「できなくて恥ずかしい」勉強中に生じる恥を克服するには ―― 中学受験との向き合い方
「周りよりもテストの点数が悪くて恥ずかしい」という想いは、多くの受験生に生じ得るもの。「恥」はときに、モチベーションの足枷になります。受験生はどのように向き合うべきなのでしょうか。
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恥という漢字に目が無いのが恥の意味?
私の個人的解釈ですが、恥という漢字には耳はあっても目がありません。目が付いていない。目を付けられたくない。見られたくない状態を表しているのではないでしょうか。これを「自分には心の声が聞こえてはいるが、他人にはそこを見られたくない」――というふうに解釈すると恥の意味に迫ることが出来るように思えます。恥ずかしい思いをすることを「面目を失う」とか「面目ない」というのも「見られたくない」と繋がっているように思えます。
本来の恥は正しく生きていくための物差し
孟子は恥について、次のように言ったそうです。(田中純 超訳)
恥は人が人間であるために大きな意味がある。計略をめぐらして真偽を曲げたり責任逃れをしたりする者は、恥ずべきことすら恥じない。つまり恥知らずだ、足らない自分を恥じることがなければ、どうして人間であり得るだろうか。
恥ずかしいと感じるシチュエーションは人それぞれです。しかしこの気持ちは、自分自身の今後の行動を改めるきっかけをつくる感情だと私は考えます。
恥を知るということ
恥を知るべき場面というのは、おもに人の道に反すること。たとえば「法律を侵す」「誰かを傷つける」「他人のせいにする」の3つです。もしもお子さんが、これらを恥だと感じていなければ、しっかりと叱るべきですね。
先にも述べましたが、恥という感情はしばしば「こうした想いはくり返さないぞ!」という戒めにも似た感情を引き起こします。たとえば、友達の家の窓ガラスを割ってしまったとき。友達の親御さんの気持ちや手間を想像したうえで誠心誠意謝り、もう同じことはしないと反省したとしましょう。これは「友達や友達の親を傷つけた」という自分のおこないを、しっかりと恥じた結果ともいえます。
しかし、誤魔化したり誰かのせいにしてしまったときは「恥を知らない状態」です。「友達や友達の親を傷つけた」だけでなく、「他人のせいにしたこと」によって、さらにほかの「誰かが傷つく」といったように、恥は上塗りされることでしょう。また恥だと感じていないため戒めの感情も持てず、同じことをくり返してしまう可能性もあります。
このように、もしもお子さんが恥を知らないときは、しっかりと親御さんが「それは恥ずかしい行いなんだ」「恥を知りなさい」と諭すべきでしょう。恥を知ることで、「恥をかかないように」と道を外すことなく進むことができます。また、万が一恥をかいたとしても、軌道修正できるはずです。正しく生きていくためのひとつの物差しとして、恥は必要な要素となることでしょう。
受験勉強で生じる「恥」との向き合い方
前述した3つの場面での「恥」とは違い、受験勉強で生じる恥は、今後の行動を改めるための感情にはなりにくいです。
「こんな点数をとって恥ずかしい」「クラスが下がったなんて、みっともない」という感情だけでは発奮することが難しく、低い点数のテストを親に見られないようにコッソリ捨ててしまう場面も想像できます。
また「恥をさらしたくない」が偏って前面に出てしまうと、貴重な学びの機会を逸することもあります。ミスを恐れるあまり、学校や塾の先生に質問できなかったり、友達と学び合うときに見栄を張って知ったかぶりをしてしまったり、モチベーションが下がることもあるかもしれません。恥ずかしくて「穴があったら入りたい」という表現もありますが、墓穴にだけは飛び込んでほしくないですね。ですから、勉強面での恥とは上手に付き合う必要がありそうです。
「失敗した」とか「不出来だ」「劣っている」という認識と恥の感情。これらが生じる原因と適切な向き合い方について考えてみます。
感情は親から受け継ぐ
とじる
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