連載 イメージで覚える中学受験歴史

江戸時代【4】田沼意次と松平定信 ―― イメージで覚える中学受験歴史

2021年7月14日 吉崎 正明

江戸幕府の9代将軍・徳川家重(いえしげ)、そして10代将軍の家治(いえはる)に仕えたのが、老中の田沼意次(おきつぐ)です。老中とは、将軍の補佐をする役職のこと。ちなみに田沼意次が仕えた家重は、大の将棋好き。さらには、酒や女に明け暮れる“だらしない将軍”というイメージも持たれています。まるでリアルな「バカ殿」といえるかもしれませんね……。そして家重の息子・家治も父親に似て将棋が好きで、政治に関心を示さず将棋ばかりやっていたそうです。

田沼意次の政治

政治そっちのけで将棋に夢中だった家重と、その息子・家治。そんな2人の将軍に仕えたのが老中の田沼意次です。彼は「商人の経済力」に注目し、幕府の財政難というピンチを脱するために立ち上がりました。なお、田沼意次は「たぬまおきつぐ」と読みます。漢字で書けるようにしておくことはもちろん、読めるようにもしておきましょう。

株仲間を積極的に認めた

意次の代表的な政策として、株仲間(かぶなかま)を積極的に認めたことが挙げられます。株仲間とは、室町時代の「座」と同じく、同業者組合のこと。商人がお金を払う見返りとして、営業を独占できる特権を与えたのです。こうして意次は、商人の言うことを聞く代わりにお金を払わせる、いわゆる「わいろ政治」を進めていきました。

■イメージしよう「株仲間を認めるとは?」
「A」と「B」という、ふたつの村があるとします。このとき、Aの村で魚屋を営む田中さんと山田くんが、「Aの村で魚屋を営める」といった独占権を得るため、株仲間を結成しました。すると、Bの村からやってきた魚屋の佐藤さんは、Aの村では魚屋の営業ができないのです。

天明の大飢饉

意次が「わいろ政治」を進めていた1783年、浅間山の大噴火が起こります。火山灰によって日光がさえぎられ、降りてきた灰が田畑を覆い、凶作となってしまいました。これは「天明の大飢饉(ききん)」とよばれ、人々は「意次が“わいろ”なんかやってるから浅間山が怒ったんだ!」と、凶作のイライラを意次に向けます。そして農村では百姓一揆、江戸では打ちこわしが起こるなど、人々の反感は次第に強まっていきました。結果として、意次は老中をクビになってしまいます。もちろん、噴火は自然災害。そのため「わいろ政治」とは直接は関係ありませんが、意次としてはタイミングが悪かったですね……。

ちなみに、言うことを聞く代わりにお金を払わせる、いわゆる「わいろ政治」をしていたことで知られる意次ですが、最近では「わいろ政治」はしていなく、これは誤りだったともいわれています。

松平定信 ―― 寛政の改革

田沼意次がクビになったあと、白河藩主の松平定信(まつだいらさだのぶ)が老中になります。そして、松平定信が進めた改革は「寛政(かんせい)の改革」とよばれました。定信の祖父は、「享保の改革」を進めた将軍・徳川吉宗。定信は、おじいちゃんをお手本に改革を進めていったのです。

寛政の改革

寛政の改革の特徴を一言でいうと、「節約しろ、勉強しろ、修行しろ!」。お母さんやお父さんが怒ったときの口調に似ていますね……。定信は、とにかく「セツヤクセツヤク、ベンキョウベンキョウ、シュギョウシュギョウ」と呪文のように唱えていたのです。みなさんはお母さん・お父さんから言われる前に勉強するかと思いますが、あまりにも「勉強をしなさい!」と言われると「うるさいなあ」と感じてしまうかもしれません。当時の人々も、定信に対してまったく同じように感じていたのです。

このとき、町の人々がつくった歌があります。

①「白河の 清きに魚の 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」
②「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶというて 夜も寝られず」

ひとつ目の歌は、「定信はたしかに正しいかもしれないけど、きゅうくつな感じがするなぁ。金(かね)に汚い政治をやっていたけれど、それでも田沼のころの時代がよかった」といった意味。

ふたつ目の歌の「ぶんぶ」には、蚊が鳴く音だけでなく、学芸と武道を両立するという意味の「文武」という言葉も掛かっています。つまり「蚊ほどうるさいものはないけど、定信も文武文武ってうるさいなぁ……」といった意味の歌ですね。ちなみにこの時代、幕府にストレートに悪口を言ったら捕まってしまいます。そこで、仮に幕府に問いただされてしまったときも「この歌は『蚊がうるさい』といった意味ですよ」と、うまく言いくるめられるようにしたのです。しかし歌のなかには、こっそりと「江戸幕府を皮肉った心情」を込めていたのですね。

では、寛政の改革の主な内容を確認しましょう。

寛政の改革
・囲米の制
・寛政異学の禁
・棄捐令

囲米の制

囲米(かこいまい)の制は、大名にお米をたくわえさせる制度のこと。定信が口酸っぱく言っていた「節約しろ!」にあたる部分ですね。

寛政異学の禁

寛政異学の禁とは、幕府の学問所で「朱子(しゅし)学」以外の学問を禁止したことを指します。定信が伝えていた「勉強しろ!」の部分です。朱子学は、上下関係を重んじる学問。江戸幕府がとても大切にしていた考え方でした。

棄捐令

棄捐(きえん)令は、借金の帳消しなどを定めた法令です。武士を救うために規定されました。そのほか、定信は「洒落本(しゃれぼん)」と呼ばれた成人向け雑誌の販売を禁止したり、混浴を禁止したりするなど、当時の社会に厳しくメスを入れていきました。そしてこうした政策の数々により、当時の人々はどんどんストレスが溜まっていったのです。

財政建て直しはダブルで失敗

松平定信は厳しい政治をおこないましたが、財政難は回復しませんでした。そして当時の人々の不満がピークをむかえた結果、寛政の改革は失敗に終わってしまったのです。こうして田沼意次、そして松平定信のふたりの老中による江戸幕府の財政建て直しは、ダブルで失敗してしまいました。

定信による「寛政の改革」は三大改革のひとつとして重要なポイントですが、三大改革には数えられない田沼意次の政治も中学入試では確実に押さえておきたい項目です。田沼意次から松平定信へのつながりを、しっかりとイメージできるようにしておきましょう。



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※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

都内の中学受験専門塾で社会・国語担当として活躍。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。