連載 「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

日本初の全寮制国際高校ISAKを卒業し、世界を目指して海外大学に進学|「自分のやりたい!」がある子はどう育ったのか

専門家・プロ
2021年8月04日 中曽根陽子

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AIが登場し、人間が果たす役割が変わっていこうとしています。「いい大学、いい会社に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっていることは、多くの方が感じているでしょう。子どもたちが、しあわせに生きていくためには、どんな力が必要なのか? 親にできることは? この連載ではやりたいことを見つけ、その情熱を社会のなかで活かしているワカモノに注目します。彼らがどんな子ども時代を過ごしたのか。親子でどんな関りがあったのか。「新しい時代を生きる力」を育てるヒントを探っていきます。

今回の主人公は軽井沢にあるユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン(UWC ISAK/以下、ISAK)を卒業し、今年の秋からトロント大学への進学が決まっている、菅拓哉さんとお母さんです。ISAKは日本初の全寮制の国際高校で、世界83カ国から集まった生徒たちが学んでいます。ある意味では開成や灘に入るよりも難しく、世界に貢献する意欲のある人を育てる学校として注目が集まっている学校です。今回はどのような経緯でその進路を選んだのか。どんな子ども時代を過ごしていたのかを聞きました。

日本の外に視野を広げてくれたのは両親

「両親が『世界に!』というマインドだったから、自分も世界に目を向けられました」という拓哉さん。

ISAKは軽井沢にある全寮制国際高校。世界83カ国から集まった約200人の生徒のうち日本人はわずか30人前後で、学内の公用語は英語です。ずっと日本国内で育った拓哉さんが、高校からISAKを選ぶに至った理由のひとつが、小さい頃からの両親の働きかけでした。

「親として、どうしたら彼の可能性を広げられるか考えていた」というお母さん。教育の自由が保障されているオランダのように、多くの選択肢のなかから選んでいけるようになってほしいと思い、小さい頃から教育に関する情報を集めていたのです。

最終的にISAKのリーダーシッププログラムに参加して、拓哉さん本人が受験を決断しました。そこに至るまでにどんな子育てをしてきたのでしょうか。

2021年6月 軽井沢にあるUWC ISAKを卒業

取り戻せない大事な幼児期。大切にしていたのは健全な心と体を育むこと

小さい頃は喘息や食物アレルギーがあったという拓哉さん。食物アレルギーのために保育園にはなかなか入れず、お母さんは幼稚園に入るまでは祖父母に見てもらいながら、フルタイムの仕事と子育てを両立していました。

「体を強くしたい」という思いが強く、食材にこだわり調理をしていたというお母さん。拓哉さんが1歳の頃から子ども用の包丁を持たせて一緒に料理もしていました。なぜなら、食べる楽しみを大事にしたかったから。

「これは食べられない」という言い方はせず、あえて「これが食べられる」と伝えていました。そうするうちに、自分で食べられるもの、食べられないものを判断するようになっていきました。

子ども時代は後から取り戻せない大事な時期だと思ったので、幼児教育についてもいろいろ調べて、子どもの自発性を大事する考え方に共感してモンテッソーリの幼稚園に入れました。また、習い事は体を鍛えるために3歳から始めたスイミング以外はせず、できるだけ外遊びをさせていました。そのうち、家では経験できない遊びもさせたいと、月1回地域で開催されていた野外活動やキャンプに参加するようになります。

周囲からは「食物アレルギーのある子を、よくキャンプに送り出せるね」と言われたこともありましたが、万全の注意をして送り出したのは、なんでもダメと制限するより、プラスの面を見た方がいいと思っていたから。そして、初めての集団に飛び込んで、いかに関係性を築き、楽しい日々を過ごすか、子ども自身の成長する力を信じていたからです。

結果的に拓哉さんは、異年齢の子どもたちや高校生・大学生と一緒に遊んだり、キャンプやスキーに参加しているうちに次第に体力もついて、身体も元気になっていきました。

好奇心旺盛な子ども時代 いい指導者との出会いを大切にした

校長先生の「自己肯定感を育む」というお話に共感して、私立小学校を選択したというお母さん。小学校受験に関しても、そこまでに会得したものが出ればいいと考えて、特に塾などは利用しませんでした。

代わりに大事にしていたのが、さまざまな経験をさせること。週末になると前述の野外活動のほかに、おもしろそうなイベントやワークショップがあれば拓哉さんを連れて出かけていきました。子ども向けのものだけでなく、さまざまな教育系のワークショップに拓哉くんを連れて参加することもありました。

「イベントやワークショプに参加するなかで、自分自身も視野を広げると同時に、教育や子育てに関する自分の価値観や目指したい方向を見定めていきました」(お母さん)

いろいろなことに興味を持つ、物怖じしないタイプだった拓哉さんは、大人のワークショップに連れて行かれたときも、堂々と自分の意見を言い、周りの大人たちから驚かれていました。

その積極性はこんなところにも発揮されます。小2の夏休み、近所のお祭りで和太鼓に一目惚れした拓哉さんは、「どうしても習いたい!」と、太鼓を叩いていたおじさんにその場で頼み込んで、弟子入りします。以来中学生になるまで、太鼓の代わりに古タイヤを使った練習を続け、お祭りでは必ず演奏を披露していました。

その練習の様子について「子ども扱いせず、一人の人間として尊重してくれる方で、師匠と弟子といった関係が素晴らしかったから、親は口出しせずにお任せしようと思った」とお母さん。

小2の夏祭りで一目惚れして以来続けている和太鼓。毎年夏には披露している

小2からは合気道もはじめます。この指導者も怒ったり、強く言ったりしなくても子どもが自ら動く指導法で、大会でも成果を出していました。

和太鼓と合気道で出会った二人の指導法を見て、お母さんは「何をやるかも大事だけれど、誰とやるか、指導者の質を見極めることが大事」だと確信したのです。

ほかにも拓哉さんが熱中したものがあります。落語です。小5の時、ワークショップに参加したことをきっかけに落語にハマったといいます。その後2年ほど落語教室に通い、高座に上がって英語落語を披露したこともあります。子ども時代のこうした経験は、その後ISAKでも生かされ、入学後自らサークルを立ち上げたり、卒業論文の題材になったりします。

英語で落語を披露する拓哉さん。興味を持ったら物怖じせずチャレンジする性格は、小さい頃から変わらない

できないことよりできること、興味のあることを磨いていく

このように好奇心旺盛だった拓哉さんですが、もちろん続かなかったこともあります。祖母の勧めで習い始めた書道は「おしゃべりができないから嫌だ」と辞めてしまいましたし、プログラミング教室にも1回行ったけれど、興味を保てませんでした。

そんな子どもの様子を見て「小さい時から人とコミュニケーションを取ることが好きな子だったから、そこを伸ばした方がいい。できないことではなく、できているところを磨いていったほうがいいと思った」とお母さん。

子どもが食いつきそうなネタは出しますが、決して親が強制したりはしない。決める前に必ず子どもを連れていき、子どもがどう感じるかを大事にしていました。やるかやらないかの最終判断は、子どもに任せていたのです。

この話を聞いていた拓哉さんが「プログラミングは最初にやったときには性に合わなかったけれど、高校生になってその重要性とおもしろさがわかってからはやっていました。新しい知見を得ると、心構えが変わりますよね」と話してくれました。

大人になってくると、好き嫌いも変わるし、必要性を感じたらやるようになることもあるのですね。

小6の時、海外のキャンプに参加。世界に視野が広がった

和太鼓、合気道、落語と興味の対象が“和”に寄っていた拓哉さん。そんな彼が海外に目を向けたきっかけは、CISBという世界各国の11歳の子どもが集まるキャンプに参加したことでした。

CISBは第2次世界大戦後「平和を築くための核は子どもにある」という信念のもと設立された団体が主催するもので、28日間に渡って世界12か国の子ども達と、年上のジュニアカウンセラー(16~ 17歳)と大人のスタッフでさまざまなプログラムをおこないます。

拓哉さんは当時、英語はそんなに得意ではなかったけれど、お母さんもそれまでの様子をみていて、何の不安も感じず送り出せたそうです。予想通り、持ち前のコミュニケーション力を発揮して楽しく過ごした拓哉さんは、帰国後この経験をシェアする対話の場も開きました。

世界中の11歳が集まるキャンプに参加したときの様子

小学生の時はこのようにやりたいことに熱中し「正直、学校の勉強をした記憶があまりない」という拓哉さんですが、附属中学に進学後は定期試験のために勉強をするようになります。本人いわく「周囲が勉強するようになったのでやるようになった」のだとか。その一方で、このまま附属高校に進学して、日本の大学受験のための勉強を続けることに疑問を持つようになっていったのです。

両親も世界の教育動向などを調べていて、本人が望むなら可能性を開いてやりたいと思っていました。進路に関してもいくつかの選択肢を示したといいます。そのひとつがISAK だったのです。ISAKは世界を変革するリーダーたちを育成するために、アジアを中心に若き俊英たちを集めたインターナショナルスクールです。中学時代に ISAKのサマーキャンプに参加した拓哉さんは「ここに行きたい!」と強く思うようになり、受験準備を始めました。

ISAKの試験は第1次試験が過去2年分の成績表、推薦状、願書、TOEFLやIELTS、英検などの英語力の証明書類(任意)、論文提出です。書類審査に通ると第2次試験として面接があります。

受験の課題となったのは英語力でしたが、『世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法』(KADOKAWA)などの著書がある斉藤淳さんが主催する『J PREP』という塾の理念に共感し、入塾します。中3の1年間、拓哉さんはJ PREPに通って実力をつけました。そして見事試験に合格。晴れてISAKでの寮生活が始まったのです。

主体性を求められるISAKの学校生活。支えは幼少期から育まれた自己肯定感とコミュニケーション力

ISAKでの生活は楽しくも、厳しくもありました。何しろ世界中から意欲のある優秀な生徒が集まってくる学校です。拓哉さんも自分の興味があることを突き進んでいる友人の刺激を受けて、自ら勉強するようになっていきました。

ISAKに入って「日本の学校の探究との違いを実感した」と言う拓哉さん。同校でいう探究は、自分で主体的に興味のあることも勉強すること。つまり、やらされているか、自分でやっているかの違いです。

「小・中学校でも、探究の授業はありました。でも、調べたことを仕上げて発表することが目的になっていて、授業が血肉になるかといったら、ちょっと疑問です。自分が興味あることに取り組んで、それをやり続けることができて初めて力になるのだと思います」(拓哉さん)

ISAKはカリキュラムも日本の学校とは全く異なります。リーダーシップやデザイン思考のプログラムと、国際バカロレア・ディプロマ・プログラム(IB DP)に則って、自分で学びたい教科を、ハイヤーレベルとスタンダードレベルそれぞれ3科目ずつ選択するというものです。全教科で習った範囲のことを実社会でどう活かしていくのか、クリティカルに考えて論文を書くことが求められ、それらを通して社会で必要な知識や思考、マインドセットを身につけていくのです。

ISAKのインターナショナルデーの様子

ISAKでの生活を、拓哉さんは次のように振り返ります。

「学内は優秀な人ばかりなので、最初はかなり大変でしたね。自分も劣等感を持つ時はありました。実際、途中でドロップアウトしてしまう人もいる中で、最終的に『自分は大丈夫だ』と思えたんです。そういった自己肯定感と、そして持ち前のコミュニケーション能力で友人を作れたことで3年間を乗り切ることができました」(拓哉さん)

高校在学中は、自ら和太鼓クラブを立ち上げたり、GTE(Global/Technology/Entre)/中高校生対象アントレ教育プログラムの未来2020でピッチを行い優秀賞に輝いたり、アショカユースベンチャーに選出されるなど、自分で選んだチャレンジでいくつのも成果を出し、今年の秋からはトロント大学に進学します。

GTE(Global/Technology/Entre)/中高校生対象アントレ教育プログラムでピッチに立ち優秀賞を受賞

アショカユースベンチャーに選出

できるだけ多くの選択肢の中から可能性を広げてほしいと思ってきた

最後にお母さんに子育てで大事にされてきたことを聞きました。

私が子育てで最も大事にしてきたのは、自己肯定感を育むことです。小さい頃は勉強よりも、さまざまな体験を通じて身心をたくましく育てたいと思っていました。

そのためには家庭だけでなく、関わり合う他者がたくさんいるなかで「育ち合うこと」がとても大事だと考えていました。ですから地域のコミュニティなどには、よく参加させてもらいました。家庭や学校以外の場所でも、いろいろな大人の方との関係性のなかで、心を育てたいと考えたのです。

通っていた小学校も、異年齢の子どもが一緒に活動する機会が多くて、そのなかで成長させてもらった気がします。異年齢の子ども達が学び合うことにはトラブルもあるのですが、そうしたトラブルの課程で、子ども自身が自分で乗り越える力を身につけていく、それが自己肯定感に繋がるのだと思います。

日頃から親として「どうしたら息子の可能性を広げられるか」を考えていましたが、拓哉の場合は、何にでも興味を持ってやりたがるタイプで、人とコミュニケーションを取るのが好きだったので、その特性に合った機会を見つけるようにしていました。

ありがたいことに、思春期になっても拓哉とはいろいろなことを話せる関係です。私が本当におっちょこちょいのダメ母さんなので、気楽に話がしやすいのだと思います。いつの間にか私が失敗するたびに、嬉々としてアドバイスをするような子に育っていきました。

拓哉が寮に入ってからは、こちらからは連絡はしませんでしたね。いつもお腹を空かせている子だったので、安心な食べ物を送ることだけを心がけてていました。

子育ての期間はほんとあっという間です。夢中でやってきましたが、振り返ってみたら、仕事も忙しかったので、もっと一緒の時間を過ごせばよかったと思います。でも、子どもにしたらもう十分だと思っているかもしれませんね。これから自分がやりたいことを実現していく様子が楽しみです。

取材を終えて

拓哉さんのお母さんとは、私が主催していた教育イベントで知り合いました。「息子がISAKを卒業した!」という投稿をみて、ぜひ話を聞きたいと思い、お母さんに連絡をしました。すると、ちょうど留学を前にした拓哉さんにもお話を伺うことができました。

拓哉さんはしっかりとした意思を持ち、それを自分の言葉で語ることのできる好青年でした。物怖じしない性格や好奇心の強さは、生まれ持ったものだと思いますが、お話を伺ってご両親、特にお母さんがそれを開花させたのだと感じました。

子育てで大事にされてきたことのうち「小さい頃は、遊びや体験のなかで、身体作りと心を育てることに集中していた」という点は、私の自著『成功する子は「やりたいこと」を見つけている』でも勧めている点です。

「多くの材料を与えるけれど、最終的には子どもの意思を尊重して、決めつけず、コントロールはしなかった」という点も、子どもの探究力を育む関わり方です。お母さんのネタだしと、拓哉さんの自己決定の塩梅が絶妙だったのだと思います。

それは、拓哉さんの次の言葉が表しています。

「母が与えてくれる情報は、自分の興味・関心に近かったのだと思います。ひょっとするとバイアスがかかっていた情報だったかもしれませんが、子どもの頃の私はそれを素直に受け取れたんです。判断材料はくれるけれど、自分で判断できた点が良かったんだと思います。結果的に世界に目を向けられました。大きくなった今では、いつ何を選ぶか、自分で判断しています」(拓哉さん)

小さな子どもだけの力では、情報を得ることはできません。ですから、親が子どもに何を見せるかで世界が変わります。子どもが何に興味あるのかを見極めるのは、親としての腕の見せどころです。拓哉さんのお母さんの目の付け所はかなり質が高く、さすがだなと思いました。子どものことをよく観察していたから、拓哉さんが食いつきそうなネタをいいタイミングで出せていたのです。子どもがやりたいことを見つけていくために、親はどうサポートすればいいのか、ひとつの参考になるのではないでしょうか。

※記事の内容は執筆時点のものです

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