連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

挑戦すれば世界は変わる!「感覚過敏」「読み書きも苦手」な中学生が、親子起業で社長に|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2020年4月23日 中曽根陽子

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AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は、中学生社長の加藤路瑛(じえい)くんと、共同経営者の母の咲都美(さとみ)さん。路瑛くんは、2018年12月、中学1年生で起業し、社長になりました。中学生社長ということで、メディアにも多数取り上げられたので、ご存知の方も多いかもしれません。起業から1年4ヶ月たった今、路瑛くんの生活は一変しました。

「親は、子どもに幸せになってほしいと思って、勉強していい大学に行きなさいと言いがちだけれど、もっと大事なことがあると息子から教えられました。起業してからの成長を見ていて、もし今自分たちがいなくなったとしても、息子は生きていけると思えるようになりました」という咲都美さん。起業からこれまでを辿りながら、親としてどのように支えたのかを聞きました。

「起業したい!」その思いを後押ししたのは先生とお母さん

路瑛くんは早生まれでしかも低出生体重児だったので、同年齢の子どもたちに比べるとできないことも多かったそうです。けれども、「それは当たり前。生きているだけで感謝だった」と咲都美さんは言います。

路瑛くんは、二歳の頃からお母さんの職場について行ったり、祖父母の経営する民宿でお手伝いをする中で、働くことに興味をもっていたようです。でも、一緒に働こうとするといつも「大人になってからね」と言われてしまう。なぜ今ではいけないのかと思いながらも、どうすればいいかもわからず、諦めていたと言います。

祖父母の民宿でお手伝いをしたり、お母さんの職場についていって働くことに憧れていた

そんな路瑛くんの転機は、中学1年生のときに訪れます。当時、「おもしろい理科の実験を実況するユーチューバーになりたい」と思っていた路瑛くんは、実験道具を買い込んでは試行錯誤していたそうです。その道具のひとつとして咲都美さんが買ってくれた「ケミストリークエスト」という化学のカードゲームに衝撃を受けたのです。このカードゲームを作った「米山維斗さん」という人物は、カードを考案し、製作販売する会社を立ち上げたのが12歳のときだったというのです。「大人にならないと働けない」というそれまでの常識が吹っ飛びました。路瑛くんの関心は、一気に「起業」へと向かうのです。

大きな転機になった『ケミストリークエスト』(幻冬舎)

「自分も起業したい!」 と、その夜さっそく起業の方法をインターネットで調べたところ、親が登記すれば子どもが社長になれる、ということがわかりました。興奮する路瑛くん。咲都美さんは、最初は深く考えず「いいんじゃない」と返していたそうですが、本人は本気。翌日には、学校で担任の先生に相談し、「事業計画書をもってきなさいと言われた!」と言って帰ってきました。具体的なネクストアクションを与えてくれた先生は素晴らしいと思いながらも、事業計画書なんて見たことも、もちろん作ったこともないのですから、すぐに諦めるだろうと咲都美さんは予想したのですが、反して頑張る息子。「これは本気だ……」と感じ、咲都美さんも本気で応援することに決めました。

思いを込めて事業計画書を作ったら、大きく動き出した

事業計画書を書くに当たって、路瑛くんと咲都美さんは真剣に何度も、対話を繰り返しました。起業してどんなことをしたいのか、社長になってどんな仕事をしたいのか、真剣に考えて企画をつめていかなくてはなりません。そうしてたどりついた事業内容は「年齢を理由にあきらめている人をゼロにする」。自分のように「働いてみたい!」と思う子どもは他にもいるはず!そのサポートすることにしよう、と考えたのです。できあがった事業計画書がこちらです。

起業にあたり学校の許可が必要かわからないけれど、バイトや芸能活動が禁止されている学校などもあるので、学業以外の社会活動をしてよいのかを、念の為に先生に確認したほうがいいと咲都美さんは助言しました。起業を認めてもらうために、学校側が懸念するような点をあらかじめクリアにしておいたほうがいいと思ったのです。

アドバイスを受けた路瑛くんは、事業計画の他に「学校の勉強と両立させることを約束する」「学校での課題は期限内に必ず出す」といった約束ごとも自ら決めて先生へ伝えたそうです。後日、担任の先生から、「学年主任と教頭先生の許可はもらったので、後は校長先生に自分でアポを取って、許可を得るように」という連絡が。

校長先生にアポをとる、これはイチ中学生にとってなかなかにハードルの高いことです。手探りのなか、結局、直接校長室を訪れて予定を聞くという作戦に出たところ、「今なら時間があるから、今プレゼンをしなさい」と言われて、そのまま話をすることに……!

その結果、

  • 「学校の勉強と両立させることを約束する」「学校での課題は期限内に必ず出す」という約束を守ること
  • お金儲けのためではなく「社会貢献したいと思っている子供たちの支援をする会社」という軸を忘れないようにすること

という条件で、起業の許可がおりました。

今でこそ、中学生社長として大勢の大人たちの前でも臆せずに堂々と喋っていて、大人びた印象の路瑛くんですが、「会社設立までで一番緊張したのは、校長室のドアをノックした時だった」と言うくらい、素顔はフツーの中学生です。咲都美さんは、「先生が事業計画書を作るようにおっしゃらなければ、きっと、しばらくしたら諦めていたのではないかと思う」と話してくれました。一人の中学生の「起業」という夢に、周囲の大人が対話を通して真剣に向き合い、考え、実行したすばらしい好例ではないでしょうか。子どもの「やりたい!」 という気持ちを後押しする存在がいかに大事か分かるエピソードです。

クラウドファンディングの成功と株式会社設立

こうして、親や学校から背中を押された結果、あっという間に起業が現実化しました。次の難題は、事業内容の構築と、資金集めです。そのための手段として、路瑛くんはクラウドファンディングに挑戦することにしました。クラウドファンディングは、事業内容にすえた「子どもという理由でやりたいことをあきらめないためのサポート」を伝えるためのメディアサイト「TANQ-JOB」の運営を目的としてスタートしました。

放課後や休日の時間を使って、大勢の大人に会い、助言に耳を傾け、自分の中で情報を整理し、着々と起業に向けて行動し続けました。そして、事業計画書を学校に提出した日からわずか4ヶ月後の2018年10月にクラウドファンディングが成功。なんと、想定の目標額の250%、115万4500円という資金が集まり、手数料を引いた100万円を資本金にして、同年12月に正式に株式会社クリスタルロードを設立したのです。同時にメディアサイト「TANQ-JOB」の運営を開始しました。ここまでの軌跡は、彼自身がかなり詳細にブログにまとめています。

初挑戦のクラウドファンディングは、見事成功

会社設立から1年4ヶ月で起こったこと

筆者が最初に取材に伺ったのは、会社設立から半年過ぎた頃でした。当時の路瑛くんは、メディアサイト「TANQ-JOB」の運営をしながら、出版クラウドファンディングEXODUSにも挑戦して見事成功させ、さらにu-18専門のクラウドファンディング事業を立ち上げるための準備をしているという頃でした。同時に、当時通っていた私立中学校から角川ドワンゴ学園N中等部への転校を考えていた時期でもありました。

次に取材に訪れたのは、それから半年後。株式会社クリスタルロードの事業内容は大きく変わり、「感覚過敏研究所」という新事業が立ち上がっていました。また、路瑛くん自身もN中等部へ転校をしており、公私ともにさまざな変化をとげていたのです。そこで、起業から現在までどのような経験をしたのか、今やっていること、考えていることを路瑛くんに聞きました。

クラウドファンディングに挑戦する前は、「起業の経験がないのにやるの? 経験値を積んでからやりなさい」と言う人が多かったけれど、成功させた後は、周りに集まる人ががらりと変わって、挑戦をポジティブに応援してくれる人が増えました。さまざまなイベントに登壇させていただいたり、起業を考えている同年代の人の相談に乗ったり、一歩踏み出してみたら広い世界が広がっていました。

その一方で、中高生がクラウドファンディングで成功できる事例は少なく、お金がないから諦めてしまう人がたくさんいることも知りました。思いを言葉にして伝え共感を得るのは、子どもにとってはハードルが高いことです。

そこで、自分で18歳以下専用のクラウドファンディングのプラットフォームを作ろうと計画したんです。ところが、ベータ版をリリースした時点で見直しを迫られ、いろいろ検討した結果、サイトをクローズさせるという経験をしました。それを経て、今は「ChallengeFun」という挑戦する人を紹介する投げ銭機能付きメディアに形を変えて運営しています。

また、小中高校生だけで運営することにこだわって運営してきたメディアサイト「TANQ-JOB」も、その存在価値に疑問を持ち始め、さらに自分の編集長としての実力不足を感じるようになり、今後について考えているところです(路瑛くん)

親子起業をしてから、さまざまな場所で大人に混じってお話させていただく機会が増えた

メディアから取材を受ける路瑛くん

最初に考えた2つの事業、メディアサイト「TANQ-JOB」とU-18専用クラウドファンディングという2つの事業は、成功とは言えない状態。その理由を聞くと、「自分の力不足だと思います」ときっぱり。

また、転校の理由については、起業を経験して社会を知ることで学校に違和感や居場所のなさを感じるようになったり、感覚過敏があるため学校生活に苦痛を感じることが増えたため、通っていた私立中学を退学し、N中等部に転校したとのこと。N中等部では真剣にブレストができる仲間もできて、楽しく通っているそうですが、プライベートでもさまざまな葛藤があったことがうかがえます(転校の経緯やN中等部についてはnoteで有料記事になっています)。

起業してからすべてが順風満帆ではなかったかもしれません。しかし、大人でも起業して1年後には半分以上の会社が存続できないのですから、事業計画の見直しはあってしかるべきです。それより、自分に不足する部分を認めたうえでさらに前進すること、ベストな学び方や学ぶ場所を自ら選択する行動、これらは成長の過程として何より必要なことではないでしょうか。

「自分の問題から目をそらさず解決を目指す」を新事業に

確かに、起業をしたことで、辛いことも経験しました。でも、「今をあきらめない生き方をしたい」と思って起業したわけですし、社長になったから得たものの方が大きいので、会社は絶対に手放したくはない。いろいろな葛藤の中にいたと思います。

そんな時、次に踏み出すきっかけをくれたのが父でした。普段は全く口出ししないタイプですが、そのときは相談に乗ってくれて「せっかく会社を持っているなら、自分の困りごとを解決する商品を作ればいいのでは」とアドバイスしてくれたのです。

僕は、小さいときから五感の感覚が過敏で、食べられるものも限られています。そのせいで学校生活でも辛いことがいろいろありましたが、常にある感覚なので、辛いことは見ないようにだけしてきました。でも、父から言われて、今をあきらめないと言いながら、自分の困りごとから目をそらし、自分で機会を潰していたことに気づいたんです。

そこで、まずは自分の問題を解決したいと「感覚過敏研究所」を立ち上げました。コミュニティのメンバーを募集したところ、一日で60人もの人が集まりました。同じような思いをしている人がこんなにいることを知って勇気づけられたと同時に、ポシティブに考えたら、人より敏感だということは強みになると思えました。

感覚過敏がある人の辛さや困りごとを表現し、理解や共感が広がる社会にしたいと挑戦中

今後研究所では、コミュニティの運営の他に、感覚過敏の啓蒙活動、感覚過敏の対策グッズの企画・商品化、そして将来的にはテクノロジーで感覚過敏の困りごとを解決できたらいいなと思っています。第一歩として、感覚過敏がある人の辛さや困りごとを表現した「感覚過敏マーク」を作成して、クラウドファンディングに挑戦中です。

事業内容は変わりましたが、誰もが「今をあきらめない」社会をつくりたい!という思いは同じです。特に同世代には、特別な才能が無くても、挑戦するだけで世界が変わることを伝えたいと思っています。挑戦という言葉を使うと、一歩前に出るのが難しく感じる人もいるかもしれませんが、挑戦が難しいのは「失敗」が怖いからです。でも「挑戦」ではなく「実験」と表現を変えたらどうでしょうか。実験には失敗がつきものなので、急に何か少しやれそうな気がしませんか? 実験がしやすいのは「失敗」が前提だからです。僕の実験と失敗は全て公開していくので、それを見て「失敗は怖くない」と思ってもらえたらうれしいです。(路瑛くん)

フツーの中学生だった彼が、一歩踏み出したことで、いろいろなことに出会い、考え、悩み、励まされ、成長していったことがわかるインタビューでした。

では親として、またビジネスパートナーとして伴走してきた咲都美さんは、その様子をどんな思いで見守ってきたのでしょうか。子育てについて、そして親子起業をして、今感じていることを聞きました。

起業をして1年4ヶ月で、息子は大きく成長しました。そして私も。

路瑛は、妊娠中からお腹の中でなかなか育たず、低出生体重児で生まれました。ですから、自分の中でずっと「小さく生んでごめんね」といううしろめたさがありました。成長も遅い上に早生まれで、できないことも多かったですが、それが当たり前だと思うようにしていたので、同級生と比較することはありませんでした。

いろいろやりたがる子だったので、やりたいという習い事は一通りやらせました。一方、勉強に関しては、人並みに平均点くらいとれたらいいかなと思っていたので、学校の成績が悪くて怒ったことはありません。唯一やってきたことは、六年生まで本の読み聞かせをしてきたことです。本好きにならないのが不思議なくらいの量を読みましたが、読むのが苦手だった息子には良かったようです。

小学校では怒ったことがないと言いましたが、中学受験の勉強中は、かなり怒ってしまいましたね(苦笑)。我が家では「給食のない中学に行きたい!」という理由で、私立中学受験を選択しました。ある時、近所のお兄ちゃんから「カフェテリアのある学校に通っている」と聞いて、本人が希望したのです。

息子は、小さい頃から食べられないものが多かったのですが、小学校ではそのことを理解していただけなくて、給食や宿泊行事などでとても苦労していたので、私も希望を叶えたいと思いました。しかし、いざ受験勉強がはじまってみると、塾も家庭教師も合わず、結局私が教えて受験をすることに……。受験算数なんて、なかなか上手に教えられず、イライラしてつい「もうやめなさい!」と何度も言ってしまいました。それでも、「給食のない学校に行く」というモチベーションで、息子も頑張り、合格することができました。

そんな苦労をしてせっかく入った学校ですが、結局辞めることになってしまいました。正直な気持ちとしては、一般的な学生の道から踏み出す怖さはあるし、普通の中学校生活を送ってほしいという思いもあります。しかし、息子が挑戦していくなかで、私自身も視野が広がりました。

親は、子どもには幸せになってほしいと願うあまり、幸せになれなかったらどうしようという不安も多分に抱えるものです。自分の不安を解消したいがために、一般的に安全と言われている道を正解と思い込んでしまうこともあるでしょう。勉強していい大学にいきなさい、安定した大企業に就職しなさいと言うのはその最たる例ですよね。でも、サラリーマンが安全なわけではないし、親の不安を解消することが子どもの幸せとイコールではありません。もっと大事なことがあるということに気づかされたのです。

息子の挑戦に寄り添ううちに、子育てが終わったなと思った瞬間がありました。インタビューで出会った方が、「今はお金を稼ぐより、信用を稼いで、家族が居なくなって一人で生きることになったとしても助けてって言ったら、助けてくれる大人とたくさん知り合いなさい」と言ってくださったことがあったんです。息子の周りをみわたせば、支えてくれる大人がたくさんいます。もし今私達夫婦に何かがあったとしても、息子はその方々を頼ることができる。そう思うと、息子は親がいなくても生きていけるだろうという安心感が生まれました。親としてなんとも誇らしいことです。

今はまだ責任がとれる年齢ではないのでしばらく共同経営者として伴走しますが、起業してからの成長は親も驚くほどで、自立する日は近いかもしれません。私自身は、路瑛が小さい頃は「大きく成長してほしい」と思うあまり、無理やり食べさせたり、怒ったりすることも多かったことを反省しているので、その経験を生かして、感覚過敏の子を持つ保護者の方々のサポートをできればと考えています。(咲都美さん)

親子起業をしたら、目の前に広い世界が広がっていたと話す路瑛くんと咲都美さん

取材を終えて

中学生社長、親子起業、クラウドファンディング達成という言葉がとてもインパクトがあり、多くのメディアにも取り上げられるなど、注目を集めている加藤さん親子ですが、今回の取材を通して私が注目したのは、起業というプロセスを通して、親子で何を話し、どのような体験をし、そこから何を学んできたのかということでした。

とにかく起業したい!という気持ちが先立つ路瑛くんに、何をしたいのかが先、経験を積んでからにしろというアドバイスは、しごくまっとうなようで、子どもの「やりたい!」という気持ちを簡単に潰しかねません。子どもが一歩踏み出すためには、そっと背中を押す存在が必要です。
路瑛くんの場合、カードゲームとの出会いという、思わぬことから心の中にあった思いに火がついたわけですが、その種火を消さずに事業計画書という具体策を提案して発火させた当時の学校の先生の存在も大きかったと思います。

また、その第一関門を突破させるために子供と一緒に知恵を絞ったお母さんの存在がありました。気持ちははやるけれど、自分には事業を起こすだけの専門性がないと路瑛くんが悲しい気持ちになったとき、アドバイスしたのは咲都美さんでした。「子どもだから」という理由で、いままで挑戦したい気持ちを諦めてきた路瑛くんの悔しい気持ちを聞き出し、それを事業の柱にしたらとアドバイスできたのは、息子と向き合ってきた母ならではの偉業ともいえるのではないでしょうか。

また、普段は余計な口出しをせず、路瑛くんが壁にぶつかったときに、的確なアドバイスをしたお父さんの存在も大きかったと思います。いわゆる常識的な道から子どもが外れることへの不安は誰でもあると思います。特に母親は、子どもに失敗の経験はさせたくはないものですが、実際にビジネスパートナーとなってからは、対話を繰り返し、成功も失敗も共に経験しながら親も世界を広げてきました。子どもから大人に成長していく時期に、親子で一緒に社会人としての経験値を積んでいけるという意味で、親子起業という形はもっと広がってもいいのではないかと思いました。

社名のクリスタルロードは『瑛=クリスタル』、『路=ロード』。路瑛くんの名前を英語にしたものです。光の射す明るい道(クリスタルロード)を歩いて欲しい。そんな親の願いの込められた道を、きっと力強く歩いていくことでしょう。

参照:(株)クリスタルロード , 感覚過敏研究所

※記事の内容は執筆時点のものです

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