【小5社会/平安時代】4人の人物の「身分」をもとに流れを押さえよう!|中学受験のツボ[社会編]
こんにちは、吉崎です。
歴史の授業は、しっかりついていけているでしょうか。
歴史は“ドラマ・物語”です。流れを楽しめると、覚えるのも苦ではなくなります。
しかし、それでも苦手意識を持ってしまう子もいるはずです。
今回はそんな子でもイメージしやすいように、平安時代を4つに整理する方法を解説します。
なお、今回は平安時代をざっくりと4分割して解説しますが、私が執筆した「イメージで覚える中学受験歴史」では時期ごとに詳しく解説しています。
今回の内容と一緒に読んでみると、さらに理解が深まるはずです。
平安時代は4人の「身分」をもとに流れを覚える
平安時代の中心人物は4人ですが、彼らは全員「身分」が異なります。
こうした「身分」のつながりを確認できると、平安時代を攻略しやすくなります。
桓武天皇(天皇)
まずは天皇中心の時期。
桓武天皇といえば、794年に京都の平安京に都を移した人物です。
桓武天皇の「桓」の字、そして「794年」については、ぜひお子さんと確認をしてほしいと思います。「桓」は毎年まちがえる受験生が多発します。
桓武天皇が平安京に都を移したところから、平安時代がスタートします。まるで桓武天皇が、都をスタート地点に運んできたようなイメージが想像できますね。
桓武天皇は、坂上田村麻呂に「蝦夷(東北地方)を征服せよ!」という命令を下します。だから、坂上田村麻呂は「征夷大将軍」という役職なのです。
ここでの征夷大将軍は、鎌倉幕府以降で登場する“武士のおかしら”である「征夷大将軍」とは意味が異なります。「蝦夷(えみし)を征服するための大将軍」ですね。
ちなみに蝦夷は悪いことをしていたわけではなく、自分たちの生活を守るため、征服を試みた朝廷側と仕方なく戦っていたようです。
そんな感じで、桓武天皇が中心だったころは戦いが中心でしたが、国の財政は苦しくなっていきました。
藤原道長(貴族)
次は、貴族中心の時期です。
平安時代の貴族といえば藤原道長ですが、この藤原道長、なんと中臣鎌足の子孫です。
天皇や朝廷とお近づきになり、長い歴史を持つ一族なのですね。
とじる
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