされるものではなく、遊びのなかで本質の理解につながればいいと考えています。ケミクエが広がった先の世界観として、子どもたちが、小さいときから遊びながら化学に触れて、「おもしろい!」がきっかけでその先の学びにつながっていくことをイメージしているのです。

これまで何回か機会はあったけれど、実現していない海外展開もしていきたいと思っているそうです。さまざまな展望はありながらも、将来は成り行きで決まると思っているので、自分自身の進路も含めて模索段階だといいます。自分がその時にやりたいことにマッチする仕事は何か、大学で専門的なことを学び変わっていくのではと考えていると話してくれました。

「自分のやりたい!」という気持ちに正直に、とことん追求していく維斗くん。やりたいことは変わっていくけれど、探究心を持ち続けているところは一貫していました。

おもちゃショーで子どもにゲームを体験してもらっている維斗くん

最後に雄斗くんが子どもたちに伝えたいことを聞きました。その答えは「やりたいことは当たり前だが、やらなくちゃいけない事もやったほうが良い」というもの。そして、「自分が思いついたことが、大人の目線でも成立しているかわからない時には、正しいかどうかを大人にも聞くことが大事だ」と教えてくれました。

自分の考えには正しい部分と間違っている部分があるはずだ、という視点を常に持って、大人の意見も聞きながら進めたほうが、自分だけで進むよりも完成度の高いものにたどり着けるから……。これまでの経験から維斗くんが得た気づきです。さらに、まだ子どもだからと怖気づかずに、思いついたことを大人話してみることも大切だと言います。

「周囲に話すことで自分が気づくこともあるし、反対に子どもの思いついきで大人に気づきを与えることもありますよね」(維斗くん)

やりたいことを仕事にしてほしい。自分で考える力を育てたかった

大人も思いつかない化学結合ゲームを小学生のときに考えついた維斗くん。小さい頃から早熟で地頭のいいお子さんだったのは間違いありませんが、持っている力を伸ばすために、どんな子育てをしてきたのでしょうか。母・ななさんに聞きました。

維斗は小さい頃から好奇心旺盛で、よく喋る子でした。幼児教育については聞きかじりで、偉そうなことを言えませんが、子どもは親が思う以上の可能性を持っているので、それを最大限に活かしていきたいと思って子育てをしてきました。

五感を育てるには外遊びが一番だと思っていましたが、維斗が小さいときは仕事をしていたので、平日は夜の8時~9時に帰ってくる毎日で、なかなか外遊びに連れ出せませんでした。1才8ヶ月までは保育園に預けていましたが、子育てに集中したくて会社をやめました。それからは、毎日子どもと公園に行く生活でしたね。生活リズムは大事にしていましたが、公園で子どもが真剣に遊んでいたら、時間だからと打ち切って帰るのではなく臨機応変に対応をしていました。

関わり方としては、一貫して子どもの話には耳を傾け、次に展開できるように「へえー それで?」と話が先に続くような相づちを心がけていました。子どもの質問には、知っていることでもすぐに答えを与えず「なんだろうね」と自分で考えさせるようにしていました。その裏には、「やりたいことを仕事にしてほしい」という思いがあります。すばらしい学習環境があっても、自分の進む道を決められなくては、これから先困るでしょうし。何をすればいいかを自分で考えるように促していました。そうしてやってきた結果が、知らず知らずに積み重なっているのだと思います。

また私は、公共の場では、子どもも大人と同じように振る舞わないといけないと考えていたので、そこは厳しくしつけました。良かったかどうかはわかりませんが、叱る時もなぜ叱ったか理由を伝えるなど、理詰めで育てたと思います。

ほとんどのことは、子どもの「やりたい」という気持ちを優先しましたが、唯一私が強制したのはバイオリンです。3歳から鈴木メソッドのバイオリン教室に入れたのは、なにか柱になるものがあるといいと思ったからです。夫婦ともにクラシック音楽が好きだったので、持ち歩ける楽器がいいなと思い、バイオリンにしました。

小学校を卒業するまで、バイオリンは毎日30分練習すると決めていたのですが、これは親子のよい試練になりました。維斗は強情で言うことをなかなか聞かない子なので、やりたくないことはしない。それでも母はバイオリンのケースを開けて待っている……。我慢の連続で何度もやめさせようかと考えましたが、人生の中でなにか向き合うものを持ってほしい、練習のつらさを忘れた頃にこれから先も楽しんでもらえたらと思って続けました。練習を通して子どもと向き合うことで、子どもの事がよくわかりました。バイオリンを弾いていると、人間性やその日の感情が出てくるんです。

維斗は「そんなにいやだったらやめなさい」と言ってもやめないけれど、3歳違いの弟はそう言ったら本当にやめそうなタイプだったので違う対応をしなければなりませんでした。維斗と違って弟は最初は成績も良くありませんでしたが、本人がしたいと言うので中学受験をしました。弟はスロースターターでしたが、後から伸びるというのがバイオリンの傾向でわかっていたので、最後まで信じることができました。信じることができたのは、バイオリンを続けたことの功績だったかなと思います。兄弟はタイプが違って、兄ができないことが弟はできたりします。いずれにしても、それぞれが好きなことが仕事になればいいと思っています。

私たちは、それが将来役立つかわからないけれど、「経験の機会」は散りばめたと思います。その結果、知らず知らずに子どもの可能性を広げることにつながったのかもしれません。

ケミストリークエストの体験会に出向くと、「小さい子には無理」とやらせない大人もいらっしゃいますが、小さい子は化学ということを意識せずに遊んでいるものです。後で気づいたら化学だったということもあると思うので、楽しく遊んでほしいですね。

人から見たら特殊な子育てに見えるかもしれませんが、特別なことはしていません。ひとつ言えるのは、「自分はどうしたいのか」を見失わずにやってきたということです。子育ては十人十色。誰かと同じである必要はありません。自分がどういう子どもに育てたいかを考え、他人のいろいろな経験も参考にしながらも、オリジナルの子育てをすればよいのではないでしょうか。

高校の卒業式で、ななさんと維斗くん

取材を終えて

好奇心が強く、興味があることには集中力を発揮する反面、興味が沸かないことはやろうとしない子どもだった維斗くん。ある意味天才肌のお子さんだと思うのですが、もし自分の子どもがそういうタイプだったら、皆さんはどうするでしょうか? ななさんのお話を伺っていて一番感じたのは、子どもをコントロールするのではなく、子どもは「もともと力をもっている存在」だと信じていたこと。そして、その力を伸ばすためになにをすればいいかを一貫して考えながら、関わっていたということです。

いわゆる早熟で自分の意思が強い子どもの場合、奥手な子どもとは別の意味でその才能を開花させるのが難しい面があると私は思います。なぜなら、そういう子どもは、得てして親の手にあまることも多いからです。しかし、ななさんは、維斗くんの素質を潰さずに社会生活も上手に送れるようにするために、学校を敵に回さず対応を調整する一方で、維斗くんにも振る舞いをしつけています。

このさじ加減が絶妙だったのでしょう。そのうえで、子どもをよく観察し、子どもの興味関心をさらに広げたり深めたりする材料を渡していたからこそ、維斗くんは安心してその力を発揮できたのだと思います。

維斗くんに親に感謝していることを聞くと、「きっかけを与えてくれるが、その後は放おっておいてくれたし、自分が興味のあることを話せば、最後まで聞いてくれたことです。あと、おもしろそうな本を買ってくれるけれど、ちゃんと読みなさいとか、やってないとかは言われなかった。だから、知りたかったら自分で調べる力がついた」と話してくれました。

今回の取材では、私たち親がつい見過ごしがちだけれど、子どもの力を伸ばすために必要な関わり方のヒントがたくさんあったと思います。ケミストリークエストも勉強のためという下心を捨てて、子どもと一緒に楽しく遊ぶツールとして活用されるといいのではないでしょうか。

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※記事の内容は執筆時点のものです

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