奈良時代【2】聖武天皇による仏教政治 ―― イメージで覚える中学受験歴史
奈良時代の天皇のなかで、必ず押さえておきたい天皇がいます。その天皇とは聖武天皇です。聖武天皇は、奈良時代の政治に大きな影響を与えた人物のひとり。仏教を手厚く保護し、「仏教による政治」をおこないました。
Contents
聖武天皇の政治 ―― 仏教の力に助けを求める
聖武天皇が仏教によって世の中を治めようとした理由は、当時は不吉なことが多く、世の中が大変な事態に見舞われていたからです。
聖武天皇の奥さんは光明皇后(藤原不比等の娘)ですが、その光明皇后の兄たち(藤原4兄弟)が次々と亡くなります。原因は「天然痘(てんねんとう)」というウイルス性の病気。ちなみにこの当時、天然痘によって人口の20%以上の人々が亡くなったといわれています。
聖武天皇は、こうした状況を仏教の力で回復させ、平和な世の中にしたいと願ったのです。ただ、仏教を保護しすぎたため、正式な儀式を受けずに勝手に僧になる人も多く現れました。これでは、本当に平和な世の中になるのか少し心配ですよね……。いずれにしても、聖武天皇は「とにかく仏教頼りの政治をおこなった」というイメージを持っておくと良いでしょう。
東大寺と、国分寺・国分尼寺
聖武天皇は、都に東大寺、国ごとに国分寺・国分尼寺(こくぶんにじ)を建てる命令を出しました。仏教を広めるためには、仏教僧が修行をする寺院が必要だと考えたからです。
■東大寺:全国の国分寺・国分尼寺の中心。「総国分寺」とも呼ばれる
■国分尼寺:女性の僧(尼さん)が修行をする寺院
東大寺の大仏
東大寺には大きな大仏があります。この大仏は、当時の人々が約260万人も集まり、10年もの年月をかけ完成(造立)させました。
しかしながら造立当初、農民のなかで大仏づくりを手伝う人はほとんどいなかったそうです。当時の農民たちは税の負担が大きかったため、大仏づくりに力を貸す余裕がなかったのですね。
そこで活躍したのが、行基です。仏教のお坊さんのなかでも“スーパースター”として大人気だった行基に、大仏造立の呼びかけをする白羽の矢が立ったのです。すると、協力してくれる人が続々と集まってきました! 大仏造立以前の行基は朝廷に大変嫌われていたそうですが、大仏完成に貢献したため、仏教僧の最高位である「大僧正」の地位を与えられました。
東大寺の正倉院
東大寺の正倉院には、聖武天皇が大切にしていた遺品をはじめ、約1万点もの品々がおさめられています。ちなみに、正倉院のつくりは「校倉造(あぜくらづくり)」という建築様式をしていて、その外壁は三角形の木材のみを組み合わせてつくられています。くぎを一本も使わずにつくられているのは、びっくりですよね。
公地公民制が崩れる
「大宝律令による政治」で説明しましたが、当時の農民は朝廷から与えられる田んぼ(口分田)をもらい、そこでがんばって稲作をおこなうことで、収穫した稲のうち約3%を「租」として納めていました。そして「租」だけでなく、布を納める「庸」、地方の特産物を納める「調」といったいろいろな税を納めなければならなかったため、生活はとても苦しかったのです。
とじる
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