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政党政治とは? 正しく理解するための3つの基本と5つのポイント

2021年1月12日 ゆずぱ

中学受験の「歴史」や「公民」でサラリと登場する、政党政治。次のような疑問を持つ子も少なくありません。

そもそも政党政治ってなに?
何がきっかけで始まったの?
「五・一五事件」って?
「55年体制」ってなんだろう?

実は、これらは “1本の線”でつながっているのですが、正しく理解している子は多くはないでしょう。そこでまずは、政党政治を理解するための「3つの基本」を小学生でもすっきり理解できるように解説していきます。そのうえで、政党政治の歴史に大きく関わる「5つのポイント」について見ていきましょう。

3つの基本

「政党政治」とはナニモノか理解するために、まずは3つの基本から紹介していきます。

【1】政党は「同じ考えを持った人たちの集まり」

そもそも政党とは、「同じ考えをも持った人たちの集まり」を指す言葉です。

経済発展を一番に考える「景気回復党」、教育に重点をおくべきと考える「教育改革党」、環境問題の解決が何よりも最優先だと考える「環境改善党」 ――。これらは架空の政党ではありますが、国が進むべき方向に関して同じ考えを持つ人たちの団体を政党と呼び、政党同士がお互いの主張を闘わせながら国の進む方向を決めていく、これが政党政治と呼ばれるものです。そして国民は、政党に投票することで政治に参加します。

【2】政党政治は、世界のスタンダード

実は日本だけではなく、世界中のあらゆる国が「政党政治」という形でその国の進むべき道を決めています。なぜ、政党政治を多くの国が採用しているのでしょうか?

もしも政党が存在せず、物事を決めるために多くの人が集まって話し合っていたらどうでしょう? 意見がバラバラで、一向に話が進まない様子が想像できますよね。一方で政党が存在し、政党ごとに考えをまとめて話し合いを進めれば、どの政党の案を採用するか決めるだけで方向性が定まります。このように、政党政治は「スピーディーに物事を決めやすい」といったメリットがあるため、世界中の多くの国が取り入れているのです。

【3】政党政治の3パターン

政党政治は、その形態によって3つのパターンにざっくり分かれます。一党制、二大政党制、多党制の3つです。

一党制

一党制とは、政権を担うことができる政党が1党だけの政治形態のことです。代表的な国は中国で、中国では「中国共産党」という政党だけが実質的な政権を握っています。

二大政党制

二大政党制とは、大きなふたつの政党が争っている政治形態のことです。代表的な国はアメリカやイギリスで、アメリカは「民主党」と「共和党」に分かれています。

多党制

多党制とは、たくさんの政党がお互いの考えをぶつけあう政治体制のことです。日本は「自由民主党」が政権を握ることが多い傾向にありますが、実はほかにもたくさんの政党があり、一般的には多党制の国として分類されます。

日本の政党政治 ―― 5つのポイント

政党政治がどういったものか、イメージできましたか? それでは次に、日本の政党政治に関わる5つのポイントを見ていきましょう。

はじまりは「自由民権運動」

日本における政党政治のはじまり、それは明治時代の終わりに起こった自由民権運動と言われます。実はそれまでの日本には政党がなく、藩閥(はんばつ)政治がおこなわれていました。江戸幕府を倒し、明治維新で活躍した鹿児島の薩摩藩、そして山口の長州藩出身の人で政府が埋め尽くされていたんですね。

こうしたなか、「こんな政治はやめて、国民みんなが政治に参加できる仕組みをつくろう!」といった声が高まり、自由民権運動が起こります。そして、日本ではじめての政党が生まれました。

■日本ではじめての政党
自由党(党首:板垣退助)
立憲改進党(党首:大隈重信)

このふたつの政党が、日本における政党政治のはじまりというわけですね。ところが議会には参加できたものの、内閣は依然として薩摩藩と長州藩の人たちで占められていました。

はじめての政党内閣 ―― 原内閣

日本ではじめて本格的な政党内閣が生まれたのは、大正時代に入ってからのことです。原敬(はらたかし)を中心とする「立憲政友会」という政党のメンバーで構成された、原内閣でした。

普通選挙を実現 ―― 加藤内閣

次に押さえたいのが、「憲政会」という政党のメンバーで構成された加藤内閣です。加藤内閣は、普通選挙を実現させました。

■普通選挙って?
普通選挙とは、簡単にいうと「お金持ちじゃなくても参加できる選挙」のことです。加藤内閣ができる前の日本は、基本的には税金をたくさん納めているお金持ちだけが選挙に参加できました。しかし普通選挙が確立されたことで、納める税金の額に関係なく選挙に参加できるようになりました

五・一五事件 ―― 政党内閣が消滅

大正時代から順調に発展を遂げてきた、政党政治。しかし昭和7年、当時の日本を大きく揺るがすクーデターがおこります。それが、「五・一五事件」です。なんと、そのときの内閣総理大臣であった犬養毅(いぬかいつよし)が、海軍の軍人によって暗殺されてしまったのです。その後、内閣は軍人によって占められてしまいました。五・一五事件をきっかけに、日本は政党政治から軍国主義に向かうことになったのです。

第二次世界大戦後 ―― 政党政治が復活

第二次世界大戦が終わると、戦後の日本は連合国軍(GHQ)の司令のもと政党政治を復活させました。そして1955年には、当時の政党の構図をあらわす「55年体制」が成立しました。

■55年体制(与党と野党第一党が議会で対立)
与党:自由民主党
野党第一党:日本社会党

政党政治が復活し、国民の投票で政治の方向性が決まることになった日本ですが、戦後はずっと「自由民主党」が政権を担っていました。戦後に自由民主党以外の政党が政権を握ったのは、わずか2回です。

■戦後、自由民主党以外が政権を握った期間(2020年12月時点)
1993年〜1994年(自由民主党以外の連立政権)
2009年〜2012年(民主党中心の連立政権)

まとめ

小学生には少しとっつきにくい公民分野のなかでも、政党政治は歴史的な事実も押さえておかなくてはいけない単元です。お伝えした「3つの基本」と「5つのポイント」をもとに、政党政治のイメージをふくらませていきましょう。特に5つのポイントは、政党政治を正しく理解するうえで重要です。以下の表も参考に、しっかり押さえておいてくださいね。

日本の政党政治  5つのポイント

1、自由民権運動 …… はじめての政党
2、原内閣    …… はじめての政党内閣
3、加藤内閣   …… 普通選挙の実現
4、五・一五事件 …… 政党内閣の消滅
5、55年体制   …… 戦後の政党構図

※記事の内容は執筆時点のものです

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