【小6社会/交通】中世以降に整備された交通網 ―― 現在の交通と比較してみよう|中学受験のツボ[社会編]
社会の勉強は、地理と歴史の知識を関連させて理解することがおすすめ。記憶の定着が良くなるばかりでなく、「なぜそうなったのか」を考えることで論理的思考力も磨けるからです。
今回は「中世以降に整備された交通網」と「現在の交通」に共通するポイントをピックアップして紹介します。
Contents
海上交通
まずは海上交通について。
古くから栄えた「瀬戸内航路」を見ていきましょう。
日本の首都が奈良や京都だったころ、遣隋使や遣唐使は、都に近い大阪あたりから出港し、瀬戸内海を通って関門海峡を抜け、博多・対馬を経由して朝鮮半島や中国に向かったそうです。
途中の広島には、平安末期、日宋貿易の安全を祈願して平清盛が厳島神社をつくったり、明治以降には日本海軍の基地が置かれたりしました。
博多近辺では「遠の朝廷(とおのみかど)」の異名を持つ大宰府があったり、江戸幕府と朝鮮王朝との交流の仲介を対馬藩が担ったりと、後々まで重要な役割をもつところも数多くあります。
「八幡製鉄所」がつくられた理由も、その地が鉄鉱石の産地であったことから、鉄でつくられた武器が使用される中国にアクセスしやすい、という側面がありました。
西廻り航路・東廻り航路
江戸時代には、商業の発達のために次の航路が開発されます。
西廻り航路
日本海と瀬戸内海を通り、大阪につながるルート
東廻り航路
日本海から津軽半島を経由し、太平洋に抜けて江戸につながるルート
波の穏やかさや、海流に乗って進める方向性によって、どちらかと言うと西廻りのほうが栄えました。そのため、
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