偏差値は雑念? 伸びを測る尺度ではない? 保護者のための偏差値のトリセツ ―― 中学受験との向き合い方
2月に入り、中学受験塾では新学年を迎えました。今回のテーマは「偏差値」です。これから通塾を始める受験生を持つ保護者さん、新学年を迎える受験生の保護者さんに向けてお伝えします。押さえておきたい偏差値観とは、心理家・田中純先生に訊きました。
偏差値と列車
――いきなりの直球質問ですが、「偏差値」はどのようなものだと考えればよいでしょうか?
中学受験生という集団が乗っているひとつの列車をイメージしてみるといいかもしれません。終点の「入試本番」駅に向かって、受験生たちがひとつの列車に乗っています。その列車は収容人数が少ない先頭車両と後方車両、そしてたくさんの人を収容できる真ん中の車両という3つの車両で構成されている。そんなイメージを持ってみてください。
真ん中の車両にいるのは、模擬試験を受けた受験生全体を通して平均的な点数をとっている集団です。偏差値50前後の集団を指します。先頭車両はそれよりも偏差値が高く、後方車両はそれよりも低いということですね。大雑把ではありますが、これが偏差値のイメージです。
「偏差値を上げよう」という掛け声のリスク
――受験生を持つ親としては、やはり先頭寄りの車両に居てもらいたいです……
そのような考え方をされる親御さんは少なくないでしょうね。
先頭車両にいる受験生は今の車両に居続けたい。真ん中にいる車両の受験生たちは、先頭車両に移りたいと考えますよね。もちろん後方車両に乗っている受験生も今より前方に移りたい。皆が先頭寄りの車両に移りたいし、後方の車両に移るまいとしているのです。
でも、人をかき分けて先頭車両に行くと考えると、「偏差値を上げる」というのが並大抵のことではないとわかると思います。「偏差値を維持する」というのもひと苦労ですよね。
「偏差値をあげよう!」という掛け声のもと努力をしても、上昇という結果に繋がらないことが往々にしてあるわけです。ほかの受験生も同じように学力を伸ばしてしまえば、結局、偏差値は伸びないのですから。
もちろん、実際におこなったその子の頑張りそのものは無意味ではないのですが、偏差値を尺度にすると、上がらなかった場合や、下がった場合に無意味感に苛まれやすいのです。
では「どんな努力が意味のある努力なのか」というと、「努力して今以前の自分よりよくなる」、今以前よりも「自分の学力」をつければいいんですよね。実行可能な行動は先頭車両を目指して、かき分けて前に出るんじゃなくて、「自分の学力」をつけていけばいい。それが結果的に偏差値に反映されるかもしれない。逆にしてはいけない、すなわち「偏差値を上げるという直接的な行動は存在しない」ということです。
「高偏差値をとっていれば安心」という考えそのものを否定はしませんが、偏差値が上がらないからといってモチベーションに不調をきたしたり、家庭内が不安全になったりするようでは、うまくいくものもうまくいきません。偏差値は扱い方を間違えると、受験生親子の心を蝕む毒になってしまうものなのです。
伸びを測る値ではない
――取り扱いが難しいですね。ただ、模試の結果偏差値によって、志望校の合格可能性も出ます。親も子も、偏差値に注目せざるをえない面があると感じます
たしかに偏差値は、受験校を決める際のひとつの尺度になります。「ここの学校は合格可能性が高いみたいだね」とか、「ここの学校は合格可能性が低いかもしれないけれど、それでもチャレンジしたい!」とか。どうしても挑戦したい学校、手堅く合格しておきたい学校、それぞれを組み合わせた具体的な出願プランを立てる、というときには偏差値を参考にする必要はあるでしょう。
でも、もっと大事なのは「本当に行きたい学校」だと思うんです。「偏差値が高いから行きたい」というわけではなくて。本当に行きたい学校は、必ずしも偏差値が高いわけではないかもしれないのですから。
――分別が難しいですね
先程の列車の喩えの通りで、偏差値は中学受験を志す集団のなかで自分がどの立ち位置にいるのかを把握するためのデータであって、相対的なデータにすぎません。
したがって、「偏差値の上下動をお子さんの学力の上下動と勘違いするのは禁物」です。偏差値はその子の学力を伸ばすための道具にはならないということです。
あくまでも「分散の中のどこにイルカ」ということでしかないわけです。それ以上でもそれ以下でもないものなんだということを認識いただきたい。お見せした列車の先頭車両も後方車両も、同時に目的地に到着します。ひとつの参考情報として活用すればいいし、もし偏差値が心配でやる気が出ないとか、親が不安になったり、イライラするというのであれば、それはマイナスの副作用でしかないわけです。その子の成長や学びにとって役立たない情報なら、棚に上げにしたり、視界から外したりしていいと思います。
偏差値に拘泥するということは「人と比べたときに力がついているよね」とか、「みんなと比べると下のほうだよね」というような見方ばかりしているということです。伸びを測る”ものさし”がそれだけになってしまうとどんなことが起こるかというと、自分の学力を冷静に把握することが困難になってしまうのです。
偏差値が雑念になり、集中力・モチベーションが低下
――偏差値の扱い方を間違え続けると、具体的にどのような影響が出てくるのでしょう?
慢性的な集中力や、モチベーションの低下を招くことがあります。塾でも家でも、勉強をしているときに「偏差値を上げないと……」と、考えながら勉強する子がいるとしましょう。そういう状態では、集中力が万全の状態になりにくいんです。模擬試験を受ける局面でも同様のことが言えます。試験中に「このテストで偏差値を上げなくちゃ……」などと思っているのであれば、それは試験の後のことに意識が注がれている状態です。目の前の問題に注力すべきなのに、気が散っている状態で、集中力が散漫になっているといえますよね。
親も子も偏差値に執着すると、「偏差値が伸びない」ということがある度に、落ち込んだりイライラしたりするわけです。繰り返しますが、偏差値は操作できません。操作できるのは、目前のテストの1点1点です。
――では偏差値に執着せず、学力をつけていくには、何を糧にすべきなのでしょう?
偏差値を伸びの尺度にすると、「これをやれば伸びが感じられそう……」 と頑張ってみても、「よし、伸びた!」とはなりにくい。だから「じゃあ、もうちょっとやろうかな」という、モチベーションの好循環に入りにくくなるのです。
受験生がやることは「これからできるようにしていくこと」で、シンプルにそこに焦点を当てて前に進むことです。そのために大切なのは、「できなかったことが、できるようになった!」という喜びの感覚です。2022年9月のコラム(「やる気ある?」って発言は要注意? 子供のやる気を引き出すためにどう接するか )でも扱いましたが、写真で喩えるなら次のようなものですね。
「やって(場合によっては「やっと」)、できた!」という自己効力感が、モチベーションアップの好循環を生みます。そして、「これができたから、あの問題も解けそうだ」とか「頑張れば、なんとかできそうだ」という予感と連鎖して、行動に繋がって、成績アップに結びつくんです。そうなると「やめられない、止まらない」モードに入ることだってあります。
では、そのための格好の学習材料は何なのかというと、偏差値ではなく「できなかった問題の解き直し」です。もちろん解き直しの際にプロやご家庭で、難易度の取捨選択は必要です。できなかった問題を学び直して、解き直して、できるようになる――このプロセスが紛れもないリアルなその子の伸びです。
そういえば、丸付けや解き直しに関しても、前回のコラム(子供の丸付け・解き直しに、親ができるアシストは?)で扱いましたね。できなかった問題、答案で「☓」をもらった問題は「ギフト」なんです。
――偏差値が上がらないと意味がない、ライバルに勝たなければ……。という価値観を持つこともありますよね
格闘技だったらそれでもいいと思うのです。戦う相手と直に戦えるならそれでもいい。でも、受験というのはどこまでいっても個人競技、自分との戦いです。同じ志望校を受験するライバルと直に戦うわけではないですから。結局のところ自分の力を伸ばす以外に合格に近づくための行動はないんです。その積み重ねの結果として、「周りよりも自分の力が伸びたかも……(偏差値が上がった)」というのであれば、それはそれで喜んでもいいのかもしれません。
偏差値以外の、その子の頑張りや成長の証を
――夏期講習後の9月などは、「あれだけ頑張ったのに、偏差値が上がっていない……」と落胆することが少なくないです。保護者は子供の頑張りと偏差値の関係を、どのように捉えたらよいでしょうか
相撲の取り組み後に力士がインタビューで語る、「今日、一日一番」という言葉にヒントがあると思います。受験生の場合は“一日一問”なのもしれません。これを私流にアレンジするなら、「偏差値は気にせず、一日一問、着実に解いていってごらん」などでしょうか。そうすると今日から入試までの間に、たとえば100日前だったら100問解くことになります。こういったことは努力すれば達成可能で、その子の自信に繋がっていきやすいと思います。実績として残るものでもありますし。
入試そのものの結果というのは、最終的には偏差値がどんなに高かろうが不合格になってしまうことがあるわけで、自分のコントロールの外にあるわけです。偏差値も他人の出来に影響を受ける値ですからアンコントロールな値です。
それを目標にいくら頑張っても、不満足な結果になってしまうかもしれない。でも、結果は不満足だったとしても、「これだけ頑張ってきたよね、ここまではやり抜いたよね」と、そう伝えたいですよね。だって、それがその子の立派な頑張りの証(あかし)ですから。冒頭の列車の喩えに繋げるなら、「終着駅まで、途中で降りない」という努力は尊い努力です。
偏差値以外のお子さんの頑張りを、中学受験を通して讃えようじゃありませんかということです。
「こういうことも学んできたよね」とか「最後まで諦めなかったね」とか。「中学受験を通じて、こういう習慣や姿勢、マインドが身についたよね」というふうに親子で総括できる、それを祝福できるような中学受験のプロセスじゃないともったいない。
私は、偏差値を全否定しているわけではありません。偏差値と適切に向き合うのには「距離感が大事だ」ということをお伝えしたいんですね。偏差値は志望校を決める際のひとつの判断材料にはなります。だけど、偏差値が上がる、上がらないということに囚われると、親子共々無用な苦労をしてしまうでしょう。
だから、あくまでも「その子の成長」に主眼を置いて、それをその子が実感できるように大人がアシストすることです。「偏差値にはまだ表れていないけど、この間まで解けなかったこの問題が解けるようになった」――これがその子の学力の伸びです。
これまでの記事はこちら『中学受験との向き合い方』
※記事の内容は執筆時点のものです
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