連載 イメージで覚える中学受験歴史

平安時代【3】上皇中心と武士中心の政治 ―― イメージで覚える中学受験歴史

2020年9月17日 吉崎 正明

「難しくて苦手」という受験生が多いのが歴史。でも、時代をイメージで理解すれば歴史の理解はグンと進みます。この連載では、時代ごとの特徴的な出来事を中心に、歴史をわかりやすく解説します

平安時代は、4つの政治に代表される時代です。今回は後半の残りふたつ、「上皇中心の政治」と「武士中心の政治」について見ていきましょう。

上皇中心の政治

平安時代3つめの政治、上皇中心の政治について説明します。あらかじめ貴族中心の政治について簡単に復習をおこなっておくと、スムーズに流れをつかめますよ。

貴族時代の終わり

平安時代中期は、貴族が政治の実権を握っていました。特に大きな力を持っていたのが、自分の娘を天皇と結婚させ、天皇の外戚(母方の親戚)となった藤原氏です。藤原氏は天皇の代わりに政治をおこない、力を発揮しました。天皇中心の政治から始まった平安時代は、藤原氏の登場により、いつのまにか貴族中心の政治へと移り変わっていったのですね。まさに、天皇中心の政治を貴族が横取りしていった形です。こうした状況は、天皇や朝廷にとっては納得がいかない話。天皇のほうが貴族よりも立場は上ですし、年齢的にも、当時の天皇から見たら貴族は“オジサン”。そこで天皇中心の政治を再び取り戻そうと、チャンスをうかがっていたのでした。

白河上皇の院政

栄華を誇っていた藤原氏でしたが、次第に朝廷から遠ざかっていきます。藤原頼通(よりみち)の娘に息子が生まれず、藤原氏の血筋とは遠い天皇が誕生するようになっていたからです。これをチャンスと考えた朝廷は、ついに政治の実権を貴族から奪還。そして当時の白河天皇は、1086年に天皇の座を息子にゆずり、自らは「上皇」(後継者に地位をゆずった天皇)となりました。

「院」という場所で政治をおこなったことから、上皇としておこなう政治は「院政」と呼ばれます。院の周りには武士が配置され、上皇の近くの目立つ場所で活躍したこともあり、武士の力も強くなっていきました。ちなみに院政開始の1086年は、「入れ歯6本(1086)白河上皇」とイメージすると覚えやすいですよ。

天皇と上皇の対立

院政が始まり、めでたしめでたし――、といいたいところですが、ここでちょっと考えてみてください。「そもそも、天皇を辞めた人(上皇)がどうして政治をやっているの?」と思いませんか。当時、このように実際に思った天皇がいたのです。それもそのはず。政治をおこなうのは、これまで天皇の役割でしたからね。こうして1156年、当時の天皇であった後白河(ごしらかわ)天皇と、崇徳(すとく)上皇との間に争いが起こりました(保元の乱)。

実の兄弟同士で争われた保元の乱は、後白河天皇が勝利。このとき、天皇側につき大活躍したのが、平氏の平清盛(たいらのきよもり)と、源氏の源義朝(みなもとのよしとも)です。こうして武士たちは、一気に周囲の注目を浴びることになります。ちなみに、この戦いで同じような手柄を立てたにも関わらず、平清盛のほうがほうびを多くもらったそうです。これに対し、源義朝は納得いきません。そして、1159年に平治の乱が起こりました。武士のなかの“真のナンバーワン”を決めるこの争いに勝ったのは、平清盛。負けた源義朝は処刑されてしまいます。

武士中心の政治

いよいよ、政治の中心が上皇から武士に移り変わり、平安時代も終わりが見えてきました。平清盛による、武士中心の政治を見ていきましょう。

平清盛 ―― 武士で初の太政大臣に

1167年、平清盛は武士で初の「太政大臣(だいじょうだいじん)」となります。「いい胸毛(1167)の清盛さん」とイメージすると良いですね。平清盛の強いイメージを、男らしい「胸毛」とともに記憶しておきましょう。この1167年を機に、これから長く続く「武士の世の中」が始まることになるのです。

太政大臣の読み方は「だいじょうだいじん」です。「だじょうだいじん」ではないので注意しましょう。ただし、明治時代の役職のひとつ「太政官」の読みは「だじょうかん」です。

平清盛がおこなった政治は、しばしば藤原氏の政治と似ているといわれます。たとえば、以下の通りです。

・娘を天皇と結婚させ、朝廷とのつながりを強くした
・ライバルを追放した……源義朝を処刑し、義朝の息子・頼朝を伊豆に流した
・多くの荘園を所有した

そして、「平氏にあらずんば人にあらず(平氏でなければ人間ではない)」と発言するなど、平清盛は当時の名声をほしいままにしていました。しかしこうした言動は、周囲の反感を買う一因にもなったのです。

日宋貿易

平清盛は、「大輪田泊(おおわだのとまり)」を整備しました。大輪田泊とは、現在の神戸港あたりに位置していた貿易港のことです。大輪田泊を築いたのは行基(ぎょうき)といわれているので、平清盛はあくまで「整備した」というイメージを持ちましょう。この大輪田泊を中心に、当時の中国・宋(そう)との貿易が盛んにおこなわれました。この貿易を「日宋貿易」といいます。日宋貿易が安全におこなわれることを祈願し、厳島(いつくしま)神社の保護もおこないました。

逆襲をねらう源頼朝

順調に政治をおこなっていた平清盛ですが、伊豆に流した源氏の生き残り「源頼朝」の反撃に巻き込まれていきます。そして、源頼朝の弟・義経(よしつね)の活躍もあり、1185年の「壇ノ浦の戦い」でついに平氏は滅ぼされてしまうのでした。

「入れ歯6本」白河上皇、「いい胸毛」の平清盛

平安時代は、権力のさまざまな移り変わりが特徴的な時代です。なかでも、上皇中心の政治では“入れ歯6本”の白河上皇が、武士中心の政治では“いい胸毛”の平清盛が実権を握りました。今回お伝えした内容をもとに、上皇から武士への権力の移り変わりをイメージできるようにしておきましょう。


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※記事の内容は執筆時点のものです

吉崎 正明
この記事の著者

中学受験指導スタジオキャンパス(東京都世田谷区)講師。社会・国語担当。12年間在籍した大手進学塾では難関選抜講座担当を歴任し、社内数千名が出場する「授業力コンテスト全国大会」において優勝経験あり。その後家庭教師を経験し、2019年より現在に至る。全国トップレベルの授業技術と多彩な戦術眼を駆使し、御三家中などの最難関校から幅広い成績層まで、多くの受験生の第一志望合格をサポート。茨城県行方市出身。元高校球児。

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