【小5社会/四国地方】歴史的背景と、地理的な特徴を押さえよう|中学受験のツボ[社会編]
地理分野には、地方区分ごとに分けてそれぞれの特徴を見ていく単元があります。
今回は「四国地方」について、その歴史を中心に見ていきましょう。
四国地方
四国は、旧国名のころの区分と、現在の県境がほぼ一致する珍しい地域です。それでも明治初期、廃藩置県前後の“調整”はかなりゴタゴタしたようですが……。
香川県の旧国名は「讃岐」、愛媛県は「伊予」、高知県は「土佐」、徳島県は「阿波」です。いまでも地形名や名物、伝統工芸品名にそれぞれの旧国名が用いられているので探してみてください。
四国には3つの県しかなかった
明治6年、香川は徳島(当時は「名東(みょうどう)県」)に合併されていたため、四国には3つの県しかありませんでした。
香川の人々からの猛反対があり、合併は解消されましたが、このときの反対運動の理由になったのが、徳島を流れる「吉野川」の存在。吉野川は暴れ川として有名で、“四国三郎”の異名をもつ川でもありますが、その治水工事にかかる費用に対して香川の不満が爆発したのです。
「水不足」や「ため池」でおなじみの香川からすると、「吉野川の水の恩恵を受けてないのに、その費用の一部を負担させられるなんてイヤだ!」という不満があったようですね(この先で、讃岐平野に届ける「香川用水」に吉野川の水が用いられるので、一応は関係があったのですが……)。
「高知県コンビ」と「愛媛県コンビ」
明治9年には、四国はふたつの県だけになります。徳島は「高知県」の一部として、香川は「愛媛県」の一部としてそれぞれ消滅したのです。
ただし反対運動が起き、徳島・香川の2県は復活しました。
では、このときの「高知県コンビ(高知・徳島)」、そして「愛媛県コンビ(愛媛・香川)」についてそれぞれの共通点を紹介します。
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