昭和時代【2】第二次世界大戦 ―― イメージで覚える中学受験歴史
軍部の力も強まり、攻撃的な姿勢を続けてきた昭和初期の日本。しかしこのあと、日本の将来を大きく変える戦争を経験することになります。
第二次世界大戦
第二次世界大戦は、日本・ドイツ・イタリアの「枢軸国(すうじくこく)」側と、アメリカ・イギリス・ソ連などの「連合国」側との間で起こった戦争です。1939年9月から始まり、1945年8月に終結を迎えるまで、世界中で多数の被害を生んだ戦争となりました。
ドイツがポーランドに侵攻
前回お伝えしたように、日本は満州を占領したり、中国の南京を占領したりと、植民地獲得に向けて活発に動いていました。そんな日本の様子を見ていたドイツも、隣国のポーランドがほしくてたまらなくなります。そして1939年、ドイツはポーランドに侵攻。これに対し、ポーランドと同盟国の関係にあったイギリスとフランスがドイツに宣戦布告。これが、第二次世界大戦のはじまりです。
日独伊三国同盟
1940年、日本はドイツ(独)とイタリア(伊)と「日独伊(にちどくい)三国同盟」を結びました。当時のドイツの独裁者は、ヒトラー。独裁政権のナチスドイツを率いた人物です。一方でイタリアの独裁者は、ファシスト党のムッソリーニ。ファシズム(独裁主義)の思想をつくった人物として知られています。
ちなみに、日本は満州への侵攻をきっかけとして国際連盟を脱退していましたが、ドイツはポーランドへの侵攻、そしてイタリアはエチオピアへの侵攻によって、いずれも国際連盟を脱退していました。つまり、“脱退した国同士”で連合国に対抗しようとしたのです。
日ソ中立条約
日ソ中立条約は、1941年に結ばれた条約です。当時の日本は日中戦争で苦戦していたこともあり、さらには中国の“背中”側に位置するソ連から攻められたらひとたまりもない状態でした。そのため身の安全を確保で、ソ連と条約を結んだのです。「私たちはあなた(ソ連)と戦う気はないので、攻撃しないでくださいね」と考えていたのですね。
日ソ中立条約の締結によって安心した日本は、東南アジアのゴムなどの資源を手に入れることを目的に、軍を進めます。しかし当時の東南アジアには、連合国が持つ植民地がたくさんありました ――。
ABCD包囲陣
日本が東南アジアに進出している、という情報を知ったアメリカ・イギリス・中国・オランダは、日本に対して資源の供給を停止することを決めます。この4つの国による経済封鎖は「ABCD包囲陣」と呼ばれ、日本は資源が手に入らず苦しみました。なお、Aはアメリカ、Bはブリテン(イギリス)、Cはチャイナ(中国)Dはダッチ(オランダ)を英語表記した際の頭文字です。
特にアメリカは、日本への石油の輸出を禁止しただけでなく、東南アジアや中国から撤退するように求めてきました。そして日本とアメリカは、まさに“一触即発”の状態となっていったのです。
太平洋戦争
日本とアメリカがにらみ合いを続けるなか、日本では東条英機(とうじょうひでき)内閣が誕生します。東条英機は軍人出身の総理大臣で、太平洋戦争に向けて準備を進めた人物です。太平洋戦争は、1941年12月から1945年8月まで続きました。
真珠湾攻撃
1941年12月8日、日本はアメリカに宣戦布告。ハワイの真珠湾(しんじゅわん)を攻撃します。同日には日本陸軍がマレー半島に上陸し、イギリス軍に奇襲攻撃を仕掛けました。このふたつの攻撃が、太平洋戦争のはじまりとされています。ちなみにハワイの真珠湾を攻撃した日は、12月8日の月曜日。アメリカでは時差の関係で、12月7日の日曜日でした。大使館がお休みだったため、アメリカには日本の宣戦布告が遅れて知らされた、とも言われています。
真珠湾攻撃をきっかけにして、日本は東南アジアから南西太平洋一帯の占領に成功します。一方のアメリカは力を出し切れず、悔いが残る戦いだったに違いありません。そしてアメリカは、その怒りを“倍返し”にしてぶつけてきたのです。
ミッドウェー海戦
1942年6月、ミッドウェー海戦がぼっ発。この戦いで、これまで勝ち続けていた日本軍ははじめて敗北を経験しました。
もともと日本は、ミッドウェー島付近にあったアメリカの空母(戦闘機が離着陸する海上戦艦)を倒そうと画策していました。しかし、「ミッドウェー島を制圧する」という目的に変わってしまったとか。そしてミッドウェー島を制圧したあと、ゆっくりと燃料補給をしていたところ、アメリカの空母から飛んできた戦闘機によって空爆を受けたのです。ちなみにミッドウェー島は、日本とハワイ諸島の間にある島です。
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