
【社会】貿易の歴史を総まとめ! 5つの時代に分けて全体像を把握しよう
歴史の教科書は「時代」ごとに情報が整理されているので、「テーマ」に沿った流れが理解しにくい……。
こう悩んでいる親子は多いのではないでしょうか?
たとえば「貿易や外交」の流れもそのひとつですよね。
とはいえ、こうした悩みを解決する“王道の手段”があります。
それが、以下のふたつです。
- 教科書からそのテーマを抜き出して全体像を把握する
- 時代ごとに大きくグループ化して理解する
今回は、数あるテーマのなかでも特に流れがわかりにくい「貿易や外交」について、その全体像を総まとめしてお伝えします。
大きく5つの時代に分けて、それぞれの時代の貿易の特徴を見ていきましょう。
Contents
貿易の歴史 ―― 全体像を押さえよう
ではさっそく、貿易の歴史の全体像を見てみましょう。
つい忘れがちな「朝貢」の時代から、明治政府による「不平等条約の改正」までの大きな流れを示したのが以下の図です。
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この図のポイントは「5つの時代」に分類していること。
こうして分類するだけで、貿易の流れを一気に把握しやすくなります。
- 中国への貢物の時代
- 中国への使節の時代
- 両者の利益を狙う時代
- 江戸時代の鎖国の時代
- 欧米と不平等条約の時代
ではそれぞれの時代について、どんな貿易がおこなわれていたかを詳しく見ていきましょう。
1、中国への貢物の時代
「貿易」とは、モノやお金を外国と交換したりすることを指す言葉。とはいえ弥生時代には、「貿易」という言葉から想像されるものとは少しだけ違うことがおこなわれていました。
中国の周辺の国(日本を含む)が、中国の王朝に貢物(みつぎもの)を持っていき、そのお返しとしてモノや称号を王朝から与えられる、という形式の貿易だったんですね。
王朝に貢物を献上することは「朝貢(ちょうこう)」と呼ばれます。そのため弥生時代は、ずばり“朝貢の時代”といえるのです。
朝貢の時代に関しては、中国の王朝から称号を与えられた日本の3人の王を押さえておきましょう。
2、中国への使節の時代
聖徳太子(厩戸王)の時代になると、日本は中国と対等な外交を目指しました。
そこで派遣したのが「遣隋使」です。中国との対等な関係のなかで、中国の文化を取り入れようとしたのですね。
その後、中国の王朝が唐になっても、中国の文化を取り入れるための派遣は続きました。このとき唐に派遣されたのが「遣唐使」です。
遣隋使と遣唐使について、それぞれの基本ポイントを押さえましょう。
<遣隋使>
■期間
600年〜618年
■目的
・隋と対等な国だと認めてもらう
・隋の文化を日本に持ち帰る
■重要人物
小野妹子(最初に派遣された人)
<遣唐使>
■期間
630年〜894年
■目的
・唐と外交をする
・唐の文化を日本に持ち帰る
■重要人物
菅原道真(遣唐使を廃止した人)
3、両者の利益を狙った時代
平安時代になると、いよいよ私たちが想像するような「貿易」が始まります。外国とモノやお金を交換して、お互いが利益を得るような取り引きが始まったのですね。
平安時代から江戸時代にかけていくつかの貿易が出てきますが、中学入試対策としては次の4つの貿易を押さえましょう!
- 日宋貿易
- 日明貿易
- 南蛮貿易
- 朱印船貿易
それぞれの貿易には、押さえるべきポイントがあります。
それが、貿易相手、貿易品、貿易港、重要人物です。
日宋貿易
まずは、平安時代の後期から鎌倉時代にかけておこなわれた「日宋貿易」から見ていきましょう。
貿易相手
貿易相手は「宋(中国)」です。
日本と宋の貿易だから“日宋”貿易と呼ばれています。
貿易品
日本は「宋銭(宋でつくられたお金)」や「陶磁器」などを宋から輸入しました。
ここでのポイントは、宋銭です。
日本でも「和同開珎」という銭貨がつくられましたが、生産が追いつかず、宋から輸入した宋銭が主に使われていました。
宋銭については、以下の記事をご覧ください。
【社会】宋銭とは? 中学受験で押さえておきたい「5つの銭貨」
貿易港
もともと日本には船が停泊できるような港がほぼない状態でしたが、日宋貿易では、現在の神戸港の一部にあたる「大輪田泊(おおわだのとまり)」に貿易港が整備されました。
重要人物
重要人物は「平清盛」です。
日宋貿易をガンガン推進し、大きな利益をあげた人物で、貿易船が停泊できる大輪田泊を整備したのもこの人です。
日明貿易
つぎは、室町時代から江戸時代にかけておこなわれた「日明貿易」です。
「勘合貿易」とも呼ばれたりします。
貿易相手
貿易相手は「明(中国)」です。
日宋貿易と同様、ネーミングがとてもシンプルで覚えやすいですね。
貿易品
日本は「明銭(明でつくられたお金)」や「生糸」を明から輸入しました。
ここでのポイントも、やはり明銭。
宋銭と同じく、日本国内で銭貨(せんか)として使われました。
貿易港
貿易港は、大阪の「堺」、福岡の「博多」を押さえましょう。
日宋貿易を経て、日本国内では次々に貿易港が整備されていきました。
重要人物
重要人物は「足利義満」です。室町幕府の第三代将軍ですね。
日明貿易をはじめた人物で、海賊船と貿易船を見分けるための「勘合」という仕組みをつくりました。
南蛮貿易
日明貿易と同様に、室町時代から江戸時代にかけておこなわれていた「南蛮貿易」についても見ていきましょう。
貿易相手
貿易相手は「南蛮人」です。南蛮人とは、主にポルトガル人やスペイン人のことです。
ちなみに南蛮とは、東南アジアのこと。その当時、ポルトガル人やスペイン人が東南アジアを経由して日本にやってきたので「南蛮人」と呼ばれるようになったそうです。
ちょっとややこしいですね……。
貿易品
南蛮貿易では中国でつくられた「生糸」などが輸入されましたが、ここでのポイントはなんといっても「鉄砲」でしょう。
はじめは、種子島にたまたま流れ着いたポルトガル人によって日本に入ってきましたが、その後も南蛮貿易によって鉄砲がたくさん輸入されました。
日本からの輸出品は「銀」です。世界遺産にもなっている「石見銀山(いわみぎんざん)」で取れた銀ですね。
日本の石見銀山は、世界でもトップクラスの産出量を誇っていたようです。日本は、これを輸出したのです。
貿易港
貿易港は「平戸」と「長崎」のふたつを押さえましょう。
両方とも、現在の長崎県にある貿易港です。
重要人物
重要人物は「織田信長」です。
織田信長は、南蛮貿易を推進した人物。新しい兵器である鉄砲をいち早く導入したり、キリスト教を保護したりと、西洋の文化や技術の活用に積極的だった人物です。
朱印船貿易
最後は、江戸時代におこなわれていた「朱印船貿易」です。
貿易相手
貿易相手は「東南アジア」です。
現在のフィリピンにあたる「ルソン」、タイにあたる「シャム」、そしてカンボジアなどと貿易をおこないました。
貿易品
日本は「生糸」を輸入し、「銀」や「硫黄」を輸出しました。
貿易港
南蛮貿易と同じく、貿易港としては「平戸」と「長崎」を押さえましょう。
重要人物
重要人物は「徳川家康」です。
朱印船貿易は豊臣秀吉の時代からおこなわれていたようですが、徳川家康が積極的に推進して制度化したと言われています。
ちなみに「朱印」とは、朱印状のこと。外国へ渡るための許可証です。
朱印状は徳川幕府が発行していました。
4、江戸時代の鎖国の時代
江戸時代といえば「鎖国」のイメージがありますね。
江戸幕府はキリスト教を取り締まるため、貿易を制限し、日本人が外国へ行ったりすることを禁止した時代です。
鎖国下では、原則として外国との貿易や交流は幕府によって制限されていましたが、外部と交流するための「4つの窓口」は開かれていました。
この窓口も、しっかり押さえておきましょう。
ちなみに鎖国下でも、中国とオランダとの貿易はかなり盛んにおこなわれていました。
なぜ、中国とオランダだけOKだったのでしょうか?
それは、キリスト教の布教に関係がない国だったからですね。
理由もあわせて覚えておきましょう。
5、不平等条約の時代
最後は、欧米との不平等条約の時代です。
1858年に日本とアメリカで結ばれた条約は、関税自主権が日本にない、という不平等な条約でした。
条約の名前……日米修好通商条約
交渉した人……井伊直弼
何が不平等?……日本に関税自主権がない
不平等が解消されたのは、だいぶ時間がたった1911年になってから。
アメリカと交渉し、関税自主権の回復を実現したのは「小村寿太郎」です。
まとめ
今回は「貿易」をテーマに、その歴史の全体像を解説してきました。
大きく分けて5つの時代があることや、それぞれの時代のポイントは掴めたでしょうか?
※画像をクリックで拡大できます
歴史を勉強すると、テーマごとの流れが把握できない……という悩みに直面する子は多いようですが、以下のふたつを意識して学ぶことで流れを理解しやすくなります。
- 教科書からそのテーマを抜き出して全体像を把握する
- 時代ごとに大きくグループ化して理解する
これらを日頃の学習に活かしつつ、受験力を高めていきましょう!
※記事の内容は執筆時点のものです
とじる
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