【小5社会/歴史】 室町幕府の「3代将軍」と「8代将軍」を比べてみると?|中学受験のツボ[社会編]
こんにちは、井上です。
長かった平安時代も終わりに差しかかると、地方から中央に進出した武士が政治の中心となり、その後、鎌倉幕府を経て「室町幕府」が開かれます。
足利氏が征夷大将軍に任命された初代から、15代までの期間を「室町時代」と考えると、1338年から1573年まで、実に200年以上も続いた時代といえます。
意外と長い室町時代をお子さんがキラいにならないように、今回は中学入試で出題頻度が高い「3代将軍・足利義満」と「8代将軍・足利義政」を比べながら覚えるコツを紹介します。
3代と8代のころは、どんな時代だった?
室町時代の序盤は、「建武の新政」や「南北朝の争乱」などの混乱が続きました。
3代の義満は「南北朝の争乱」を収束し、「南北朝を合一」しました。「イザクニ(1392)合一」とゴロ合わせで覚えられる年号です。
この後、「室町幕府の安定期」が続きます。
8代義政の跡継ぎ争いをきっかけに「応仁の乱」が起きます。これも「ヒトノヨムナ(1467)しい」とゴロ合わせで覚えられる年号です。
その後は「戦国時代」に突入し、1543年、15代の足利義昭は織田信長によって都を追われる結果となり、室町幕府は滅亡します。
3代将軍・足利義満のころ
3代将軍・足利義満の時代のポイントを見ていきましょう。
- 南北朝の合一・花の御所
- 日明貿易(勘合貿易)
- 北山文化
南北朝の合一・花の御所
当時、南の吉野と、北の京都のふたつに分かれ、「南北朝」と呼ばれていた朝廷を、義満の力で「北朝京都」のひとつにまとめました。
義満が政治をおこなった京都の御所は、四季折々の花木が配置されていたことから「花の御所」と呼ばれました。
日明貿易(勘合貿易)
貿易の条件として、明の皇帝から「倭寇(海賊)」の被害を防ぐ手段を求められ、割符(わっぷ)である「勘合」が用いられました。これが、日明貿易が「勘合貿易」という別名でも呼ばれている由縁です。
輸入品は「明銭」「生糸」「織物」などで、輸出品は「硫黄」「銅」「刀剣」などです。このことから、加工貿易というよりは、製品輸入の傾向が見てとれます。
とじる
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