大正時代【2】第一次世界大戦の終結 ―― イメージで覚える中学受験歴史
第一次世界大戦は、三国協商を中心とした「連合国」、三国同盟を中心とした「同盟国」の間で起こった争いです。この大戦で日本は連合国側につき、景気の回復をはじめとして恩恵を得ます。そんな折、ロシアでは革命が起こりました。日本は連合国とともに、この革命を止めるための準備を整えていきます。
ロシア革命
1917年、「ロシア革命」が起こり、社会主義の政府がつくられます。社会主義とは、平等な社会を目指す考えのこと。一見すると良さそうな考えにも思えますが、「個人で稼いだお金はすべて国のもの」といった一面もありました。
このとき日本やアメリカなどは、「自分たちの国にも社会主義が広まると、労働者が団結して支配者(天皇など)を追い出すかもしれない……」とロシア革命をおそれます。そこで自国に社会主義が広まらないように、イギリス・日本・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中華民国を中心とする連合国は、ロシアのシベリアに兵隊を出兵させました。これは「シベリア出兵」と呼ばれます。ちなみに連合国からは「日本は7000人の兵を出してね」と言われていましたが、気合いが入りすぎたのか、日本はその十倍の70000人もの兵隊を出兵させたそうです。
米騒動
「腹が減っては戦(いくさ)ができぬ」といった想いのもと、日本はシベリアにいる兵士のためにお米を大量に送りました。その一方で日本国内では米が不足し、さらには冷害による凶作も重なり、大変な事態におちいります。そして、次のような悲しい状況が次々と現れ始めたのです ――。
1918年、漁業が盛んな町として知られる富山県魚津(うおづ)。朝、漁に出かける父ちゃんのため、母ちゃんはおにぎりをつくってあげようと米びつを開けてみますが、そこにはやっぱりお米がありません。となりの家に借りに行っても、ありません。そして、そのとなりの家にも……。そう、どこにも米がないのです。これでは父ちゃんにおにぎりを持たせてあげられません。
米屋に行けば売っていますが、かなり高い値段で売られているので買えません。「米が足りない」という状況を逆手にとり、米屋が米を買い占め、大もうけしようとしていたのです。こうした状況を前に、魚津の母ちゃんたちは怒ります。ついには、カイ(船をこぐための道具)を持って立ち上がり、米屋などをおそったとか。これは「越中(えっちゅう)の女一揆(おんないっき)」と呼ばれますが、やっていることは強盗そのもの。でも、当時の人々は「こんな一揆が起きるのは当然だよね」と非難しなかったそうです。結果として日本各地で同じようなことが起こり、これら一連の騒ぎは「米騒動」と呼ばれました。
寺内正毅から、原敬へ
こうした米騒動に対し、内閣は「日本で革命でも起こったら大変……」と焦ったのか、武力を使って米騒動を一気にしずめました。武力を使ったということは、たとえ話し合ったとしても国民を納得させられない、と考えたということ。結局、その後も国民の怒りは収まらず、内閣総理大臣だった寺内正毅(てらうちまさたけ)は政治のやり方を非難され、その責任をとって内閣を総辞職しました。
とじる
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