連載 イメージで覚える中学受験歴史

昭和時代【1】軍部の台頭 ―― イメージで覚える中学受験歴史

2021年11月30日 吉崎 正明

昭和時代の初期、日本を大変な事態が次々とおそいます。まずは、1927年に起きた「金融恐慌(きょうこう)」。多くの中小企業が不景気を苦にして倒産し、「今、お金をおろさないと銀行がつぶれてしまう」というウワサも広まったことで、人々は銀行に押しかけました。いわゆる、銀行の「取り付け騒ぎ」です。これによって銀行が次々と倒産、または休業に追い込まれ、日本中が大混乱におちいりました。

世界恐慌

日本は金融恐慌に見舞われていましたが、不景気なのは日本だけではありません。当時の世界も大変な状況にありました。それが、1929年に起きた「世界恐慌」です。

第一次世界大戦が終わってヨーロッパの経済が回復すると、アメリカの輸出産業は伸び悩み、アメリカ国内の企業は次々に倒産していきました。こうした状況で、人々は持っていた株式をいっせいに売ってしまいます。その影響もあり、ニューヨークのウォール街にある取引所の株価が大暴落。ニューヨークは“世界の経済の中心地”でもあったため、株価の大暴落は世界中の経済に影響しました。その影響は日本にも飛び火し、日本国内では失業者が増え、さらにはコメの価格の暴落や凶作もあり、食べ物も満足に食べられないような貧しい生活を強いられる人々がたくさん現れたのです。

各国の経済政策

そんな不景気のなか、各国は経済政策をおこないます。では、次の国々の政策について見ていきましょう。

各国の経済政策

  • アメリカ
  • イギリス・フランス
  • 日本

アメリカ

当時、広大な植民地を持っていたアメリカは、世界恐慌をきっかけにダム建設などの公共事業を進めます。理由は、失業者に仕事を与えるためです。これらの政策は「ニューディール政策」と呼ばれました。

イギリス・フランス

イギリスやフランスは、「自国と、自国の植民地との間だけで貿易をおこなう」という政策、いわゆる「ブロック経済」を取り入れます。ほかの国の貿易品に高い関税をかけることで、外国の製品を自国に入れない、つまり“ブロック”することによって、自分たちの国でつくった商品だけが国内で売れるようにしたのです。

日本

日本は、植民地を持っていませんでした。そこで、同じ状況にあったドイツ・イタリアと同じく、植民地の獲得に向けて動き出します。そして日本は関東軍に命じて、これまでの戦争で獲得した「遼東(リャオトン)半島南部」や「南満州鉄道」の警備を担当させました。

軍部の台頭

日本では、関東軍をはじめとする「軍部」が政治にも力を及ぼすようになります。そして、次のような出来事が起こりました。

軍部の台頭によって起きた出来事

  • 満州事変
  • 五・一五事件
  • 国際連盟から脱退
  • 二・二六事件

満州事変

1931年、日本は満州を占領します。これは満州事変と呼ばれ、そのきっかけとなったのが「柳条湖(りゅうじょうこ)事件」です。

柳条湖事件
植民地獲得に燃えていた関東軍が、1931年9月18日に起こした事件。柳条湖付近の南満州鉄道の線路にダイナマイトをしかけ、爆発させた事件として知られます。なお、テストによっては「南満州鉄道爆破事件」と書いても正解です。

柳条湖事件は、関東軍が起こした事件です。しかし関東軍は「中国軍のしわざだ!」と相手に濡れ衣を着せ、攻撃を開始します。めちゃくちゃな話ですが、関東軍としては植民地が獲得できれば何でもありだったのです。なお、ここまでの一連の出来事が「満州事変」と呼ばれます。

結果として日本は満州を占領し、1932年3月に「満州国」を建国。満州国は中国から独立した国とされましたが、建国された経緯を見ても実質的には“日本の植民地”でした。

五・一五事件

満州国が建国されると、日本の軍部は調子づきます。「日本経済が回復してきたのは、軍部の活躍のおかげだ!」と鼻高々だったのです。こうした状況を「まずい……」と思ったのは、当時の内閣総理大臣・犬養毅(いぬかいつよし)。満州国の建国に対し、「関東軍、それはやりすぎだろ」と反対の意を示します。結果として1932年5月15日、犬養毅は海軍の青年将校たちに暗殺されてしまいました。この事件は、暗殺された日をとって「五・一五(ご・いちご)事件」と呼ばれます。このとき犬養毅の口から出たとさせる「話せばわかる」というせりふは今でも有名ですね。ちなみに「青年将校」とは、年齢の若い軍人を指す言葉です。

犬養毅が死んでしまったことで、1924年以来8年間続いていた政党政治は終わり、政治の中心が軍人や役人などに移っていきました。

国際連盟から脱退

満州事変により一方的に悪者にされ、さらに満州まで占領されて国までつくられてしまった中国。これらは関東軍のしわざのため、中国の人々は納得いきません。そこで国際連盟に対し、「満州事変で悪いのは実は日本なんです!」と訴えました。そして調査に訪れた国際連盟のリットン調査団は、「満州国は認めない」という内容の報告書を提出します。報告書は日本の立場を配慮した内容ではありましたが、柳条湖事件での“自作自演”がばれてしまったことに、今度は日本側が納得いきません。

そして1933年、日本は国際連盟を脱退します。そもそも国際連盟は、「みんなで仲良くしようね」と平和主義を誓って設立された国際的な組織。そこから脱退するということは、たとえば小学校のクラスで「もうお前らなんか仲間じゃない!」と言い放つのと同じこと。こうして日本は、世界から孤立することになったのです。

二・二六事件

1936年2月26日、「二・二六(に・にろく)事件」が起こります。有力な政治家たちを陸軍の青年将校が暗殺した事件ですが、このとき暗殺された政治家のなかには、中学受験で“男子御三家”と呼ばれる学校のひとつ、開成中学で初代校長を務めた大蔵大臣・高橋是清(これきよ)も含まれていました。

そして、この事件を聞いて怒ったのが昭和天皇。天皇自身の口から「私が兵を連れて反乱軍を倒す!」と言ったともされ、これを聞いた陸軍の青年将校たち、通称「反乱軍」は降伏。つまり、二・二六事件は失敗に終わったのです。しかし軍部が強い力を持っていたという事実は変わらず、政治的な発言力はより強まっていきました。

整理しよう
五・一五事件:海軍の青年将校が犬養毅を暗殺した事件
二・二六事件:陸軍の青年将校が有力な政治家たちを暗殺した事件

日中戦争

軍部の勢いは止まることを知らず、ついに1937年、日本と中国のあいだで日中戦争がぼっ発します。日中戦争は決着がなかなかつかず、泥沼化していきました。

盧溝橋事件

盧溝橋(ろこうきょう)事件は、北京郊外に位置していた橋、盧溝橋で1937年7月7日に起こった事件です。当時、日本軍は盧溝橋の近くで軍事訓練をおこなっていました。すると、「パーンッ!」という銃声の音が聞こえます。実弾を使った訓練ではなかったこともあり、「何ごとだ!?」と日本軍が集まりました。このとき、日本軍の1人が行方不明に。「まさか、中国のしわざ……?」と疑心暗鬼にとらわれた日本軍は、中国と戦争をする準備を始めます。そしてこの盧溝橋事件が、日中戦争が開戦するきっかけとなったのです。

その後、行方不明だった1人はスッキリした顔で戻ってきます。なんと、トイレで踏ん張っていただけだったとか。もしもこれによって戦争に発展したのであれば、シャレになりませんよね。ちなみに、私がこのエピソードを中学受験生の子たちに話すと、「盧溝橋事件って“トイレ事件”でしょ」と話す子も……。まぁ、あくまで日中戦争のきっかけとなった事件、であることは押さえておきましょう。また、盧溝橋の「盧」の字を間違える子も多いので注意してくださいね。

南京事件

盧溝橋事件のあと、日本軍は南京(ナンキン)を占領し、女性や子供を含む多くの中国人を殺害します。これは「南京事件」とも呼ばれ、世界中から非難を受けました。

国家総動員法

1938年、近衛文麿(このえふみまろ)内閣が「国家総動員法(こっかそうどういんほう)」を制定します。日中戦争が長期化し、いわゆる「泥沼状態」となっていましたが、この戦いを決着させるためにつくられた法律です。これによって政府は、議会の承認がなくても戦争に必要な物資などを自由に調達できるようになりました。実におそろしい法律ですね。

大政翼賛会

1940年、近衛文麿内閣は「大政翼賛会(たいせいよくさんかい)」も設立します。設立の目的は、政府の方針に人々を従わせるため。結果として全ての政党が解散し、ひとつになりました。大きな怪獣が政党を次々と飲み込み、自らの“栄養分”にしていったようなイメージですね。そして、こうした背景もあり、すべての日本国民が戦争に協力する体制が取られていったのです。

戦争勝利に向け、ガマンを重ねる人々

「ぜいたくは敵だ!」という大号令も聞かれるようになり、日本では食べ物などの生活用品も「配給制」が取られるようになりました。日中戦争の勝利に向け、人々はガマンを重ねていたのです。この先、日本はどうなってしまうのでしょうか ――。


これまでの記事はこちら『イメージで覚える中学受験歴史

※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

都内の中学受験専門塾で社会・国語担当として活躍。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。