鎌倉時代【2】鎌倉幕府成立と封建制度 ―― イメージで覚える中学受験歴史
源平合戦を経て、鎌倉に幕府を開いた源頼朝。では、そもそもなぜ鎌倉を拠点としたのでしょうか。まず、頭のなかにつぎのような風景をイメージしてみてください。三方が山に囲まれ、残りが海に囲まれた場所――。鎌倉は、まさにこうした場所に位置していたのですね。つまり、敵から非常に守りやすい土地だったのです。ちなみに鎌倉の武士たちは、山を切り開いた特別な通り道、いわゆる「切り通し」と呼ばれる道を使って移動していました。
幕府が開かれたのはいつ?
鎌倉幕府が開かれたのは何年なのか、については諸説あります。「鎌倉時代【1】源平合戦3つの戦い」のなかでも少し触れましたが、改めてふたつの説についてお伝えします。
まずは、1185年説。これは、壇ノ浦の戦いが終わったあと、全国に守護と地頭を置き、実質的に全国を支配するようになったことで鎌倉幕府の仕組みが整った、と考える説です。もうひとつは1192年説。1192年は、頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命された年です。征夷大将軍は、武士のトップです。征夷大将軍となったことで鎌倉幕府も開かれた、と考える説ですね。
まとめると、以下の通りです。
1185年:守護と地頭を置き、全国を支配する準備が整った
1192年:源頼朝が征夷大将軍に任命された
ちなみに中学入試では、鎌倉幕府の成立年のように、議論が分かれている論点はほぼ出題されません。それよりも鎌倉幕府に関しては、まずはそれぞれの年にどのような出来事があったのかをイメージできるようにしておきましょう。
征夷大将軍と執権
以下の表をもとに、鎌倉幕府のしくみを確認します。
「将軍(征夷大将軍)」は、鎌倉幕府のリーダーを指す言葉です。一方で「執権(しっけん)」とは、将軍を補佐する役職のこと。代々、北条(ほうじょう)氏一族が執権を務めました。
ちなみに平安時代までは、執権と似た役職として「摂政」と「関白」がありました。紛らわしいですが、以下のように役割を確認しておきましょう。執権は「幕府の~」、摂政・関白は「天皇が~」という違いがポイントです。
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