連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

プログラミング世界大会出場をきっかけに留学を決意した小学生はどう育ったのか|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2021年2月02日 中曽根陽子

0

AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は、国際的なロボットコンテストWRO(World Robot Olympiad)のオープンカテゴリ小学生部門に、日本代表として2回出場して世界7位・8位という成績を残し、孫正義育英財団の財団生にも選ばれている小助川晴大(はるた)くんとご両親(小助川 将さん・陽子さん)です。

WROで晴大くんはチームのメンバーと地球温暖化やフードロスの問題を解決するロボットを開発しました。そして世界大会に出場したときに、東南アジアの国々の成長スピードを目の当たりにし、自分もその中に身をおいて学びたいと、中学からの留学を決意します。「将来、世界の課題を解決するために起業をしたい」という晴大くんは、いったいどのように育ったのでしょうか。本人とご両親に聞きました。

小学3年生でロボットコンテストの世界大会に出場し、7位入賞

WRO(World Robot Olympiad)は自律型ロボットによる国際的なロボットコンテストで、世界60以上の国と地域から6万人以上の小・中・高校生が参加して、ロボットをプログラムにより自動制御する技術を競います。晴大くんらが参加したオープンカテゴリ(テーマに沿って自由な造形でロボットを制作する)では、制作者の論理性、説明能力、審査員とのコミュニケーション能力のすべてが評価の対象になります。

晴大くんが初めて出場したのは8歳(小学3年生)の時。1年生から通っていたプログラミング教室で、大会出場のためのチームメイトを探していた教室生に誘われてチームを結成。国内大会を闘い抜き、世界大会に出場することになりました。この年のオープンカテゴリのテーマは”サスティナビリティ”。このとき初めて、地球温暖化という言葉を知ったという晴大くんは、地球環境について調べていくうちに、「地球はこんなことになっているの? ヤバい!」と思ったそうです。

そしてチームメイトと2人で考えて作った、“地球温暖化による氷山の溶解で引き起こる海面上昇をくいとめるためのロボット”は、みごと世界7位に入賞します。

初めて出場した世界大会で7位入賞を決めて喜ぶ晴大くん

さらに翌年、新メンバーを加えて世界大会に出場。今度は、恵方巻きをキャンディにするロボットを開発して8位入賞を果たしました。なぜ、恵方巻きをキャンディにするというアイデアを思いついたのでしょう。それは、この年のテーマが食料危機で、たまたま家族で見ていたテレビで、恵方巻が大量に廃棄されている映像を見て衝撃を受けたからでした。いろいろ調べていくうちに、世界では食料がなくて困っている人がいる一方、先進国では捨てられている食料がたくさんあることを知ります。そしてフードロスという問題に興味を持ち、廃棄するのではなく日持ちする別の食品に再生する方法を考え出したのです。

国内大会で優勝し、2年連続世界大会出場を決める

発展スピードの早い東南アジアで学びたいと、留学を決意

WROの大会に出たことがきっかけで、社会にさまざまな課題があることに気がついた晴大くんは「課題を解決できる人になりたい」と強く思うようになります。

その後お母さんの勧めで、5年生のときに孫正義育英財団の財団生に応募し、合格。多様なバックグラウンドを持つ財団生たちと話す内に、さらに視野が広がり、中学から東南アジアの学校に留学したいと思うようになっていきます。

東南アジアの学校を選んだのは、発展スピードが早く多様性に富んだ国々だから。晴大くんは「WROの世界大会で上位を占めるのは、東南アジアの子どもたちで、自分も一緒に学びたいと思った」と言います。小学6年生が、自分の意志で新しい世界に一人で飛び込んで行こうとしているのは驚きです。いったいどんな子育てをされたのでしょう。ご両親に話を聞きました。

子どもがやりたいことができる環境を与えたい

「小さい頃は、一日20時間は寝ているような手のかからない子どもでした」とお母さん。公園でも、活発な3歳上の姉には敵わないと、アスレチックの下から見ているような、おとなしいお子さんだったそうです。

ところが年中のときの引っ越しにともない、子どもがやりたいことを自由にやらせてくれる園に転園したのをきっかけに、晴大くんは好きなことに積極的に取り組むようになりました。特にハマったのが「モノ作り」。一人で集中して、ダンボールでミニ4駆のレース場や自販機、ロボットなどを作っていました。

幼稚園の頃は、ダンボール工作にハマっていた

そんな様子をみていて、「自分のやりたいことができる環境にいたほうがいい」と思った両親は、小学校受験をすることにしたのです。お母さんは、受験の準備のための教室を2つ見学し、晴大くんがおもしろいと思ったほうを選びました。そして、横浜国立大学教育学部付属横浜小学校に入学します。

小学校受験を選択した背景には、上の子のある経験がありました。晴大くんのお姉ちゃんは公立小学校だったのですが、先生の理不尽な対応をきっかけに学校に行き渋るようになったことがあったのです。その体験から、ご両親ともに「改めて子どもの教育を考えるようになった」といいます。子どもの育ちには、環境の影響が大きいと考えて、お姉ちゃんは中学受験を、晴大くんは小学校受験を選択したのです。

ご両親は晴大くんが通う小学校のことを「アクティブ・ラーニングの実験場のような学校で、この学校で個性を伸ばしてもらえた」と話してくれました。先生はファシリテータ役で子どもが主体的に議論をする機会がたくさんあるそうです。好きなことにはとことんハマるという晴大くんの性格に、自主性を尊重する学校は合っていたようです。

プログラミングとの出会い

プログラミングに出会うキッカケは「モノ作りが好きなら合うのでは」と考えたご両親の提案です。複数の教室を見に行き、指示されて一斉に同じものを作る教室ではなく、多様な年齢の子どもたちが集まって、それぞれ好きな作品を作っている教室を選びました。

それまで作ってきたダンボール工作は『できた!』という達成感で終わり。でも、プログラミングの場合、ロボットが動くし、失敗もあるけれど、それを乗り越えてできたときに喜びがある――晴大くんはプログラミングに興味を持ち、1年生から教室に通うようになります。

ロボットは動くから楽しい

2年生からは進学塾にも通ったといいます。ご両親は中学受験も考えていたのです。進学塾での勉強は「クラスが下がれば悔しいし、歴史が大好きなので、社会の授業はおもしろくて、先生も褒めてくれるので楽しかったけれど、言われたことをノートにメモして、復習するだけの勉強はあまりおもしろくなかった」そうです。それでも、WRO世界大会の準備で忙しくなる5年生の夏休み前まで、塾も辞めずに続けていました。

どんなロボットを作るのか、チームメンバーとトコトン話し合う

そして、今はシンガポールのインターナショナルスクールを目指して、英語の個別指導塾に通って準備をしているそうです。晴大くんが中学からの海外留学を選んだことについて、ご両親は次のように話します。

「寂しい気持ちもあります。でも、本人が選んだことだから応援したいです。姉が受験をした頃には、子どもの教育環境を選ぶうえで、中学受験しか選択肢がなかったけれど、今は通信制の学校や、インターナショナルなど様々な選択肢があります。姉もやりたいことをどんどんやっていく弟を見て、コロナを機に自分の進路を考え直したようで、私立中高一貫校からN高に転校することになりました。その決断も応援したいです」

子どものやりたいことは全力でサポート。子育てを通じて親も成長した

子育てでご両親が心がけてきたことを聞くと、「本人がやりたいと思ったこと興味あることは、全力でサポートしようと思ってきた」とお父さん。体験で視野が広がると思ったので、子どもがやりたい気持ちを発見するための材料を提供してきました。また子どもたちには、自ら考えて行動できるようになってほしいと思っているのでティーチングではなく、問いかけを大事にしてきました。

一方、お母さんはこれまでの子育てを振り返って次のように話します。

「子どもが小さい頃、私は時短勤務で……。様子が気になると、つい子どもをコントロールしていました。自分でもそれが嫌だったんです。でも、仕事でも子育てでも『自分で問いを立てて考えることが大事だ』と実感するようになって。そこから徐々に子どもをコントロールしなくなりました。フルタイムで仕事をするようになって、忙しくて子ども構えなくなったという面も大きかったかもしれません」(お母さん)

親自身にもやりたいことや、すべきことがたくさんあります。子どもにばかりかまっていられない。自己管理してもらわないと困る。それも本音です。晴大くんは、両親が忙しくて食事の支度ができない時に、自分で調べてご飯を作るようになり、料理が好きになったとか。もちろん、今日は一緒に食べようとか、今日は家族で出かけようと約束しているときには、その時間を皆で守るようにしているそうです。子どもたちも大きくなった今、それぞれが相手を尊重する対等な関係でやりたいことをやる。家庭生活はうまく回っているようです。

フィリピンにでかけた時の家族写真

子どもの探究力を伸ばすには

WROの世界大会に出るまでには半年くらいかけて準備をします。そのなかで、自ら問いを立てて探究をしていくのですが、子どもの力だけでは限度があるはずです。ご両親はどのようにサポートをしていたのかを聞きました。

「答えを教えるのではなく、調べ方を教えたり、ヒントを与えたりすることで、子どもが自分で見つけていくきっかけを与えるようにしていました」(お父さん)

たとえば子どもがネットで検索していたら、「ほかにどんな方法があるかな?」と問いかける。「直接話しを聞きに行ってみようかな」となれば、そのサポートをする。「フードロスの取り組みをやっている工場があるみたいだよ」など、関連する情報をつぶやいて、「行ってみたい」となったら一緒に行くというような関わり方です。

またWRO出場の準備をしている時は、家庭での会話もそのテーマに関すること一色になり、ホワイトボードを囲んでディスカッションをしていました。しかし「それ以上にチームで取り組んでいたので、それぞれの親から違う視点のアドバイスをもらえたことがとてもよかった」とお母さん。WRO出場という経験を通して、親も驚くほど成長していったのです。

自身もいくつかの会社を経て、教育事業を立ち上げた起業家でもあるお父さんに「未来を作っていく子どもたちにとって、どんな力が必要だと思うか」を聞きました。

その答えは「好奇心」。なぜなら、興味や好奇心を持つことが、子どもが一歩を踏み出すエネルギー源だから。

「いくら知識を詰め込んでもAIやロボットには叶いません。将来どうなるかわからない時代に、親の経験を伝えることはリスクでもあります。親は子どもが興味を持ったことを軌道修正しようとせず、大事にしてほしい。そして、子どもが、おもしろそう。やってみたいというところから一歩踏み出して、行動に移すサポートをしてあげることが大事ではないか」と話してくれました。

本人が「やり過ぎ」というくらいチームで何度もプレゼンの練習をした

将来の夢は世界中を冒険して、世界共通の課題を見つけ出し、解決する人になること

最後に晴大くんに、同年代の子たちに対して感じていることと将来について聞きました。

「学校ではゲームの話をしたり、普通に友達と遊んだりしているけれど、環境問題のことを話せるのは、ごく一部の友達だけ」といいます。そして「同年代の友達と話していると、これが正解だと決めつけているところがあると感じる」と言います。「たとえば、『宇宙に木はあるだろうか』という話をしたら、『宇宙に木なんかない』と決めつけられる。だけど、行ったこともないのにどうしてわかるのかと思う」と。

こういった視点は、新しい発見をしていくときに欠かせない視点です。私達は疑ってもみないで、決めつけていることが多いのではとハッとさせられました。

将来のことは、「何をしていくかはまだわからないけれど、世界中を冒険したい。その中でいろいろな課題を見つけると思うから、それらの共通点を探して解決していきたいと思っています。起業したいというのも、目的ではなくそのための手段です」としっかりと話してくれました。この春から一人で留学をする晴大くんが、広い世界に出て何を見て何を感じ、どう成長していくのか楽しみです。

取材を終えて

取材を申し込む前に、公開されている晴大くんのプレゼン動画を見ました。大人顔負けに堂々と話す姿に、親御さんが力をいれて練習させたのだろうなと思いました。しかし今回直接話しをしてみて、晴大くんのパッションが、人の心を動かすのだとわかりました。そして、そのパッションを育てているのがご両親だったのです。

私は子どもの育ち(特に土台作り)には、親が何を見せて、どう関わるかが重要だと考えています。今回その好例を見せてもらえたと思います。晴大くんはWROに出ることで、社会が抱えるさまざまな課題に気づき、ピュアな心でその課題を解決するために何ができるかを考えていく体験をしました。その過程で驚くほど成長をしていったのです。

それにはご両親が晴大くんのことをよく観察し、機を見て子どもが一歩踏み出す背中を押すサポートをしていたこと。そして答えを教えるのではなく、子ども自身が自分で選択していけるような問いかけをするという親の関わり方が、大きな影響を与えていました。晴大くんは大のゲーム好きですが、時間管理も自分でするようになったそうです。これも、自分で考えさせる関わりのなかで身についてきたことではないでしょうか。

晴大くんに影響を与えているのは、両親が「自分たちもやりたいことをしていくから、君たちも好きなことをして生きていきなさい!」と言い切れていることなのではないかと、取材を通して思いました。起業したいという考えもお父さんがロールモデルになっているのでしょう。「パパでもできるなら自分でもできるじゃない!と思っている」という晴大くんを嬉しそうに見守るご両親の笑顔が印象的でした。大きな信頼で結ばれている親子だなと思いました。

※記事の内容は執筆時点のものです

0