連載 イメージで覚える中学受験歴史

飛鳥時代【1】聖徳太子による政治――イメージで覚える中学受験歴史

2020年3月30日 吉崎 正明

「難しくて苦手」という受験生が多いのが歴史。でも、時代をイメージで理解すれば歴史の理解はグンと進みます。この連載では、時代ごとの特徴的な出来事を中心に、歴史をわかりやすく解説します

推古天皇の摂政となった聖徳太子

6世紀後半ごろ、大和朝廷では蘇我氏と物部(もののべ)氏という二大勢力が対立していました。蘇我氏のなかで特に強かったのが蘇我馬子です(ちなみに、蘇我馬子は女性のような名前ですが男性です)。仏教を受け入れようとしない物部氏を587年に滅ぼし、さらに勢いを増しました。そして592年には崇峻(すしゅん)天皇を暗殺します。天皇の暗殺なんてびっくりですね! もうやりたい放題です。

蘇我馬子と推古天皇

蘇我馬子の推薦によって崇峻天皇の後を継いだのが、初の女性天皇である推古天皇です。「わしの言うことなら何でも聞きそうだし、彼女が天皇なら都合がよさそうだ」と、蘇我馬子は推古天皇が天皇になっても自分中心に政治をおこなうことを考えていました。

聖徳太子が推古天皇のピンチを救う

推古天皇は蘇我馬子の想像以上にかしこい天皇でしたが、強い権力を持つ自己中心的な蘇我馬子のせいで、自分が思い描くような政治ができずにいました。蘇我馬子は推古天皇の叔父だったので、気を遣う存在でもあったのです。

まさに大ピンチ! 困った推古天皇は、一族でも“すごい”と評判だった甥っ子の聖徳太子に摂政として政治を任せます。摂政とは、天皇が女性や子どものころ、または天皇が病気で政治ができないときなどに代わりに政治をおこなう役職です。ただし摂政は必要なときに置かれる役職なので、女性の天皇に必ず摂政がつくというわけではありません。

聖徳太子が考えた3つのアイデア

聖徳太子は持ち前のかしこさを発揮し、蘇我馬子の勢いをおさえます。そして次々とアイデアを出し、天皇中心の政治をおこなうための仕組みをつくりました。

冠位十二階(603年)

冠位十二階は「役人の選び方を、家柄や血筋ではなく能力で決める」制度です。これまでは同じ血を引く「氏(うじ)」に「姓(かばね)」という役職を授けていました。古墳時代までは、同じ血を引いていればいくら“偏差値”が低くても後継ぎになれたんですね。

しかし、聖徳太子はこれまでの方法ではダメだと考えました。そこで、血筋は関係なく実力のある者に「冠位」を与えることにしたのです。世襲制ではなくなり、一代限りの役職となったのは聖徳太子の功績の大きな特徴のひとつですね。

冠位は12段階あり、「徳・仁(にん)・礼(らい)・信・義・智」を大小に分け、みんなが見てわかるように色をつけました。「紫・青・赤・黄・白・黒」の濃さによって区別したのです。たとえば「濃い紫」の冠をかぶった人は「大徳」という最も高い役職ということがわかります。

憲法十七条(604年)

憲法十七条は、冠位十二階が制定された翌年につくられたものです(「十七条の憲法」と書いても正解です)。現在の日本国憲法がすべての法律の頂点に立つ最高法規、つまり日本国民みんなが守るルールであるのに対し、憲法十七条は「役人が守るルール」です。同じ憲法でも、守る対象に違いがありますね。

憲法十七条には17の条文がありますが、代表的な3つを確認しておきましょう。

・和を以て貴しとなし(けんかをせず仲良くしなさい)
・あつく三宝を敬へ(仏教の教えを大切にしなさい)
・詔を承けては必ず謹め(天皇の命令を聞きなさい)

憲法十七条をみると、仏教に基づいた天皇中心の政治をしたいことが伝わってきます。聖徳太子がどんな世の中を求めていたかがわかりますね。

遣隋使の派遣(607年)

当時の中国は「隋」という王朝が南北朝を統一し、非常に強い勢力を誇っていました。聖徳太子はそんな中国との関係をよくしておこうと、小野妹子を使いとして隋に送ります。びっくりするのが、小野妹子は名前に反して男だということ……、さらに聖徳太子が小野妹子に持たせた手紙の内容も驚きです。

手紙には、以下のようなことが書かれていました。

日出ずる国の天子から、この書を日没する国の天子へ致す。つつがなきや(推古天皇から隋の皇帝へ。やあ、元気かい)。

聖徳太子は、対等な関係を隋に求めたのですね。しかし隋の皇帝はこれを読み、怒りをあらわにしたようです。「日出ずる国」は東の国、つまりこれから太陽が昇るように勢いがある国と読み取れます。一方で「日没する国」は、日が沈むように勢いがない国と読み取れるのです。隋の皇帝は手紙を受け取って「隋に対して、あんな小国である日本が何を言っているんだ!」と思ったのでしょう。

しかし隋の皇帝は日本のようすに興味があったため、ひとまず日本へ使いを派遣しました。聖徳太子が天皇中心の政治や飛鳥の街並みを見せると、隋から来た使いは「すばらしい!」と感心して帰ったようです。

飛鳥文化――国際色ゆたかな仏教文化

飛鳥文化のポイントは、日本初の仏教文化ということです。

法隆寺

法隆寺は聖徳太子が建てたとされる日本最古の木造建築で、世界文化遺産でもある建造物です。釈迦三尊像や、玉虫厨子などの仏像・美術品を見ることもできます。

飛鳥文化は、中国や朝鮮はもちろん、インド、ペルシアといった文化の影響を受けていました。法隆寺の柱には「エンタシス(柱の中央がふくらんだ様式)」の特徴があることから、ギリシアの影響も受けていたとされています。飛鳥文化は、世界の文化をたくさん取り入れた「国際色豊かな文化」だったのですね。

飛鳥寺・四天王寺

飛鳥時代の「飛鳥」の名がある飛鳥寺は、蘇我馬子が建てたとされています。一方で大阪の四天王寺は、聖徳太子が593年(聖徳太子が摂政になった年)に造ったとされます。四天王寺は、聖徳太子と蘇我馬子が協力して物部氏と戦ったときに、四天王に祈りをささげ勝利したことを記念したものです。

人物の行動と結果のつながりをイメージしよう

飛鳥時代になると、登場人物と出来事が少しずつ増えてきましたね。歴史は言葉を書いて練習するよりも、流れを知ることで実力アップにつながります。「この人物が○○をしたから、■■という結果になった」といった流れをイメージするようにしてみてください。

※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

中学受験指導スタジオキャンパス(東京都世田谷区)講師。社会・国語担当。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任し、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。元高校球児。

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