学習 連載 中学受験のツボ[社会編]

【小5社会/歴史】日米修好通商条約の開港地|中学受験のツボ[社会編]

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2023年1月09日 池田良輔

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保護者向けに中学受験の4教科のツボを解説。 社会編 吉崎正明先生池田良輔先生茂山起龍先生が担当します。
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国語算数理科

江戸時代の末期、日本とアメリカの間で「日米修好通商条約」が結ばれました。この条約で日本が開港を約束した港の名前や位置は、中学入試でもしばしば問われています。

日米修好通商条約の開港地は覚えにくい内容ではありますが、この先で紹介する、歴史的背景と地理的背景をもとにした“ストーリー”で覚えると、忘れにくいだけでなく、発展的な問題であっても解きやすくなりますよ。

開港地に選ばれた理由と、その背景

1853年の「ペリー来訪」、翌1854年の「日米和親条約」の締結により、日本の鎖国は終了しました。

この日米和親条約のなかで、下田(静岡)と函館(北海道)のふたつの港を開港することになりました。その後もさらなる貿易のために、アメリカはもっと便利な場所に、より多くの港を開くように求めてきました。

アメリカの圧力に屈した大老・井伊直弼は、1858年に「日米修好通商条約」を調印。新たに兵庫・神奈川・長崎・新潟を開港しました。すでに開港していた函館では貿易は続けられましたが、下田に関しては神奈川が開港した6ヶ月後に閉鎖となるなど、このような複雑な流れも同時に定められました。

では、日米和親条約と日米修好通商条約によって開港地が選定された理由や、その背景を見ていきましょう。

日米和親条約 ―― 下田と函館を開いた

日米和親条約によって下田と函館が開かれましたが、これは、この二ヶ所が江戸や京都から遠く離れていたことが理由として挙げられます。当時の天皇は

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池田良輔

池田良輔

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SRP教育研究所 文系主任。既存の学習塾への疑問からSRP教育研究所の立ち上げに参画、文系代表を務める。教育哲学・教育社会学・教育史学等の複合領域が専門基盤。ある思想家の「消費者マインドの助長や蔓延が教育を危機に向かわせている」という主張に共感し、「学びの活性化」を授業の最重要目的として、チャレンジを続ける。長野県の喬木村出身で、「関東地区喬木村ふるさと会」幹事でもあり、東京の自治体や私学のお子さんの、自然体験を通じた豊かな学びの機会創出を画策中。