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江戸時代【2】家光・綱吉の政治 ―― イメージで覚える中学受験歴史

専門家・プロ
2021年5月19日 吉崎 正明

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徳川家康を祖父、そして徳川秀忠を父に持つ家光は、「私は生まれながらにして将軍なり」という言葉を残したといわれています。そして「私は大名のお前たちとは身分が違うのだ」と言わんばかりの強気な政策で、江戸幕府をさらに強くしていきました。一方で江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉は、過去の将軍のように武力でほかを圧倒する「武断(ぶだん)政治」ではなく、学問や教養などを政治に活かす「文治(ぶんち)政治」を進めました。

参勤交代

1615年、江戸時代2代将軍の徳川秀忠により「武家諸法度(ぶけしょはっと)」が制定されました。「江戸時代【1】徳川家康の活躍」で解説したとおり、武家諸法度とは「大名に守らせるためのルール」のことでしたね。

そして1635年、3代将軍・家光はその武家諸法度に「参勤交代」という制度を追加しました。参勤交代とは、江戸と領地を各大名に1年ごとに往復させるというもの。当時はもちろんバスや電車もなく、徒歩で何日もかけて移動しなければなりません。これでは疲れもたまり、さらには宿泊代などにお金もたくさん必要なため、大名たちは困り果ててしまいました。さらに参勤交代では、妻や子供を幕府に“人質”として取られてしまいます。そのため大名は江戸にいる家族を守るため、イヤでも参勤交代をする必要があったのです。

このように参勤交代は大名から見ると厳しい制度であった一方で、幕府としては大名が逆らわないようにするためにその力をパワーダウンさせることを目的にした大切な施策でした。ちなみに参勤交代には、日本橋を起点とする五街道が使われました。

五街道
中山道(なかせんどう)、日光街道、奥州(おうしゅう)街道、甲州街道、東海道

それぞれの街道には多くの宿場(しゅくば)が設けられ、そのなかには旅人が休める宿場町もありました。そして街道の途中には関所(せきしょ)も設けられました。箱根の関所が特に有名ですね。ちなみに関所は「入り鉄砲、出女」を厳しく取り締まる場所として知られていました。

入り鉄砲、出女
「江戸に武器が入ってこないように、逆に人質となっている大名の妻が江戸から出ていかないように注意せよ!」といったこと

鎖国までの歩み

家光が成し遂げたことのひとつに、鎖国の完成があります。鎖国とは、ほかの国といっさい関係を持たない政策のこと。中学受験では鎖国の流れがよく出題されるので、イメージが深まるように詳しく解説していきます。

キリスト教禁止

1612年、秀忠が出した禁教令のもと、次のような理由からキリスト教が禁止されました。

■キリスト教を禁止した理由
「上下関係を重んじる」という幕府の考えに対し、「神の前ではみんな平等」というキリスト教の考えが合わなかったから

キリスト教は「平等」を掲げています。つまりキリスト教の前では、将軍や家来といった身分は関係なくなってしまいます。一方で幕府としては、「上下関係をくずしてはいけない」という考えを持っていました。そのため、キリスト教を厳しく取り締まったのです。そして禁教令のあとに実施した鎖国に関わる政策の数々も、キリスト教を日本から遠ざけることを目的におこなわれました。

スペイン船の来航禁止

禁教令のあと、幕府はヨーロッパ船の来航を禁止します。そして1624年、来航をいち早く禁止したのがスペイン船です。なぜなら、日本に出入りしているヨーロッパの国々のなかでキリスト教を広める可能性が特に高かったからです。ポルトガルもその筆頭でしたが、まずはスペイン船の来航を禁止しました。ちなみに当時はオランダも日本に来ていましたが、彼らの目的はあくまで貿易。「キリスト教は広めない」と約束もしていたため、幕府はオランダ船の来航は禁止しませんでした。

日本人の海外渡航禁止

1635年、家光は日本人の海外渡航も禁止します。日本人が海外に行くことを禁止するのはもちろん、なんと外国にいる日本人が帰ってくることも禁止しました。これはびっくりですよね。海外の日本人からしたら嫌がらせ以外の何物でもありませんでしたが、これもキリスト教が国内に入らないようにするための欠かせない政策だったのです。

島原・天草一揆

キリスト教の禁止に、スペイン船の来航禁止。さらには日本人の海外渡航禁止 ――。キリスト教に対するこうした厳しい政策の数々に、キリスト教徒の怒りは爆発寸前でした。特に九州の島原では、キリスト教徒への厳しい取り締まりだけでなく、領主からの厳しい年貢の取り立ても重なっていました。そしてついに、島原のキリスト教徒の怒りが爆発。1637年、「島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)」が勃発しました。キリスト教徒のリーダーは天草四郎。当時、わずか16歳の青年です(※)。天草四郎は若くして非常に勇気のある行動をみせましたが、幕府の命令により出陣した九州の大名、さらにはオランダの軍艦まで登場したことで、一揆はまさに“一気に”しずめられました。

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吉崎 正明

吉崎 正明

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現役塾講師。都内中学受験塾で社会・国語を担当。12年間在籍した大手進学塾では中学受験難関選抜ゼミ担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」で優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。指導方針は「正しい学習姿勢で、楽しく成績を伸ばす」。また、社会では「センス不要。イメージを作って考える」授業を実践しており、中学受験ナビでも「イメージで覚える中学受験歴史」を執筆。茨城県行方市出身。