連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

葛藤を越えて昆虫食で起業! 自分軸で進む「地球少年」と、信じ切った母|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2020年10月05日 中曽根陽子

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AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は「地球少年」を名乗り、昆虫食の魅力を発信している篠原祐太さんとその母尚美さん。仲間とともに開発した「コオロギラーメン」が話題になり、メディアからも大注目の祐太さんですが、大学に入るまでは、人と違うと思われたくない気持ちから、虫好きを隠し続けた過去がありました。そんな彼がどうやって、自分の好きなことを仕事にしていったのか。子ども時代から今に至るストーリーを聞きました。

野山を駆け回り、自然と戯れた少年時代。2歳でセミを素手で捕まえ、「地球少年」誕生

周囲を山に囲まれた八王子市高尾で育ち、小さい頃から近所の山を駆け回って遊んでいたという祐太くん。とにかく生き物が大好きでした。

「捕まえてきた虫や水辺の生き物を家で大切に飼っている姿はあまりにも嬉しそうで、いつも微笑ましく見ていました。今でも忘れられないのは2歳のとき。近くの公園で本人の手の届く高さに蝉がとまっていて、初めてなのにそれを捕まえることに成功しました。そのとき瞳がキラッと輝いたことです」と母の尚美さん。「地球少年」誕生の瞬間でした。

幼稚園では昆虫博士と呼ばれるほど、虫捕りが大好きだった祐太くん。なんと、実はこの頃から捕った虫を食べていたんだとか。昆虫食はこのころから実践していたんですね。でも、そのことは誰にも言えませんでした。この頃の気持ちについて裕太くんはこう語ります。

「虫をもっと知りたい! という気持ちは強かったけれど、幼稚園では虫は汚いから触らないようにといわれていたし、なにか良くないことをしているのかなという感覚はありました。また、それを言ったら友達から嫌われるんじゃないかという不安があって、正直に言えなかったんです」(裕太くん)

今も昔もずっと「地球少年」

子育ての軸は、「やってみたい事を思いっきりやらせて、個性を伸ばす」

昆虫博士な少年は、運動も大好きでした。なかでも水泳と野球はチームに所属して活動するくらい力を入れていたようです。幼稚園で水泳を始めたのは「体にいいし、命を守るのに必要なことだから」というご両親のすすめでしたが、本人も平泳ぎが大好きになり、選手コースまで進んで都大会にも出るくらいまで上達しました。平泳ぎが好きになったのは、カエルが大好きだったから。カエルみたいなキックができるようになりたい!という気持ちからだったようです。

本人の希望で小学1年生から野球を始めたそうですが、ここにはちょっと複雑な裕太くんの気持ちがあったようです。祐太くん曰く「虫捕りをして一緒に遊んでいた友達も、小学生になると虫から離れてほかのことをやりだした。だから、自分も人と違うと思われたくないという気持ちもあった」とのこと。そんな理由がありながらも、生来好奇心旺盛で、体を動かすことが好きだったので、どちらも楽しんでいたそうです。

親としては常に一貫した思いがあったと尚美さん。

「本人がやってみたい事はやらせてあげる。それが子ども達にしてあげられる事だと思って育てていました」(尚美さん)

自由研究のテーマは自然研究がほとんど

「成績優秀者にゲーム機をプレゼント」 塾の広告に惹かれて自ら応募

その後、祐太くんは中学受験をして駒場東邦中学校・高等学校に進学します。受験を選択したきっかけは、テストを受ければ、成績優秀者にゲームをプレゼントするという塾の広告を見たことでした。

両親は中学受験は全く考えておらず、本人が塾のテストを受けたいと言い出したので受けさせたまでだったのです。裕太くんが見事「ゲーム機をゲット」という目的を達成したため、その賞品を受け取りに親子で塾へ行きました。そのとき、塾の先生から「特に優秀な成績だったので、選抜クラスに入りませんか」と、誘いを受けるのです。

本人は褒められたことが嬉しく、瞳を輝かせて「塾に入りたい」と言い出します。尚美さんは、受験の現実をまだよくわかってない祐太くんに、受験を選んだ場合の生活についてしっかり話をしました。

「中学年までは大好きな野球と両立可能だけど、高学年になると通塾は毎日。週末には試験がある。野球の試合も週末だから、どちらか選択せざるを得なくなるかもしれない」ということ。「塾に入ってもいいけど、受験は本気じゃないと成し遂げられないから、毎年学年あがるときに気持ちを確認するね」ということ。対話して裕太くんが了解したうえで、通塾が始まったのです。

「知らないことを知るのは純粋におもしろくて好奇心が満たされる。テストで良い点数を取れるように頑張ることも、ゲーム感覚でおもしろい」

これが祐太くんの塾での勉強にたいする気持ちでした。楽しんで取り組めるということで、5年生で野球を辞めて受験勉強に専念することになります。塾内の選抜クラスで競い合ううちに、より難易度の高い学校を目指すようになっていったのも、自然な流れでした。裕太くんにとって勉強はやらされているのではなく、自分の意思でした。勉強も苦にはならなかったでしょう。

最終的には、通学が無理なくできること、文化祭で見た生物部の展示が充実していたことから、駒場東邦中学校・高等学校を受験することにしました。入学後、生物部の活動が文化祭のときほど生物飼育や採集が盛んでないことを知り「中学では好きな生物のことができる!」と思っていた本人は正直ショックだったといいます。気持ちを切り替えて、野球部に入部しました。

小中高と野球にも熱中

写真上:前列左から3人目、写真下:前2列目左から3人目 が祐太くん

膝のケガで部活を辞めて勉強に没頭するも、大学に行く意味を見失って迷走

野球部として中高生活を楽しんでいた祐太くんですが、高校1年生のときに、悲しい事が起こりました。野球で膝を痛めてしまい、高1の夏休み期間を利用して手術をすることになったのです。2学期が始まってもなんとか松葉杖で通学するのが精一杯で、部活動を思うようにできないという悩みをかかえることになりました。

野球部のメンバーは、「プレイできなくても、できる事だけやっていればいいじゃない」と温かい声をかけてくれたのですが、本人はメンバーへの遠慮で距離を置くようになっていきました。

自分の居場所を見失ったことが、違う場を求めるための引き金になったのかもしれません。高2で野球部を辞め、その夏は親も驚くほど勉強にあけくれていた祐太くん。もともと東大への進学者も多い学校で、本人も「森のフィールドワークをする生物の研究」の道に進みたいという意思から、東大の農学部を目指して勉強に集中したのです。

その結果、高2の模試では全国1位で東大A判定という結果を叩き出し、学校からも「このままの調子で進みましょう」と評価されていました。

「親としては、本人の志望とも合っているし、気持ちが続けば進学できることになるかなと漠然と思っていました。」(尚美さん)

しかし祐太くんは、暗中模索だったのです。

「消去法で始めたとはいえ、野球部は唯一発散できる楽しい場所で、その場所をケガで失ったのはショックでした。自分の好きなことを心から話せる人がいたり、熱中できることがあれば違ったかもしれませんが、自分を出せないモヤモヤを抱えていたので、お先真っ暗な気分でした。進学校だったので勉強はしましたけれど、明確な目標があったわけではなかったので、模試で1位とったことでもうやりきった感がありました」(裕太くん)

さらに、大学に行かなければ勉強できないわけではないと思っていたようです。一度大学の授業を受ける機会があり、そのときに気づいたとのこと。東大を目指すことを前提として勉強している人が周囲にはいっぱいいましたが、東大を目指す強い意思を感じられないことに違和感があったといいます。

また彼自身も、本当は自然のなかで生き物と戯れて生きていきていきたいけれど、それをどうやって現実に結びつけていけば良いのかがわからない。自分は自分だと思いながらも、人と違う道を進むことに不安がないと言ったら嘘になるという葛藤を抱えるなかで、急速に受験勉強へのモチベーションがしぼんでいったのです。

高2までに単位は取り終わっていて、週1回登校すれば卒業はできる状況だった裕太くん。高3の1年間は家で本ばかり読む生活になっていったそうです。

その様子を見ていて、尚美さんは「このまま目的を見失って思い悩む日々になっていくのでは」と心配を募らせていきます。親としても葛藤した1年でしたが、最後は祐太くんの心が壊れないことをだけを願い見守りました。

母の思いが届いて大学に入学。昆虫食をカミングアウトしたら、思ってもみない世界につながった

「今年は受験しないだろうと思いながらも、本番を経験できるチャンスは年に一度しかないので、大学の願書をひとつだけこっそり出しておいた」と尚美さん。

「やりたい道が決まっていれば大学卒業資格は必ずしも必要ではないけれど、この子の場合は道が決まっていないからこそ、新しい世界をいろいろ見せたかったのです」(尚美さん)

一方本人は、前日まで受ける気はないと言っていましたが、「勉強していないのに受かるわけない」という父親の一言に反発して急遽受験。慶応大学に合格したのです。

合格したものの最初は通うつもりはなかった祐太くん。とはいえ、行かないで否定するのは違うかなとの思いで入学しました。すると、好きなことがやれる環境があり世界が広がります。「どうせなら、満喫してみよう」とさまざまなサークルや授業に積極的に参加してみたり、起業しようと頑張ったり、忙しい日々を送っていました。

一見充実した大学生活を送っているようでしたが、その頃の様子を見ていて尚美さんは、裕太くんにある問いかけをしました。

「今やっていることが一番やってみたいことならいいけれど、それを続けていくことを本当に幸せと思えているの?」

実際、祐太くんもまだ迷っていたのです。好きなことを思い切りできていない自分への苛立ちや、何者でもない自分を大きく見せようとしているだけだという思いが大きくなっていました。

ちょうどその頃、FAO(国連食糧農業機関)が「昆虫食は食糧難を解決する一つの切り札になる」というレポートを出します。これが裕太くんに響きました。

「自分の好きなものが地球を救う可能性がある!」

国連に後押ししてもらっているような気持ちになり、SNSで昆虫の面白さに触れた記事を紹介しながら、自分も虫を食べていたことをカミングアウトしました。

「理解できない」というネガティブな反応が多い中、「おもしろいね」と興味を持ってくれる人もいました。そのうちの一人とともに山に昆虫を捕まえに行き、調理して一緒に食べたら「喜んでもらえた」。その体験から、虫が好きな自分も受けいれてくれる人がいるということに勇気をもらえ、自分の気持ちを素直に表現できるようになっていったそうです。自分を受け入れてくれる人と出会えるようになり、今の活動につながる仲間とも出会います。

本当に好きなことを言えず、生きている心地がしなかったグレーな時代とは打って変わった今があります。自己開示したことで心からやりたいことに共感してくれる仲間と、好きなことができる。祐太くんの前には、希望に溢れた彩り豊かな世界が広がっていったのです。

慶応大学の学食でコオロギラーメンを提供 大勢が列を作る

子どもから大人まで食育のワークシップを開催

昆虫食を産業として成り立たせたい! 次の夢に向かって同志と起業

大学在学中から「地球少年」を名乗り、昆虫食の開発やワークショップなど、昆虫の魅力を発信する活動を積極的にしてきた祐太くんは、徳島大学発のベンチャー企業などと共同研究したコオロギを使い「コオロギラーメン」を開発しました。

大学卒業後は、仲間と共に地球食レストラン「ANTCICADA」をオープンして、本格的に昆虫食を広げていくための活動をしています。今後の展望について聞くとこう思いを語ってくれました。

「店を広げようとか、大きくしようと思っていません。ここを拠点として、思いを伝え、商品を開発し、メッセージを届けていきます。今は、資源に限りあるなかでの捕食として昆虫食が取り上げられていますが、それはもったいない。僕らは虫を愛好家だけのマニアックな食べ物ではなく、産業として成り立たせていきたいと思っています。昆虫をほかの動植物と同じ『生きものの仲間』というフィールドで捉えることが、よりフラットで豊かな世界につながっていくのです。昆虫食が、人の思い込みを外し、価値観を広げる経験になれると信じています。味わったことがない・やったことがない・体験したことがないのに決めつけたり、自分の感覚より人の評価を気にする人が多いかもしれません。でも周りがなんと言おうと、自分が感じていることは確かなものだと思えることが大事なんです。かつて自分の好きなことを言えなくて苦しかった経験をふまえて、そのことを特に子どもたちに向けて発信していきたいとも思っています」(裕太くん)

最後に、子育て中の人へのメッセージを聞くと「親の価値観を押し付けている人が多いと感じるので、もっと子どもを信じてあげて欲しい。そして、ある程度の年齢になったら、親子ではなく、一人の人間として接して欲しい」と一言。

自分のやりたいということはやらせてくれて、葛藤も見守ってくれた両親への感謝と共に、真っ直ぐに自分の思いを語ってくれました。

「地球をより楽しむ」を提供する会社を設立

思いを共にする仲間と一緒に

取材時、コオロギラーメンの説明をしてくれる祐太くん

子どもは親の所有物ではない。でも、ここぞという時には、親の思いをきちんと伝えた

祐太くんの話を隣で微笑みながら聞く、母尚美さんに、親としての思いを聞きました。

小さいときから好奇心旺盛で、集中力のある子どもでした。とにかく子どものやりたいことは、やらせてあげたいと思っていましたから、家族で遊びに行く場所も、自然の多い山や川が中心。家族キャンプも恒例でした。また、日頃から常に子どもたちとお喋りしていたので、思春期になっても何でも話すのが当たり前で……。ママ友から、「息子が学校からの連絡を何にも教えてくれないから、裕太くんに聞いて教えてほしい」といつも連絡をもらっていました。大人になった今でも変わらず、仕事もプライベートに関しても、何でも話してくれますし、今は親子というより大人同士として話している感じです。この関係は親としても大変嬉しく思っています。

でも、1日も遅刻もせず学校に通い続けた息子が、目的を見失い家で本を読んで過ごす毎日になっていた時には、いくら話しても本人の心に届かず、悩みました。そのとき親として思い出したのが「この子が生まれてきた時、一生元気で幸せなら充分」と思った気持ちです。幸せへのレール、それはあったに超したことはないかもしれませんが、親のための自己満足の要素が強いと気づきました。子どもは、親の所有物ではありません。だから今追い詰めてはいけない。彼の心が壊れないように。子どもの本当の幸せを考えるとシンプルにそこにたどり着いたのです。より深い懐で見守り、本当に困った時にはいつでも横にいてあげればいいんだと、親としても一皮むけ、成長した時期だったと思います。

「大学受験」というカードを用意したのは、本人を見ていて大学だけは彼のためになると思ったからです。入学後もいろいろ迷っているとき、ほかのことは言いませんが、卒業だけはしてほしいと、そのひとつだけはずっと伝え続けました。難しい道を選ぶ人ほど、大卒という切符は手にしておいたほうがいいと思ったからです。本当に必要なことだけは根気良く言うのも、本気で幸せを願う親にしかできないことだと思います。

一番嬉しかったのは、「あの時、進学を進めてくれて本当によかった」と言ってくれたことです。「経験のない自分には、見えてない事があったけど、大学に入ってみると自分のやりたい事を突き進む奴がいたり、もっとみんな気楽で自由だなと思えて、世界が広がった」と言ってくれました。やるとなったら完璧主義なところがあり、繊細な心でいっぱいいっぱいに背負ってしまって、自分を追い詰めてしまうという悪循環があったかもしれませんが、そこから解放されたときだと思います。

心を開ける友人ができてほしかったので、今そういう仲間と一緒にやりたいことができていることがとても嬉しいし、いろいろな方に活躍の場を与えていただけていることに感謝しかありません。自分で選んだ開拓者の道なので、これからも困難にぶつかることはあると思いますが、自分で決めたことだから覚悟と責任を持って進んでほしい。若いうちなら失敗も次に活かせます。それでももし相談してきたら、いつでも手を差し伸べる存在でありたいと思います。

これからも楽しみにしているよ!(母より)

取材を終えて

祐太くんに初めて会ったのは、まだ大学生の頃。すでに昆虫のTシャツを着て「地球少年」と名乗り、昆虫食の魅力と共に自己開示できなくて苦しかった過去を率直に話してくれたのが印象的でした。

それから3年、さまざまなメディアに取り上げられる祐太くんの周りには、それぞれ異なる資質を持ちながら、同じ思いを抱き共に行動する仲間がいて、その中心にいる祐太くんは、3年前とは見違えるほどたくましく、自信に溢れていました。

今回取材をするにあたって、「ANTCICADA」でコオロギラーメンをいただきました。あっさりしているけれどコクがあり、食すほどに命をまるごと頂いているということを五感で感じられる、経験したことのない美味しいラーメンでした。これはまさに、祐太くんたちが魂を込めた味だと思いました。そして、確かに自分の思い込みを外すきっかけになりました。

イノベーションを起こしていく人は、「普通」の枠組みに収まらない強さを持ち合わせていると思われがちですが、祐太くんや、その周りにいる人達は、自分の好きなことに自然体で正直に向き合っているだけのように感じました。でもそれが揺るがない強さになっている。肩肘張らないピュアなエネルギーが集まっているから、多くの人を惹きつけるのでしょう。

取材でお店に滞在している間、ひっきりなしにお客さんが訪れていましたが、その一人ひとりに丁寧に商品の説明をして接客する祐太くんの姿に、きちんと育った人なんだなと感じました。実際、母の尚美さんは、子どもに対する深い愛情を持ちながら、1人の人間として子どもを尊重する知性あふれる方でした。それでも、子どもは外で本当の自分を自己開示できなくてもがき苦しんでいたのです。わが子といえ、その内面を理解するのは難しいものですね。

昆虫を食べていたことは知らなかったとおっしゃるけれど、強さも弱さも含めて、ありのままを認め信じてもらっていたから、祐太くんは今こうしてはばたけているのでしょう。「ありのままを認めて信じ切る!」これは難しいけれど、ほんとうに大事なことですね。

※記事の内容は執筆時点のものです

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