【社会】宋銭とは? 中学受験で押さえておきたい「5つの銭貨」
歴史の教科書でところどころに登場する、貨幣の話。しかし種類が多くて、それぞれの違いがわからない子も多いでしょう。
たとえば「宋銭」は、日本が中国(宋)から輸入した銅銭のことですが、次のような疑問が浮かんでくるかもしれません。
お金を輸入するってどういうこと?
中国のお金を日本で使えたの?
富本銭や明銭との違いは?
こうした疑問は、貨幣の歴史を全体像で捉えるとスッキリ理解できます。
中学入試の問題は「5つの銭貨(せんか)」を押さえればおおよそカバーできるので、今回は貨幣の歴史の全体像をお伝えしつつ、それぞれの銭貨の特徴についても紹介しますね。
貨幣の歴史
歴史を学ぶ小学生向けに「貨幣の歴史」をシンプル化してみると、大きく3つの時代に分けることができます。
そして、その流れのなかに5つの銭貨が登場します。
物々交換の時代
飛鳥時代より前の時代は、そもそもお金が存在しません。
ではお金が存在しない時代、人々はどうやってモノの取り引きをしていたのでしょうか?
答えは、物々交換。
物々交換とは「同じような価値のモノ同士を交換する」という意味の言葉で、たとえば「海でとれた魚」と「田んぼで育てたお米」を、ちょうど同じくらいの価値になる量で交換しました。
でも、物々交換って超不便ですよね……。
そこで使われたのが、お金の代わりになる“あるモノ”。
その“あるモノ”とは、米、布、塩です。
これらには以下3つの特徴があったことから、当時の人々のあいだで「お金」としての機能を果たすようになりました。
- 価値が急に変わらない
- みんなにとって価値がある
- 長期間保存できる
銭貨流通の時代
奈良時代の始まりごろ、現在の5円玉みたいな形のお金が使われ始めます。
円形で、穴の空いた当時のお金は「銭貨(せんか)」と呼ばれました。
日本では「和同開珎」という銭貨がつくられましたが、流通量が足りなくなってきたので中国からお金を輸入するようになります。
それが、宋銭や明銭です。
でも宋銭や明銭は、けっこう問題だらけでした……。
使っている銭貨は地方によってバラバラだし、その価値も適当。
つまり、日本全国で共通して使えるものではなかったのです。
そこで登場するのが、貨幣制度です。
貨幣制度の時代
貨幣制度については、次の3つの制度を押さえておきましょう。
- 三貨制
- 金本位
- 管理通貨制
三貨制度
江戸時代に入ると、世界的にも珍しい「三貨制度」という制度を徳川家康がつくります。
金(小判)・銀(銀丁)・銅(銭貨)の3種類のお金の価値を幕府が保証するという制度で、このとき銅(銭貨)として最も使われたのが、歴史上でも有名な「寛永通宝」です。
金(小判)・銀(銀丁)・銅(銭貨)の3つのお金は、決まった相場で両替えすることもできました。「両替商」と呼ばれる、現在の銀行のような役割の人たちが活動していたのも重要なポイントです。
金本位制
近代的な貨幣制度を整えるため、明治時代になると大阪に「造幣局」が建設され、金本位制が整えられました。
金本位制とは、金(きん)の価値を基準とする制度のこと。
明治政府によって「円(えん)」という単位のお金が発行されましたが、その価値を政府が保証するために、1円をいつでも1.5グラムの金と交換できるようにしたのです。
一見すると完璧に見える金本位制ですが、長くは続きませんでした。
金本位制を運用するには、大量の金を政府が常に保有していなくてはいけません。そして自分の国の通貨が海外に流れると、政府が保有している金も外国に流れてしまいます……。
そのため結局は、現在の貨幣制度へと移行していったのです。
管理通貨制
管理通貨制とは、政府がもっている金の量とは関係なく貨幣を発行できる制度のこと。
貨幣は金と交換できないこともあり、貨幣を発行する国の信頼によって成り立っている制度ともいわれています。
管理通貨制では、貨幣の価値が急激に変動しないように細心の注意を払う必要があります。たとえば貨幣をたくさん発行しすぎると、貨幣の価値が下がってしまうんですね。
5つの銭貨
中学受験で押さえておきたいのが、5つの銭貨です。
- 富本銭
- 和同開珎
- 宋銭
- 明銭
- 寛永通宝
[1]富本銭
日本で最初につくられた銅銭、とされているのが「富本銭」です。
683年ごろにつくられました。
「日本で最も古くにつくられた」といわれていますが、遺跡から見つかったのは30枚ほどだけ。
藤原京を建設するために発行されたという説や、まじないのために発行されたという説もありますが、つくられた目的はよくわかっていません。お金の役割を果たしていたかどうかも謎のままです。
しかしながら中学受験の対策という点においては、次の知識を押さえておきましょう。
- 日本ではじめて製造された銅銭
- 奈良県「明日香村」の遺跡で出土した
[2]和同開珎
次は、超有名な「和同開珎」について。
都(みやこ)を中心に実際に流通していた貨幣といわれています。
中学入試で重要なポイントは、日本で実際に流通したはじめての銭貨ということ。
ただし流通していたのは奈良や京都などの都で、地方では依然として物々交換が主流だったようです。
ややマニアックな話になりますが、和同開珎の「和同」とは、発行された当時の元号のこと。
この当時は珍しい出来事があると天皇が元号をコロコロ変えていたこともあり、今回も「武蔵国(現在の埼玉県)で銅が発見された!」という出来事をきっかけに、元号が「和銅(同)」へと変更されました。
そしてその時期につくられた銭貨ということから、(銅という漢字を少し簡略化して)「和同」と付けたんですね。
[3]宋銭
和同開珎をつくってみたものの、人々のモノの取引きが活発になるにつれて銭貨が足りなくなっていきます。
それなら「銭貨をたくさんつくっている中国から輸入しよう!」ということで、平清盛が整備した日宋貿易により、中国から「宋銭」を大量に輸入するようになりました。
つまり日本の取引きでは、中国のお金がメインで使われるようになったのです。
[4]明銭
中国の宋が滅びて「明」になっても、中国からの銭貨の輸出は止まりません。
日明貿易においても、日本は中国(明)から大量に銭貨を輸入していました。
明銭で特に有名なのが「永楽通宝」です。
宋銭と同じく、中国から輸入した中国のお金を“日本のお金”として使っていたんですね。
[5]寛永通宝
徳川家康が三貨制度を整備したあとの日本は、金や銀の貨幣はあるものの、銅の貨幣は中国から輸入したものが最も流通しているという状況でした。
「これはアカン」ということで、3代将軍・徳川家光が銅銭を発行します。
これが、寛永通宝です。
寛永通宝については、次のふたつのポイントを押さえておきましょう。
- (寛永通宝が発行されたことにより)金貨・銀貨・銅貨の3種類のお金がようやく日本国内でも製造されるようになった
- 幕末までの長いあいだ、日本の広い範囲で使われた
まとめ
今回紹介した「5つの銭貨」を押さえれば、中学入試の大半の問題に対応できます。
ただし、貨幣の名称を覚えるだけではNG。
貨幣の歴史のなかの、どこにその貨幣が登場するか、についてもしっかりと押さえておきましょう!
※記事の内容は執筆時点のものです
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