安土・桃山時代【1】南蛮貿易 ―― イメージで覚える中学受験歴史
応仁の乱以降、実力さえあれば、身分が下の者が上の者を倒して戦国大名となれる「下剋上」の世の中が訪れました。応仁の乱以降の約100年間は戦国時代と呼ばれ、室町時代の途中から、その後の安土桃山時代まで続きます。そしてこの時期、ヨーロッパの人々が日本に多く訪れるようになりました。
南蛮貿易
日本が戦国時代と呼ばれたころ、ポルトガルやスペインは貿易国や植民地を求め、大型の船を使って海外に次々と進出していました。こうした時代は「大航海時代」と称され、当時のポルトガルやスペインの人々は「南蛮人」と呼ばれます。そして日本が南蛮人とおこなった貿易は「南蛮貿易」と呼ばれました。
南蛮貿易は日本にいくつかの影響を及ぼしました。中学受験の歴史分野でとくに大切なふたつの影響を説明します。
■南蛮貿易が日本に与えた影響
・ポルトガル人によって鉄砲が伝わった
・ザビエルによってキリスト教が伝わった
ポルトガル人によって鉄砲が伝わった
1543年、ポルトガル人が種子島(たねがしま)に漂着しました。種子島は、鹿児島県の南にある島です。「種ヶ島」ではなく「種子島」と書くようにしてくださいね。このとき、ポルトガル人によって伝えられたのが鉄砲です。種子島の大名、種子島時尭(ときたか)に伝えられたとされています。当時伝わったのは「火縄銃」と呼ばれる鉄砲で、その内部にはネジが使われていました。これによって、日本にはじめてネジの技術が伝わったともいわれています。
その後、鉄砲は近江(滋賀県)の国友、和泉(大阪府)の堺などで生産され、戦いの場でも使われるようになりました。
年号の覚え方
1543年の鉄砲伝来……以後(いこう/15)予算(43)は鉄砲に
鉄砲の登場は、当時の戦い方にも影響を与えます。これまでは騎馬を使った一騎打ちが主流でしたが、鉄砲が使われるようになったことで、足軽(あしがる)による集団戦法が増えたのです。お城にも変化があり、山の上に造られた山城(やましろ)ではなく、高い天守閣をもつ平城(ひらじろ)が増えました。平城の城壁には小さな穴が開けられ、その穴から鉄砲で敵を迎え撃ったのです。
ザビエルによってキリスト教が伝わった
1549年、スペイン人の宣教師・フランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸しました。ザビエルはイエズス会の宣教師で、日本にキリスト教を伝えます。このとき日本に伝わったのはカトリック(旧教)です。この当時、アジアを中心にカトリックの布教活動が盛んにおこなわれていましたが、これには深い理由がありました。
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