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江戸時代【5】大塩平八郎と水野忠邦 ―― イメージで覚える中学受験歴史

2021年7月28日 吉崎 正明

1833年から続いた天保の大飢饉(ききん)により、世の中は深刻な食料不足におちいっていました。たくさんの人々が食料を求め苦しんでいるなか、人々を助けようと立ち上がったのが江戸幕府の元役人・大塩平八郎です。

大塩平八郎の乱

天保の大飢饉(ききん)が起きたころ、大塩平八郎は儒学の陽明学者として大阪で塾の先生をしていました。全国でたくさんの死者が出ている状況に胸を痛めた大塩平八郎は、「自分が住む大阪で、何か困っている人の力になれないか」と考えます。そこで自らが出版した本を売り、その売り上げで食べ物を買い、人々を助けることにしたのです。そのうち幕府が人々を救済してくれることを信じながら……。

ところが幕府は、人々が苦しんでいる状況にもかかわらず何もしてくれませんでした。むしろ、大阪にあった食べ物を江戸に運んでいくではありませんか! 大塩平八郎は、曲がったことが大嫌いな性格。こうした状況を目にした彼は、あまりの悔しさと情けなさから、江戸幕府に対し顔を真っ赤にして怒ったといいます。そして1837年、「大塩平八郎の乱」と呼ばれる反乱を起こしました。しかし江戸幕府によってすぐにしずめられ、大塩平八郎は自害します。一方で江戸幕府にとっては、「幕府の元役人が反乱を起こした」ということが大変ショックで、ただただ驚いたそうです。

水野忠邦の「天保の改革」

その後、1841年に老中となったのが水野忠邦(ただくに)です。彼は「三大改革」のラスト、天保の改革をおこなった人物として知られます。ちなみに「てんぽ」ではなく、「てんぽう」と読んでくださいね。

当時は、幕府の元役人が反乱を起こすほど不安定な世の中。そのような状況下で水野忠邦がおこなった改革はとにかく厳しく、「享保の改革」や「寛政の改革」以上に厳しい質素倹約を人々に求めました。お菓子やごちそうを買うのも禁止となり、衣類を販売するのにも制限がかかるような状態。とにかく人々が窮屈に感じる改革だったため、江戸の町から活気が消えたといわれています。

そんな天保の改革は、具体的には次の3つの政策を中心におこなわれました。

天保の改革

  • 株仲間の解散
  • 人返し令
  • 上知令 

株仲間の解散

まずは「株仲間」を解散します。当時は物価が高く、これは物価が安いときと比べ、同じお金で買えるモノの量が少なくなることを意味します。こうした状況は売る側はもうかるかもしれませんが、買う側は大変です。そこで水野忠邦は、利益を独占し、物価上昇の原因と考えられていた株仲間を解散させました。解散させることで営業を独占させず、自由な商売を後押しし、物価を下げようという考えがあったのです。

しかし株仲間を解散しても効果は乏しく、物価は下がりません。むしろ江戸に回ってくる品物の量が減ったため、かえって物価が上がってしまいました。

人返し令

人返し令とは、出稼ぎに来ていた百姓(農民)に対し、農村に帰るように指示する政策のことです。そもそも、飢饉が起こるような状況では米をつくって売ることもできません。そのため百姓は田畑を捨て、江戸などの都市に出稼ぎに来ていました。しかし水野忠邦は、お金に困って出稼ぎに来ている百姓に対して「帰れ!」と突き返します。そして何もしてくれない幕府に対し、百姓の反発は強まっていったのです。

上知令

天保の改革は結局は失敗に終わりますが、その最大の原因が「上知令」といわれます。「あげちれい」「じょうちれい」どちらでも正しい読み方です。

上知令とは、「大名が持っている江戸や大阪周辺の土地を幕府の領地とする代わりに、ほかの土地を与える」という命令のこと。これは「幕府の力を強めたいから、お前のいい土地をよこせ。代わりにいらない土地をあげるから」といった内容の命令で、幕府にとってはメリットがあるように見えますが、大名にとってはたまったものではありませんよね。上知令は幕府だけが得する政策だったこともあり、大名の猛反対に遭いました。

天保の改革は大失敗

改革を進めるほど人々の信用を失っていった、水野忠邦。結局、老中をクビになってしまいました。天保の改革は大失敗に終わり、しかもたった2~3年で終わってしまったことで、三大改革のなかでも“最短記録”を打ち立てることになってしまったのです。

三大改革はイメージで覚えよう
徳川吉宗の「享保の改革」、松平定信の「寛政の改革」、水野忠邦の「天保の改革」――。これら三大改革にはそれぞれたくさんの政策があり、覚えるのが大変かもしれませんが、まずは改革を主導した人物を一言でイメージしてみるとスッキリと、かつ楽しく覚えることができますよ。

徳川吉宗……「米将軍」
松平定信……「怒ったお母さん」
水野忠邦……「とにかく厳しい」

 


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※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

都内の中学受験専門塾で社会・国語担当として活躍。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。