昭和時代【4】国交回復 ―― イメージで覚える中学受験歴史
日本では戦後まもなく、GHQの指導によって民主化政策がおこなわれました。その後は積極的な外交により、現在の日本の姿に近づいていきます。では次の4人が首相を務めた内閣のときに、どのような政策をおこなったかを押さえていきましょう。
それぞれの政策を押さえよう
- 吉田茂内閣
- 鳩山一郎内閣
- 佐藤栄作内閣
- 田中角栄内閣
Contents
吉田茂内閣
吉田茂(しげる)は、戦後、日本が独立したころの内閣総理大臣です。吉田茂が在任中、次のような出来事が起こりました。
吉田茂内閣のころの出来事
- 冷戦
- 朝鮮戦争
- ふたつの条約を締結
冷戦
冷戦(れいせん)とは、戦火を交えない戦いのこと、つまり「にらみ合いの状態」を指します。“冷たい戦争”ということですね。
まず、戦後の1945年に「国際連合」が設立されます。世界の国々は「今度こそ世界平和を実現させよう」と意気込んでおり、平和な世の中を目指していきましたが、当初はうまくいきませんでした。
戦後の世界は、アメリカを中心とする「資本主義諸国」と、ソ連を中心とする「共産主義・社会主義諸国」のふたつに分かれ、対立していました。互いに強国同士のため、もしも戦争が起こり、核兵器などが使われてしまったら大きな被害を出す可能性があります。そのため、あえて“にらみ合うこと”を選択したのです。まるで、これまで仲のよかった友達がある日を境にして突然口をきかなくなる、といったイメージですね。まさに、これが冷戦状態です。
ちなみにアメリカとソ連は直接的には対決はしなかったものの、この先で戦争を開始した国々を互いにバックアップしていきます。つまり、間接的にではありますがお互いを攻撃し合っていたのです。
朝鮮戦争
1950年、北緯38度で国境を分け、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)がぶつかり合う「朝鮮戦争」がぼっ発しました。このとき韓国側にはアメリカがつき、一方の北朝鮮側にはソ連と中国がつき、両国を支援しました。
朝鮮戦争の舞台は、日本のすぐそばに位置する朝鮮半島。日本としては「戦争に巻き込まれるのでは……」とヒヤヒヤです。そこで日本の民主化を進めていたマッカーサーは、1950年、「警察予備隊」を日本国内に置きます。警察予備隊とは、ほかの国の攻撃から日本を守ることを使命とする部隊のこと。戦争に参加してはダメなので、いわゆる“攻撃力はゼロ”の部隊として設立され、1952年には「保安隊」、1954年には「自衛隊」へと名を改めていきました。
特需景気
朝鮮戦争が起こると、アメリカが大量の軍事物資を日本に発注します。そして日本はアメリカの期待にこたえるため、軍事物資をガンガン生産しました。アメリカが「軍事物資をほしい!」と言ってくるのは“特別な需要”とも言えるため、朝鮮戦争中に日本に訪れた景気は「特需景気」と呼ばれます。第一次世界大戦中には「大戦景気」もありましたが、それぞれ区別して覚えておきましょう。
休戦協定
朝鮮戦争は、北緯38度線の「板門店(はんもんてん)」で休戦協定が結ばれるまで、およそ3年間にわたって続きました。板門店は地名のことですが、なんだかお店のような名前ですよね。中学入試対策としては、板門店という名前もしっかりと覚えておきましょう。
ふたつの条約を締結
1951年、日本は次のふたつの条約を結びます。
ふたつの条約
- サンフランシスコ平和条約
- 日米安全保障条約
サンフランシスコ平和条約
サンフランシスコ平和条約は、占領されていた日本を独立させるために制定された条約です。独立を果たしたことで、植民地だった朝鮮や台湾だけでなく、南樺太(からふと)や千島列島などの権利を日本は放棄しました。
戦後、アメリカは日本を占領していましたが、「このまま厳しく取り締まっていると、そろそろ日本はアメリカから離れ、ソ連側についてしまうかも……」と考えます。そこでアメリカは、日本を独立させることにしたのです。ただし日本を独立させると、アメリカ軍が日本から去る必要があります。すると、朝鮮戦争をはじめとする冷戦の危険に日本が巻き込まれるリスクが高まり、油断しているとソ連が日本を侵略してしまうかもしれません。そこで日本とアメリカは、新たな条約を結びました。
日米安全保障条約
このとき結んだのが「日米安全保障条約」です。この条約により、日本国内にアメリカ軍が駐留できるようにしたのです。アメリカによって、日本を守ってもらうイメージですね。
鳩山一郎内閣
次は、鳩山一郎内閣のころに起きた出来事を見ていきましょう。鳩山一郎は、民主党総裁として内閣総理大臣の経験も持つ、鳩山由紀夫の祖父にあたる人物です。
鳩山一郎内閣のころの出来事
- 日ソ共同宣言
- 国際連合に加盟
日ソ共同宣言
1956年、日本はソ連(現在のロシア)と国交を樹立し、「日ソ共同宣言」を発表します。これにより、日本とソ連とのあいだで国交が結ばれました。ちなみに令和3年現在、日本とソ連は「北方領土」についての主張がぶつかっていることもあり、平和条約を結ぶまでには至っていません。
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