明治時代【4】ふたりの外務大臣 ―― イメージで覚える中学受験歴史
明治時代の前半は国内政治が話の中心でしたが、後半は「外国との条約改正」を中心に進んでいきます。
明治時代は「3つのかたまり」でイメージしよう
①スタート=明治維新 …… 明治新政府が政治をするためのルールづくり
②前半=国内政治 …… 国会ができるまで
③後半=国外政治 …… 日清戦争・日露戦争と条約改正(←今回のお話)
イメージは「ハンバーガー」
明治時代の後半は、ハンバーガーのイメージで理解するのがおすすめです。
上の図でいうと、パン(バンズ)の部分にあたる明治後半の最初と最後は「不平等条約」についての出来事です。肉とチーズの部分はセットにして「戦争+条約」と押さえましょう。また、それぞれの漢字の“字数”に注目するのもポイントです。
陸奥宗光(4文字)……治外法権/下関条約(※それぞれ4文字)
小村寿太郎(5文字)……ポーツマス/関税自主権(※それぞれ5文字)
陸奥宗光
紀伊出身の陸奥宗光(むつむねみつ)は、第2次伊藤博文内閣の外務大臣を1892年から務めた人物です。幕末には、坂本竜馬と一緒に行動していたことでも知られます。
治外法権の廃止
1894年、陸奥宗光は治外法権(ちがいほうけん)を廃止します。治外法権とは何か、覚えていますか? こちらで解説したとおり、江戸幕府の大老・井伊直弼(いいなおすけ)が結んだ日米修好通商条約、通称「不平等条約」で定められた項目のひとつですね。
治外法権
外国人が日本で罪を犯しても、日本の法律では裁けず、外国の法律で裁けるという権利のこと。「領事裁判権」とも呼ばれる。
では、治外法権が廃止された経緯について見ていきましょう。
欧化政策
明治初期の頃、岩倉使節団がアメリカやヨーロッパを視察します。そしてこの視察には、「条約改正の交渉をする」という目的があったことはお伝えしましたね。しかし当時は交渉をしてみたものの、アメリカやヨーロッパの国々から「日本には憲法もないし、文化面でもダメ。日本を相手にしているヒマはないよ」と取り合ってもらえませんでした。そして、こうした苦い経験を経て帰ってきた岩倉使節団は、帰国後に「国内の成長に力を入れよう」と考えたのです。
条約改正を実現するには、日本が「進んでいる国」とアピールする必要があります。そこで、当時の外務卿(がいむきょう)・井上馨(かおる)は、極端ともいえる欧化(おうか)政策をおこないました。「これからの時代は西洋を真似るべきだ! 日本の伝統的なものはダサい」といわんばかりに、西洋風のものを全面的に取り入れていったのです。たとえば日比谷には鹿鳴館(ろくめいかん)という西洋の館(やかた)を建てて外国人を招き、ダンスパーティーを開きました。日本人の女性は浴衣(ゆかた)からドレスに着替え、そして男性も着物ではなくタキシードを着て、「日本の文化は進んでいますよ」と外国にアピールしたのです。
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