学習 連載 中学受験のツボ[社会編]

【小5社会/歴史】 室町幕府の「3代将軍」と「8代将軍」を比べてみると?|中学受験のツボ[社会編]

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2023年10月18日 井上佳之

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保護者向けに中学受験の4教科のツボを解説
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国語算数理科

こんにちは、井上です。

長かった平安時代も終わりに差しかかると、地方から中央に進出した武士が政治の中心となり、その後、鎌倉幕府を経て「室町幕府」が開かれます。

足利氏が征夷大将軍に任命された初代から、15代までの期間を「室町時代」と考えると、1338年から1573年まで、実に200年以上も続いた時代といえます。

意外と長い室町時代をお子さんがキラいにならないように、今回は中学入試で出題頻度が高い「3代将軍・足利義満」と「8代将軍・足利義政」を比べながら覚えるコツを紹介します。

3代と8代のころは、どんな時代だった?

室町時代の序盤は、「建武の新政」や「南北朝の争乱」などの混乱が続きました。

3代の義満は「南北朝の争乱」を収束し、「南北朝を合一」しました。「イザクニ(1392)合一」とゴロ合わせで覚えられる年号です。

この後、「室町幕府の安定期」が続きます。

 

8代義政の跡継ぎ争いをきっかけに「応仁の乱」が起きます。これも「ヒトノヨムナ(1467)しい」とゴロ合わせで覚えられる年号です。

その後は「戦国時代」に突入し、1543年、15代の足利義昭は織田信長によって都を追われる結果となり、室町幕府は滅亡します。

3代将軍・足利義満のころ

3代将軍・足利義満の時代のポイントを見ていきましょう。

  • 南北朝の合一・花の御所
  • 日明貿易(勘合貿易)
  • 北山文化

 

南北朝の合一・花の御所

当時、南の吉野と、北の京都のふたつに分かれ、「南北朝」と呼ばれていた朝廷を、義満の力で「北朝京都」のひとつにまとめました。

義満が政治をおこなった京都の御所は、四季折々の花木が配置されていたことから「花の御所」と呼ばれました。

日明貿易(勘合貿易)

貿易の条件として、明の皇帝から「倭寇(海賊)」の被害を防ぐ手段を求められ、割符(わっぷ)である「勘合」が用いられました。これが、日明貿易が「勘合貿易」という別名でも呼ばれている由縁です。

輸入品は「明銭」「生糸」「織物」などで、輸出品は「硫黄」「銅」「刀剣」などです。このことから、加工貿易というよりは、製品輸入の傾向が見てとれます。

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井上佳之

井上佳之

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学習塾伸学会講師。中学受験講師歴は30年に及ぶ。教室や地域の責任者として受験指導、保護者説明会・面談対応、カリキュラム・教材の作成等に携わる。東京・神奈川・埼玉・千葉の御三家をはじめとする、ほぼ全ての難関校に生徒・保護者を送り出した経験をもつエキスパート講師。社会科は、これから大人になる生徒の生きる力にもなりうる科目であり、家族の会話を豊かにし、他科目の学習意欲にも火をつける魔法の力を秘めていると考えている。