飛鳥時代【1】聖徳太子による政治 ―― イメージで覚える中学受験歴史
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推古天皇の摂政となった聖徳太子
6世紀後半ごろ、大和朝廷では蘇我氏と物部(もののべ)氏という二大勢力が対立していました。蘇我氏のなかで特に強かったのが蘇我馬子です(ちなみに、蘇我馬子は女性のような名前ですが男性です)。仏教を受け入れようとしない物部氏を587年に滅ぼし、さらに勢いを増しました。そして592年には崇峻(すしゅん)天皇を暗殺します。天皇の暗殺なんてびっくりですね! もうやりたい放題です。
蘇我馬子と推古天皇
蘇我馬子の推薦によって崇峻天皇の後を継いだのが、初の女性天皇である推古天皇です。「わしの言うことなら何でも聞きそうだし、彼女が天皇なら都合がよさそうだ」と、蘇我馬子は推古天皇が天皇になっても自分中心に政治をおこなうことを考えていました。
聖徳太子が推古天皇のピンチを救う
推古天皇は蘇我馬子の想像以上にかしこい天皇でしたが、強い権力を持つ自己中心的な蘇我馬子のせいで、自分が思い描くような政治ができずにいました。蘇我馬子は推古天皇の叔父だったので、気を遣う存在でもあったのです。
まさに大ピンチ! 困った推古天皇は、一族でも“すごい”と評判だった甥っ子の聖徳太子に摂政として政治を任せます。摂政とは、天皇が女性や子どものころ、または天皇が病気で政治ができないときなどに代わりに政治をおこなう役職です。ただし摂政は必要なときに置かれる役職なので、女性の天皇に必ず摂政がつくというわけではありません。
聖徳太子が考えた3つのアイデア
聖徳太子は持ち前のかしこさを発揮し、蘇我馬子の勢いをおさえます。そして次々とアイデアを出し、天皇中心の政治をおこなうための仕組みをつくりました。
冠位十二階(603年)
冠位十二階は「役人の選び方を、家柄や血筋ではなく能力で決める」制度です。これまでは同じ血を引く「氏(うじ)」に「姓(かばね)」という役職を授けていました。古墳時代までは、同じ血を引いていればいくら“偏差値”が低くても後継ぎになれたんですね。
しかし、聖徳太子はこれまでの方法ではダメだと考えました。そこで、血筋は関係なく実力のある者に「冠位」を与えることにしたのです。世襲制ではなくなり、一代限りの役職となったのは聖徳太子の功績の大きな特徴のひとつですね。
冠位は12段階あり、「徳・仁(にん)・礼(らい)・信・義・智」を大小に分け、みんなが見てわかるように色をつけました。「紫・青・赤・黄・白・黒」の濃さによって区別したのです。たとえば「濃い紫」の冠をかぶった人は「大徳」という最も高い役職ということがわかります。
憲法十七条(604年)
憲法十七条は、冠位十二階が制定された翌年につくられたものです(「十七条の憲法」と書いても正解です)。現在の日本国憲法がすべての法律の頂点に立つ最高法規、つまり日本国民みんなが守るルールであるのに対し、憲法十七条は「役人が守るルール」です。同じ憲法でも、守る対象に違いがありますね。
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