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大正時代【3】社会運動の高まり ―― イメージで覚える中学受験歴史

2021年11月26日 吉崎 正明

大正時代は15年と短い時代ですが、さまざまな出来事が起こり、“中身”が詰まった時代でもあります。世界的にみると第一次世界大戦があったことはもちろん、それ以外にも国民がさまざまな権利を主張したり、政党内閣ができたりと、日本国内の動きも活発でした。

大正時代後半 ―― 国内の出来事が中心

大正時代の後半は、国内の出来事を中心に進んでいきます。まずは下の表で、どのようなことが起こったのかをイメージしましょう。

さまざまな社会運動が起こった

大正時代は、ロシア革命や米騒動の影響もあり、さまざまな社会運動が盛んにおこなわれました。これら一連の運動や社会的な思想は「大正デモクラシー」と呼ばれ、民主主義を求める動きが活発化します。

なお、東京帝国大学(現在の東京大学)の教授を務めていた吉野作造が「普通選挙と政党政治を進めるべき」という民本(みんぽん)主義を唱え、多くの人々に支持されたのもこの時代です。

民本主義
民主主義では、主権が「国民」とされていました。一方の民本主義では、主権は「天皇」に置きつつ、さらには民主主義の考えも取り入れよう、という考えが提唱されます。つまり「主権は天皇にあるが、国民の代表者が国民のための政治をすべきだ」という考えが民本主義、ということですね。そのため「普通選挙をして、国民の代表者による政治をしよう」という民主主義とはちょっと違う概念を指します。

大正時代は、性別や労働関係、身分などによる差別をなくそう、という社会運動が一気に増えた時代でもありました。具体的には、次のような運動が起こります。

大正時代の社会運動

  • 女性解放運動
  • メーデーの開催
  • 「日本農民組合」の結成
  • 「全国水平社」の結成

女性解放運動

女性解放運動とは、1911年に平塚雷鳥(ひらつからいちょう)と市川房枝(いちかわふさえ)が進めた運動のこと。政治に参加する権利、いわゆる「女性参政権」などを求めました。

平塚雷鳥は「青鞜社(せいとうしゃ)」という団体をつくった女性です。『青鞜』という雑誌を発刊し、「元始、女性は実に太陽であった~~」といった形で女性の権利を主張したことでも知られます。ちなみに青鞜とは、「青い靴下」のこと。18世紀ごろのイギリスで、政治や芸術を議論した女性がはいていた「ブルーストッキング(青い靴下)」にあやかってこの名がつけられたといわれています。

平塚らは女性解放運動を推進しましたが、当時は願いが叶わず、女性参政権は認められませんでした。しかし1945年、女性にもようやく参政権が認められます。そして現在では女性の社会的立場も大きく変わり、東京都知事をはじめ、女性がリーダーとして活躍する場面も増えていますよね。

注意しよう
平塚雷鳥の「鳥」の字を、「島」と間違えてしまう子が多いので注意しましょう。ちなみに平塚雷鳥は「平塚らいてう」と書く場合もありますが、どちらにしても読み方は「らいちょう」です。

メーデーの開催

1920年、日本で最初のメーデーが開催されました。メーデーとは「労働者の祭典」のことで、現在でも毎年5月に実施されています。

「日本農民組合」の結成

1922年には、日本農民組合が結成されました。地主から農地を借りて仕事をしていた農民、通称「小作人(こさくにん)」によって小作料の引き下げなどを訴える小作争議を契機として設立された団体です。

「全国水平社」の結成

日本農民組合と年を同じくして、1922年には「全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)」も結成されました。四民平等が提唱されたにも関わらず、厳しい差別に苦しんでいた人々によって「自分たちで差別をなくそう!」と結成された団体で、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の一文でも知られる全国水平社宣言も出されました。

護憲運動

ここからは、大正時代を代表する大きな運動を見ていきましょう。その運動とは、次のふたつです。

大正時代を代表する運動

  • 第一次護憲運動
  • 第二次護憲運動

第一次護憲運動

明治時代の政府は、特定の地域の出身者のみで構成される「藩閥政府」がその中心でした。しかし明治の終わり頃から、藩閥政治に対する批判が高まっていきます。

そして1912年、尾崎行雄(おざきゆきお)と犬養毅(いぬかいつよし)が「藩閥政治をなくし、憲法にもとづいた政治を守ろう」という運動、いわゆる「第一次護憲運動」を開始し、当時の桂太郎内閣を総辞職に追い込みました。ちなみに神奈川県出身の尾崎行雄は、第一回衆議院総選挙から25回連続で当選し、“憲政の神様”とも呼ばれた人物です。

第二次護憲運動

1924年には、「普通選挙の実現」を目的におこなわれた運動、通称「第二次護憲運動」が加藤高明(かとうたかあき)を中心におこなわれました。ちょうどこの時期、原敬(はらたかし)が内閣総理大臣を務め、日本初の本格的な政党内閣を築いていましたが、彼は「普通選挙はまだ早い」と訴えます。結局、原内閣のあとには役人や軍人出身の内閣が続いたこともあり、護憲運動は一層の高まりをみせ、結果として加藤高明による政党内閣が誕生したのです。

普通選挙法と治安維持法

1925年、普通選挙法と治安維持法が制定されました。このふたつは「アメとムチ」としてセットで呼ばれることが多いですね。

普通選挙法

普通選挙法は「満25歳以上のすべての男子に選挙権をあたえる」といった内容が定められた法律です。直接国税を納める必要がなくなったことで、有権者は日本の人口の約20%へと大幅に増加。1890年に第一回帝国議会が開催された頃は約1%だったので、その影響の大きさがわかりますね。普通選挙法は「みんなたくさん意見を言っていいよ!」といったことが定められ、国民にとっては喜ばしい法律だったため、アメとムチでいうと“アメ”の部分と言われます。

治安維持法

治安維持法は、主に「社会主義的な考えを取りしまる」ために制定された法律です。当時の政府は、「みんな平等」という社会主義の考えを国民が持ち、革命を起こされては困ると考えていました。そこで社会主義的な考え方をする人や、国家の考えに反対する人を取りしまります。なお、ひどい場合には死刑になることもあるなど、“悪法”としても知られました。国民が辛い仕打ちを受けることもあったため、治安維持法はまさに“ムチ”と言われていたのです。

政治以外も押さえておこう

大正時代の後半は政治に関することがその中心ですが、次のふたつの出来事についても押さえておきましょう。

政治以外で押さえておきたい知識

  • 関東大震災
  • ラジオ放送

関東大震災

1923年9月1日、午前11時58分。マグニチュード7.9と推定される大地震、「関東大震災」が人々を襲いました。時間はざっくりと覚えるだけでも大丈夫ですが、少し想像してほしいのが、午前11時58分という時間。この時間は、ちょうどお昼ご飯を食べるタイミングですよね。そしてまさに、関東大震災が起こった日もお昼の準備をしている家が多く、さらには木造建ての家屋がほとんどだったため、建物の倒壊と同時に大規模な火災が発生します。結果として、死者・行方不明者合わせて10万人以上の被害を生んだ大震災となりました。

ラジオ放送

1925年には、東京・大阪でラジオ放送が始まります。この知識は、中学入試でもよく問われるので覚えておきましょう。1926年には、NHK(日本放送協会)も設立されました。

“中身”が詰まった大正時代

わずか15年という、ほかの時代と比べると短い期間で幕を閉じた大正時代。しかし第一次世界大戦や「成金」の出現、さらには大正デモクラシーや東日本大震災が起こるなど、日本を取り巻く状況が一変した時代でもありました。

そんな“中身”がぎゅっと詰まった大正時代の次は、昭和。果たして次は、どのような出来事が待っているのでしょうか ――。


これまでの記事はこちら『イメージで覚える中学受験歴史

※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

都内の中学受験専門塾で社会・国語担当として活躍。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。